4.知りたい

 もっといろんなことを知りたい。そう考えた私は以前に増してテレビに没頭するようになった。テレビとは便利なものだ。外へ出向かずとも様々な人間の表情を見ることができる。
 今まではドラマを重点的に鑑賞していたが、それ以外にもアニメなどにも目を通し、フィクションの世界だけでなく現実の世界の動きも把握していくためにニュースにもチャンネルを回すようになった。

「……面白いか?」
「はい」
「足とか痺れねえのか?」
「今のところは何ともありません」
「…じゃあ、俺はそろそろ出るから」

 はっとしてテレビから視線を外すと、窓の外からはもう目映い朝陽が差し込んでいた。時計の短針はテレビを見始めた時刻から丸々一周しており、ちゅんちゅんと鳥のさえずりが爽やかに響く。また気付かない間に夜を越えてしまった。

「はい、いってらっしゃい」

 66号はいつものくたびれたコートを羽織り靴を履いた。しかし玄関に佇んだままドアノブに手をかけようともしない。どうしたのかと首を傾げると、彼はこちらを振り返り何か言いたげにしていたが、「ああ」とだけ口にして出て行った。


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「また悩み事?」

 駅のホームから出てくる人々の表情を観察していたところ、背中に覚えのある柔らかな感触が押し付けられた。そこにいたのは予想通り番犬マンだった。

「お久しぶりです、あなたの活躍を今朝ニュースで見ました」
「ありがとう、ひどい隈だね」
「夜通しテレビを見ていたせいかも知れません」
「一日中テレビ見てたの?」
「一日だけではなく、ここ一週間はテレビを見ていました」
「まさか同居人ほったらかして?」

 番犬マンが目を見開く。驚いている表情だろう。

「いいえ、朝の挨拶を交わしました」 
「それは普通だ」

 そう言って番犬マンは少し眉根を寄せて私の目を見つめた。怒っているのか、不快に感じているのか、私のどの発言が彼の感情の引き金を引いたのだろうか。考え込んでいるとまたしても彼の肉球が私の顔面を圧迫した。

「”気持ちが理解できない”? 呆れてたんだよ」
「呆れていた? どういった点にですか?」
「そういうとこかな」

 抽象的すぎてさっぱり伝わってこないが、彼が明確に答える気がないというのは何となく理解できた。

「そんなにテレビ面白いの?」
「娯楽を求めているわけではありません」
「…じゃあ何求めてんの」
「感情に伴う表情の変化の観察です」

 テレビの中の世界は交差点を行き交う人々と違って様々な表情を見せる。短い時間の中で目まぐるしいほどの出来事が起こり、それに翻弄される人間はどんどん表情を変化させる。勿論それだけでなく、現実世界の私の知らない情報まで届けてくれる。
 テレビの利便性と素晴らしさについてとうとうと語っていると、番犬マンに何の脈絡もなく頭を叩かれた。衝撃を受けた部位を押さえながら彼の表情を伺うと、眉間にしわが深く深く刻まれている。

「テレビ見るのやめろ」

 いきなり下された命令に動揺してしまった。意図がさっぱり理解できずに彼の目を見つめ続けるが、寄せられた眉間が動く様子はない。何をどう言葉にすればいいのかも分からず身振り手振りでなぜなのかと訴えかけるが、番犬マンはそんな私を鼻で笑った。

「君がなんとなくずれてるのも分かってたし、何でそんな観察するのかって理由も聞くのはやめておくよ」
「は……はあ……」
「それにしたって君のやり方はまどろっこしい」
「どういった点ですか?」
「観察がしたいなら同居人ですればいいだろ、百聞は一見にしかずってやつ」
「しかし彼は表情豊かではありません」
「じゃあ表情を引き出せばいい」
「? どうやってですか」
「簡単だよ、コミュニケーションとれ」

 コミュニケーション。接触を図れということだろうか。

「具体的にどんなことをすればどのような表情を得られるのでしょう」
「それを探すのは君自身だ」

 その言葉が、以前のジーナス博士の言葉と重なった。誰かではない私が、私の意志で行動して結果を得なくては意味が無い。
 何かの一端を理解できた気がした。それが何なのかすらも分からないが、僅かに気持ちが高揚した。

「……あの」
「なに」
「ありがとうございました、参考にいたします!」

 居ても立ってもいられず、私はすぐに走り出した。後ろから「お礼はまた今度でいいよ」という番犬マンの声が聞こえたが、振り返る余裕もないのでそのまま手を振った。

 人混みを掻い潜って走り抜ける。たくさんの人間の顔が通り過ぎていく。私はただ夢中で走り続けた。

 自分の考えで行動するということは、責任を伴う。何も考えない、命じられたことをただ遂行するだけの日々はぬるま湯のように楽だった。しかし、考えて考えて、まるで見つからない答えを追い続ける今は不思議と満たされるような心地がしている。
 そもそも感情を取り戻すという目的はジーナス博士から与えられたものであるはずなのに、今の私を動かすものが命令だけでないことに気がついた。
 己の中の好奇心という存在を、今日見つけた。

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 マンションの壁の僅かな溝や凹凸を利用して66号がいる部屋まで駆け上がる。ちょうど窓が開いていたので網戸を突き破ってフローリングに着地した。その拍子に外れたアルミサッシが床を滑り軽快な音を立ててテーブルにぶつかる。
 ソファで眠っていたらしい66号がその音で飛び起きて銃口をこちらに向けたが、侵入者が私であることを視認するとすぐに収めた。

「なんだお前か…窓から入るなよ」
「すみません階段を上がる時間が惜しく感じました」
「へえ……お前がそんなに焦るなんて珍しいな、なんか見たいドラマでもあったのか?」

 66号がやや眉根を寄せて右側の口角を上げる。
 私は長距離を走ったことで少し乱れた呼吸を落ち着かせようと、一度大きく息を吸って吐いた。そしてもう一度息を吸い込んで口を開く。

「66号、私とコミュニケーションをとってください」

 すると66号はぽかんと口を開けて、数秒間そのまま私を見つめた。しかしすぐに声を出して笑い始めた。

「どっちかっつうと、ここ最近の俺のセリフだけどな、それ」
「そうなのですか?」
「あれだけ夢中になられるとさすがに……」

 彼は何かを言いかけて、ごまかすようにソファから立ち上がった。

「まあ構ってくれるっつうなら万々歳だな」
「何を言いかけたのですか66号」
「あ?」
「今朝も何かを言いたげにしていました。今も何かを言いかけて止めてしまいました。何を言おうとしていたのですか? 言葉にして頂かないと私は分かりません」
「……知らなくてもいいことだ」
「教えて下さい、知りたいのです」
「おま、おまえ、近い」

 ぐいぐい詰め寄ると、瞬間的に血色の良くなった66号が私の肩を掴んで距離を空ける。そのまま私をソファに座らせて台所へ向かった。換気扇を回し、懐から取り出した煙草に火を付ける彼の顔は暗くてよく見えない。

「教えて頂けないのですか……」

 再びごまかされてしまったのかと落胆し、膝を抱えた。すると台所から唸り声のようなものが聞こえたかと思うと、顰め面をした66号がこちらへずんずんと近付いてくる。そしてソファにうずくまる私の前に膝をつく。

「寂しい」
「はい?」
「お前があんまりテレビばっかり見てると俺が寂しいって話だ、言いかけてたのは」
「66号……」
「これで満足かよ、ここまで言わせやがって天然言葉攻めが……」
「その表情は”恥ずかしい”ですね」
「ああすげー恥ずかしいな」


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