Reversi小説 | ナノ



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 今年はまだ、初雪が降っていなかった。北海道、十二月。 灰桐 はいぎり 中学校の生徒たちは、明日から冬休みを迎える。中学生にとって、この長期休みの直前というのはなんとも形容しがたい高揚感に包まれるものだ。中学二年生の彼も、いつもより弾む気持ちで学ランに袖を通した。毎朝欠かさず見ている情報番組では、お天気担当の女性キャスターがいつもの笑顔で話している。

『今日の北海道では、地域によっては初雪が見られるかもしれません。皆さん、防寒対策はしっかりして下さいね〜!』

 少年は薄手の黒いマフラーを首に巻き、テレビの電源を消した。鏡の前で、セットした金髪を少しだけ整える。「いってきます」と小さく呟いた言葉に、返ってくる声はなかった。かかと部分が潰れたスニーカーを履き、玄関の扉を開ける。瞬間、凛とした冬の匂いが鼻をついた。確かに今日は冷えそうだ、と少年は思う。

 冬めいてきた大気に、柔らかな日差しが透き通る。毎朝犬の散歩をしている近所のおばさんとすれ違い、軽く会釈すると少年は足早に信号を渡った。今日は終業式を終えた後に、友人と新作ゲームのパッケージを同時に開ける約束をしている。それが自然と、彼の歩く速度を上げた。学校に早く着いたところで終わる時間が早まるわけでもないのだが、なんとなくじっとしていられなくなり気付けば小走りになっていた。白い吐息が水滴となってマフラーを濡らす。

 この日、一人の少年が当たり前に想像していた未来。それが全く違う形になってしまうことなど、この時の彼はまだ知る由もなかった。



 教室の扉を開けると、既に何人かの生徒が数か所に固まって話をしていた。皆冬休みが待ち遠しいのか、あちこちで明るい声が飛び交っている。その中で特に場を盛り上げていた少年が、開いた扉に気付き声を上げた。

光一 こういち おっはよ〜! 今日は早いじゃん」
「おっす 賢斗 けんと 。そ、そうかぁ? いつもと変わらんやろ」
「ちなみに俺は『ドラハン』が楽しみすぎていつもより二時間早く起きた!」
「はりきりすぎやろ、小学生か!」

 光一、と呼ばれた少年は、まさか自分も同じくらい早起きをしてしまったことなど言えず、あくびをかみ殺して教室に入った。脱色され黄色味がかった金髪を整髪料でツンツンに立てていて、両耳には数個のピアスが輝く。目じりのつり上がった鋭い目付きが、 緋山 ひやま 光一の特徴だった。

 一方、人懐っこい笑顔で話しかけてきたのは 氷森 ひもり 賢斗という少年だ。見た目は光一と正反対で、柔らかそうな黒髪をナチュラルにセットしている。綺麗な二重まぶたの瞳を細めながら、楽しげに男子数人と会話していた。その輪の中に光一も混ざり、今日発売の『ドラゴンハンターW』の話に火が付く。新発売のゲームソフトに異様な盛り上がりを見せる男子たちに対し、数人の女子が呆れたような視線を浴びせていた。

 話に夢中になっているうちに、ホームルームの時間になっていたようだ。ガラガラと扉が開く音を立て、男性教師が教室に入ってきた。教師は伸び放題の髪をもっさり被った頭を掻きながら、ざっと教室内を見回す。しかし彼は、このクラスの担任ではなかった。生徒たちがそそくさと自席に着く中、賢斗は窓際に立ったまま教師に話しかけた。

「あれ、モリオじゃん。おりぴーは?」

 光一も同じくその場に立ったまま、不思議そうな表情を教師に向ける。男性教師、もといモリオは頭を掻く手をがしがしと強めながら答えた。

「えー……まずは席に付け、氷森、緋山。 織原 おりはら 先生は休みだ……と、いうよりはもう来れないかもしれない」
「は?」

 モリオが発した言葉の意味が分からず、賢斗はまぬけな声を出した。モリオはため息をつき、出席簿を教卓に置く。他の生徒たちも異様な雰囲気を感じたのか、賢斗とモリオのやりとりを見守っていた。光一が間から口を挟む。

