5.ありがとう

「私はヒモなのですか」

 その質問を投げかけた瞬間、66号は食後のお茶を噴き出した。そっとティッシュを差し出すと、彼は篭った声でありがとうと口元を抑えた。その間に食器をシンクへ運び水に浸し、濡らした布巾を絞ってちゃぶ台を拭いた。
 再び66号の向かいに座ると「どこでそんな言葉覚えた」と質問を返されたので、先日買い与えられたスマートフォンを掲げて「インターネットです」と答えた。

 私はジーナス博士の人体改造により人間としてでなく、人類を殲滅するための精鋭部隊として今までを生きてきた。元は不死身シリーズの一人として改造を施されたが、その過程で得た身体の丈夫さで私の役目は戦闘員へと変更された。ハンドガン程度では銃弾も貫通しない、バズーカを受けても打撲程度のダメージしか負わない、再生能力も高いので骨が砕けようが焼かれて全身が爛れようが数日寝ていれば私の肉体は回復し更に強度を上げていった。進化の家で過ごす私の時間は兵器を使った耐久訓練と新生物との戦闘訓練が殆どだった。

 閉ざされた場で生きてきた私にとって、この世界はどうにも目新しいものばかりだ。ジーナス博士がたこ焼き屋を始めてからは、野菜の安いスーパーの探し方や上手な焦げ目の付け方、そして治安を守るヒーローという存在程度は知っていたがまだまだ俗世の知識が足りない。
 そのため人間の表情観察のために鑑賞しているテレビドラマやアニメを充分に理解できないことが多々あった。不明だった点をノートに書き連ねて帰宅した66号に質問するという行為を連日続けたところ、ノートを使いきった頃に彼が疲れた顔で私に携帯電話を手渡した。

「それがあればその場ですぐ調べられるだろ、連絡も取れるしな」

 66号の言葉通り携帯電話とは恐ろしく便利なものであり、疑問の答えを効率的に得ることができた。「コミュニケーションとれ」という番犬マンの助言も忘れ、私はしばらくインターネットに没頭した。そして、現在置かれた己の立場というものを知ってしまった。

「家主にお金も納めず……物を与えられるばかりの毎日……することと言えば部屋の掃除や食事の用意と留守番……世間はこれをヒモ、自宅警備員、ニートなどと称するのでしょう。そしてそれが世間的に恥ずべき立場であると」
「ほんと余計なことばっか覚えるなお前は!」
「自らを省みるとは重要なことだと考えています」
「何か他に言い方あるだろ…なんか…家事手伝いとか……」
「家事手伝いの検索予測に無職、ニートと出てきます66号」
「ちょっと貸せ閲覧制限かける」


+++++++++++++++++++


 中学生向けの機能制限をかけられた携帯電話をロッカーにしまい込み、、私は従業員用の制服に腕を通した。
66号は「何もしなくたっていい」と言ってはくれたが、私はそれでも返すべきものは返したかった。彼は私を生かしてくれている。人類殲滅用の戦闘員としてでなく、私を閉鎖的な世界から連れ出し、ただの人間として生活させてくれている。謝礼とか恩義とか等価交換とかギブアンドテイクとか何と表現すれば良いのかは分からないけど、私は彼のために何かをすべきだと思うことは間違っていない。はずだ。
 せめて私が66号の家に住まうことで発生する金銭的負担を助けることができればと、無料配布の求人情報誌で発見した飲食店の面接を受けたところその翌日から勤務開始となった。

「まだお客さんとお話とかは大丈夫だから、まずは挨拶からやってみようか」

 にこやかに説明する店長に促され、私は教えられた通りの台詞を口にした。

「お帰りなさいませ、ご主人様」
「オイ本当にいかがわしい接客とかねえんだろうな」
「あのお客様…当店禁煙なんですよ……」

 わざわざ様子を見に来た66号は険しい顔で煙草を咥え、とにかく全てを警戒しているようだった。その威圧感に周りも退いている。彼の表情から読み取ることができたのは不安や微かな怒りなどだ。日々の勉強の成果か、私には何故66号がそんな顔をするのか、理解できる気がした。

「66号」
「大体お前もなんでこういう店…」
「その表情は、私のためなのですね」

 66号の口は中途半端に開いたまま、録画したテレビの一時停止のように固まった。

「私がこの場所で、初めてのことばかりだから心配してくれているのですよね」

 目を見開いて動かない彼に構わず、私はそのまま続けた。

「……ありがとうございます、いつも」

 自分の内からじわりと溢れ出た感情に従って、僅かに口角を上げたが私は上手に笑うことができただろうか。
 思い出したように大きく口を開けた66号の太腿に、火のついた煙草が落ちて彼の悲鳴が店内に響き渡った。


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