テキスト短編 | ナノ


 ホワイトブラッディバレンタイン




心の一番暖かいところから絶えず滲み出る、この甘くてほろ苦いものを、全て貴方に捧げましょう。
貴方に捧げ、貴方を慕い、貴方と幸せを分かち合いたい。永久の幸せを、他でもない貴方と共に享受したい。
その気持ちを貴方に打ち明けたとき、貴方も同じなんだと思った。

ーー幸せは、ただ落ちてくる雫を貪るだけでは、いつか見放される。怠惰の罪を犯せば、その見返りは罰。
幸せになるために、貴方と一緒になるために、これはきっと試練、課された試練、私の力で乗り越えなくては、幸せを掴まなくちゃ、頑張らなくちゃ、もっと頑張らなくちゃ、だめ、闇が入り込む隙間なんか開けちゃだめ、もっと、もっともっと努力しなくてはーー



ーー今日は、バレンタインデイね。

しんしんと降る雪。いつの間にか積もり積もって、僕らの住む街を、空も、煉瓦造りの家たちも、地面も、一面銀世界に仕立て上げた。
今日はバレンタインデイね。そんな挨拶から始まった、彼女からの手紙をコートのポケットの中で握り締めて、僕はじっと待っていた。
手紙には、この時間、この住宅街の外れで待ち合わせしようとの旨が綴られていた。
今日はバレンタイン。それは、世間の流行り廃りに疎い僕だってよく知ってる。
手紙をくれた彼女というのは、単にshe、三人称の意味だけじゃなくて、ガールフレンドというか、まあ、付き合っているカノジョだ。もう、何が起こるのかなんていうのも流石に察しが付くというもの。
とは言っても、僕はそれにどうレスポンスすればいいのだろう?こんなことは生まれてこの方初めてなので、頭がまともに働かず、緊張から来るのか期待から来るのか、心臓がやけに騒がしい。

彼女とは、新学期の始めに出会った。その艶やかな栗毛、時折見せる穏やかな微笑み、儚げな佇まい。僕の心は、ゆっくり、だけども確実に惹かれていたのだ。
秋頃には、なんと彼女の方から想いを告げられて、一緒になった。自分の世間知らずというか、女心を知らない行動のせいで何回も傷付てしまったけど、幼馴染の女の子に教えを請うてなんとか改善しつつある。二人の幸せをずっと続けるために、お互い努力を重ねて来た。
それは、この恋人たちの日に、形として実らせるべきでは…?

「い、いやいや、無い、無理だ…!僕が舞い上がっちゃってるだけで向こうはそういうつもりは無いのかもしれないし…!」
「お待たせしました」
「うわっ!」
いきなり背後から声を掛けられ、素っ頓狂な声を出してしまう。その主の方を振り返るとーー
「驚かせてしまいました?ごめんなさい」
口では謝りつつ、しかし悪びれずにーーむしろ悪戯っぽい笑みを浮かべる、彼女の姿。
いざ目の前にしてしまうと、心臓が痛いほどに高鳴り、さっきまで寒かった筈の鼻先や頬が熱くなってくるのを感じる。
「いや、あの、うん。でも大丈夫だよ。いきなりだったから、ちょっと吃驚しただけ」
口調も自然に早口になってしまい、焦っているのは明らかで、更に焦ってしまう。
「何が無くて、何が無理なんですか?」
「えっ!?き、聞いてたのーーじゃなくて、その、独り言だよ独り言!」
「誰かとお話ししてたんではないんですか?」
「そんなわけないじゃない、ここには僕しか居なかったんだしーー」
「携帯電話とか。だからあんなに驚かれたのでは?」
「違うよー…。ほら、持ってない」
僕は両の手をポケットから出して、広げて見せる。
「…………冗談、ですよ」
僕をいじめるのに満足した様子の彼女は、口の端をくいと上げて一歩下がる。踏まれた雪が軽い音を上げた。

「本題、ですね。……どうして今日呼んだのか、わかるでしょう?」
「えっ!? ……と、んん、それって僕から言っちゃっていいものなのかな…」
「いいのよ。……もしかして、分からないのかしら……?」
マフラーを巻き直しながら、彼女は問う。
「そんなことないよ! ……えーと、あの、僕は……その、チョコレートを貰える、のかな…」
なんだか、凄く図々しい質問の様な気がするけど、本当にこれでいいんだろうか。
「…………大正解よ。貴方は私の、一番大好きな人だもの」
真っ直ぐ瞳を見つめてそんなことを言われたら、……僕は……。
彼女は持っていたポシェットからピンク色の可愛らしい包装紙とリボンで包まれたチョコレートを差し出した。目の前で起こっていることが、……僕にはとても、幸せが過ぎて、信じられなくて、受け取る指が震えた。
「あ……ありがとう。これ、本当に僕が貰っていいんだよね? ……嬉しいよ…!凄く嬉しい…! 夢みたいだ……!」
「そんな……大袈裟よ。……でも、嬉しいわ。……味の保証は出来ないけど……」
「ううん、君から貰ったものなら、僕、なんでも嬉しいよ」