「どーゆうことやねん? おりぴーなんかあったん?」
「い、いや……なんかというか……」

 スラックスのポケットに手を突っ込み睨むような表情をしている光一に、モリオは少し萎縮した様子で言葉を濁らせる。

 二人がおりぴーと呼ぶ人物が、このクラスの担任である。織原 彼方 かなた 、通称おりぴー(このあだ名は入学当初に賢斗がつけた)は、生徒想いの女性新任教師だった。なにかと問題を起こす光一と賢斗を織原は見捨てることなく、厳しくも温かい言葉をかけてくれていた。教室内で花火をしようなどと言い出した二人を呼び出し、怒りながらも近くの公園で花火に付き合ってくれたのもつい先週の話だった。

 はっきりしないモリオの態度に、光一の不信感はイライラへと変わった。近くの机を蹴り上げ、ボリュームを上げた声でもう一度問う。

「どーゆうことや言うてるやろ! はっきり喋らんかい!」
「わ、わたしの口からはこれ以上言えないんだ……! 頼むから落ち着いてくれ、朝から同僚が意識不明の重体だなんて聞かされてただでさえ動揺してるのに……あっ!」

 その言葉通り、よほど動揺しているらしい。モリオはハッとして自身の口を押さえたが、もう遅かった。一瞬の静寂に包まれたのち、教室内は瞬時に生徒たちのざわめきで埋め尽くされた。光一が身を乗り出して叫ぶ。

「ハァッ!? 意識不明て……おりぴーがか!? 事故にでもあったん!?」
「わぁぁ声がでかい緋山! こ、このことはまだ非公開なんだ、私たち教員も、まだ何も知らされていなくて……! あぁぁだから嫌だったんだこのクラスに来るの……」

 モリオは頭を抱え、その場にうずくまる。クラスメイトたちは突然降りかかった予想外の事実に、ただただ半信半疑で驚きの声を上げていた。モリオが 懇願 こんがん するように「落ち着いてくれ」と指示するが、その声を聞く者は一人としていなかった。そんなモリオを助けるかのようにチャイムが鳴り響き、終業式の開始を知らせる。生徒たちはやっとモリオの指示に従い、動揺を隠せないまま少しずつ教室のドアから出ていった。

「嘘やろ……おりぴーが……」

 教室内で立ち尽くす光一の背を、賢斗が後ろから軽く叩いた。

「……とりあえず行こうぜ、光一」

 開いていた教室の窓から、乾いた冷気が勢いよく入り込んでくる。かき乱された心のまま、二人もクラスメイトに続いて体育館へと向かった。もはやクラス内に、浮き足立った気持ちの生徒は一人もいなかった。



 結局あのあと新しい情報が公開されることもなく、校内に下校時刻を知らせるチャイムが鳴り響いた。光一と賢斗は最後まで詳細を聞こうと粘っていたのだが、モリオも本当に詳しいことは知らされていないようだった。「お前らも冬休み中はくれぐれも気を付けろよ」と無理に教師ぶった態度をとり、彼はそそくさと職員室の奥へと消えてしまった。

 光一はモヤモヤした気持ちのまま、生徒玄関で上靴を脱ぎながらぼやく。

「くっそモリオの奴、とうとう吐かんかったな……なんも知らんわけないやろ」

 それを聞き、光一に背を向け外靴のひもを結んでいた賢斗が呟いた。

「まぁ確かになんか怪しいんだよな。言えないようななにかがあったのかもね」
「なんやソレ。たとえば?」
「んー、おりぴーのストーカーによる、 猟奇的 りょうきてき な事件だったとか。現場はぐっちゃぐちゃのめっちゃめちゃでそれはもう 凄惨 せいさん な……」
「あーあー分かったもうええ、なんや気分悪なってきた」

 光一が青ざめた顔をする横で、賢斗はからからと笑った。

「まぁ人間、死ぬときはあっけなく死ぬもんだからな。考えたってしょーがないよ、光一?」
「死ぬって決まったわけやないやろ……」

 顔を歪ませた光一は、ふと賢斗の様子をうかがう。見る限り彼はいつも通りの 飄々 ひょうひょう とした態度だ。

 光一はたまに、本当に時々なのだが、賢斗が他人に対して冷たいと感じることがある。賢斗とはこの灰桐中学校に入学してからずっと一緒に過ごしてきたが、いまだに彼がなにを考えているのか分からないときが度々あった。彼は普段よく喋るわりに、彼自身のプライベートな話はほとんど話したことがないように思う。特に聞く必要もないので問題はないのだが、光一には賢斗が、自分を隠しているようにも見えた。今回の件も正直どう思っているのか、光一には分からない。彼のおどけた態度は自分を元気付けるためにわざとやっているのか、そもそもあまり興味がないのか。

 ぼんやりと考えているうちに、光一の後ろに人が来ていたらしい。賢斗との会話に意識をとられていた光一は、その存在に気が付かなかった。それに振り返りざま肩がぶつかってしまい、反射的に顔を向けた。

「あん? なんや?」
「わわわっ、ご、ごめん緋山くん……ごめんね……っ!」

 光一がぶつかったのは、同じクラスの女子だった。女子用の下駄箱は男子用の奥に配置されているため、狭い通路ですれ違う形になってしまう。どうやら光一の後ろを通ろうとして接触してしまったようだ。ぶつかった相手がクラスメイトだということはかろうじて分かったのだが、光一は彼女の名前を思い出すのに時間がかかった。険しい表情で考え込んだあと、ようやく口を開く。

「おー…… 荒川 あらかわ やったっけ? 悪い」
「ごごごごめんなさい、ごめんなさい……!」

 荒川は異常に怯えた様子で謝罪を繰り返す。野暮ったい黒縁眼鏡の奥で、潤った瞳がぐるぐると動いていた。荒川はいつも教室の隅で本を読んでいるような大人しい女子だ。おそらく彼女にとって光一は、出来れば関わり合いたくない存在だろう。しかしその気持ちは光一も同様で、目に涙をためる荒川を見て徐々にイライラが募り始めた。

「なんやねん、そない謝られたらオレが悪者みたいやんけ。言いたいことあんなら言えや」
「ひっ……ごめんなさ……じゃなくて、えっと、その……」

 肉食動物に睨まれた小動物のように、荒川は小刻みに震え目を逸らした。そんな険悪な雰囲気が漂う中、賢斗が能天気な声をあげる。

「まぁまぁ光一、早く帰ろうぜー。『ドラハンW』が俺らを待ってる!」
「おー、せやな」

 賢斗に言われ、光一は思い出したように靴を履きかえた。短気な光一を自然な流れでなだめることが出来るのは、おそらく校内では賢斗だけである。光一はそのまま玄関に向かい、外へ出て行った。

 賢斗は光一が出たのを確認すると、くるりと振り向き荒川に笑顔を向けた。

「ごめんな荒川、あいつも悪い奴じゃないから! じゃ、また三学期なー!」
「えっ、あっ……ば、ばいばい……氷森くん」

 荒川の返事を聞き終わらないうちに、賢斗は後ろ手を振り光一のあとを追った。その場にぽつんと取り残された荒川は、顔を赤らめ賢斗の後ろ姿を見つめていた。ボーっとしていた荒川の肩を、後ろからたたく女子が現れる。

「お待たせ 新菜 にいな 、ごめんね! ねぇあんた今緋山に絡まれてなかった? 大丈夫?」

 荒川の友人らしき女子生徒が心配した様子で話しかける。荒川はそんな友人に目もくれず、誰もいなくなった玄関に視線を固定したままだった。

芋子 いもこ ちゃん……私……氷森くんにばいばい言えたよ……」

 その言葉を聞いた友人、芋子は一瞬フリーズしたのち、大仰にため息をついた。

「いや、あんたねぇ……そんなことでそこまで舞い上がれちゃうの? 低燃費だわねぇ……」

 まぁそこがいいところでもあるんだけどね、と呟く芋子をよそに、荒川は先ほどの余韻に浸っていた。

 気付けば時刻は午後一時。風が冷たく、冬の足音がすぐそばまで聴こえていた。

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