「…………本当に?」
「ああ、本当さ」

男は、その刹那、女の眼に宿った、光ではないそれに、果たして気づいただろうか。

「あの! 今、食べてみてくれる?」
「え、今? いいの? なんだか悪いよ…」
「いいのよ、ねえ、お願い……」
「でも……」
「いいから、今! ……食べてみて。気になるのよ……」
「わ、分かった……。開けるね。ちょっと手がかじかんで、下手くそかもしれない……」
こここそが僕の一番の頑張りどころかもしれない、と思った。彼女に限ってそんなことは無いだろうけど、本人が言うようにあまり良くない出来だとしても、それを悟らせないようにしなくちゃならない。本当に美味しいなら、それを上手に伝えないといけない。


ーー今、彼は、私があげるものなら、ナンデモウレシイと、そう言った。
それってホントウなのかしら。ホントウなのかしら。


ラッピングを外し、蓋を開けると、入っていたのはチョコレート・トリュフだった。形はまるで売り物のように整っていて、期待が高まる。
一つ摘み、いただきます、と断わって食べてみると、これがとても美味しい。
心地よい甘さで、口の中ですぐ溶けてしまう。ミルクチョコレートの中にはビターが仕込まれていて、彼女の凝り性が窺える。

「本当に? ……良かった」
「うん、今まで食べた中で一番美味しい!」

彼女はほっとしたように胸を撫で下ろした。
僕の肩にも、彼女の肩にも、すっかり雪が積もってしまっていた。

「今、幸せ?」
「え? ……うん、幸せだよ」
「そう。……なら、ずっとこのままでいましょう……幸せなままで………」
「そうだね。このまま幸せなままでいたいって、思うよ」
「このまま、時を止めて……」

目を伏せたまま紡がれる言葉は、なんだか不安があるようで……何か傷付けるようなことを言ってしまったかと肝が冷える。
「どうしたの? 時を止めたりしなくたって、僕たちはこれからもきっと、ずっと幸せさ……」

「いいえ。」

彼女は、きっぱりとした口調でそう言う。
「この幸せは今にも亀裂が走って割れてしまいそうな脆弱なものよ。……分かってるんでしょう……?」
「え……?」
唐突な言葉に、たじろいでしまう。その言い方は、まるで……僕に非があるかのようだ。……しかし、僕には思い当たる節が無い。
先程チョコレートが通った喉がひりひりと痛んできた。
「それって、どういうこと……?」
「分からないの?……わ、私は……ずっと、私の全力で、努力してきた……試練なんだから……あの娘は私たちに立ち塞がる試練なんだから……って…。でも、でも、違かったのね……あの娘を退けることが目的じゃなかったの……。二人が永遠に幸せになるための試練だったの……」
震える声で語られる話は……、抽象的で、分からない……。

そう思った瞬間、彼女は髪を跳ねさせて勢いよくこちらを見上げた。その不可思議さに、心臓がドクンと跳ねる。
そして、鎌首をもたげ、前髪がずれーーその下から覗く瞳は……、光が失われ、ぐつぐつと煮込まれるチョコレートのようで……。湯気がシュウシュウと出ているかのような錯覚さえ起こした。

ーー君は、誰だ?

「あのオンナが好きになってしマッたんでしょう、あれは誰? 誰、誰、誰? 私と会わない放課後は決まってあの子と喋ってあの子と出掛けてあの子とあの子とあの子と笑っているの私見てたんだから………」

あの子って、誰だ!?
僕が女の子と関わるなんで滅多にーー
……あ。幼馴染のあの子だ。彼女との悩み事を相談したあの子だ。
違う違う違う、あの子は君に上手く接するために相談に乗ってもらっただけで、好きになるなんてーー
僕が君以外を愛するわけなんてないじゃないか!!

豹変した彼女に、それでも掛けたかった愛の言葉、真実、言い訳。
その全ては虚空に消えた。

鳩尾の奥深くが、おかしい。
ーーいたい 。
ーーあつい 。
全身が粟立つ。息苦しい。上手く吸えない。吐けない。喉が、内臓が、口が、痛い。灼けるように熱い。

言葉の代わりに、呻きと、それと血反吐が出た。
真っ白な雪に、緋い鮮血が染みた。
足に力が入らなくて、冷たく白い絨毯の中に膝をつく。

「他の人の元へ貴方の心が移って、この幸せが壊れてしまうのなら、このまま時を止めましょう。ずっと幸せなままでいましょう。……これが、正解だったのよ。……ね。そうよね……。愛してるわ、貴方。」

薄れ行く意識の中で、額に感じた彼女の唇は、……とても、柔らかかった。



女は、男の吐いた血反吐が染みた雪を記念にと小瓶に入れる。
男の死角に用意されていた荷台と箱。男はそれに入り、女の家へと招かれる。

女の手の内でいつまでも溶けない雪と愛。
女の手の内でいつまでも痛まない愛と肢体。









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