暫く残業続きで忙しかった仕事も一息ついた週末。
やっとまともな連休が取れる…とにかく寝倒そう…!と、思った土曜日の午前8時。
部屋に鳴り響いたインターフォンの音に、休日のこんな時間に何事かと首を傾げながら寝起きのままドアを開けると、緑色の髪の毛の女が僕にこう言い放った。










「この子はお前の子だ。責任を取ってもらおうか」










その細い腕には、生後間もないであろう子供が心許無さ気に眠っていた。










◇ぷろろーぐ◇










「………………」





脳裏に過る数々の心当たりに血の気が引く。と、いうか。

いや、待て。

この女性には見覚えが無いような…あるような…無いような…。
……………無いぞ。うん、無い。
結構な美人だけど、別に好みではないし。
いや、好みの人ばかり相手にしてたかというとそうでも無いけど…いやいやいやいや。
覚えて無い。
覚えが無い
。無いったら無い。


つまり!

心当たりは、無い!





「…冗談はやめてくれないか」





散々混乱した挙げ句、とにかく何か言わなければ。と、発した言葉は動揺に少し掠れていた。




「随分考え込んだな。身に覚えでもあったのか。クズめ」

「はぁ?!」




ふん。と少し顎を上向きにしながらこちらを馬鹿にしたようなその態度は横着以外の何物でもない。


なんだこの女は。





「まぁ、こんな所で話し込んでてていても埒が明かない。邪魔するぞ」

「は?!ちょ、何を…!」




そのまま家主である僕の制止も聞かずスタスタ部屋に上がり込んでしまう。
更には、コーヒーでいい。どうせインスタントしかないんだろう?などと偉そうに飲み物まで要求してくる。



無理矢理叩き出してやろうかと思ったけど、失礼な女の腕に抱かれている赤ん坊の存在に思い止まった。

っていうか、本当になんなんだ…。





折角の休みなのに、わけのわからない事態に巻き込まれている気がする。
とりあえず僕は溜め息をひとつ吐いて、リクエストのインスタントコーヒーを入れに行く事にした。


















「で、君は誰なんだ。その子も…もちろん僕の子なんかじゃないんだろ?」




勝手に部屋に入って勝手に寛いでいた彼女の前にマグカップを置いて、早速話を切り出す。
よく考えなくても、こんな状況異常だ。
さっさと用件を聞いて、手っ取り早くお引き取り願いたい。




「どうだろうな?心当たりが無いこと無いんだろう?」




楽しげに人をからかうように返す女に、視線で話を促す。
つまらない男だな。と退屈そうに呟いて、女は話し出した。





















“C.C.”と、ふざけた名前を名乗った女の話をまともに受けとると、連れてきた子供は僕の遠縁に当たるらしい。
産みの親はお産と同時に亡くなって、父親も定かで無いこの子を育てるには色々な事情が込み入って引き取り手が居ない、とか。

僕がここで断ると、然るべき施設に預ける事になるらしい。




ここまでの説明を事細かに聞いても、僕は依然として半信半疑だ。

遠縁らしい、とは言っても本当に血が繋がっているのかはっきりしない位で、言ってしまえば他人の僕に産まれて間もない子供を預けようだなんて、どう考えてもおかしいじゃないか。





「…まぁ、そういうわけだ。別に、こいつを預かるのは義務では無い」

「………」

「お前が無理だと言うのなら、もちろん無理強いするつもりは無いさ」





腕の中、ブランケットに包まれてすやすや眠っている幼子の髪をそっと撫でながら彼女は言った。
優しげなその仕種は、まるで母親のようだ。




「…君が引き取ればいいじゃないか」




見ず知らずの、親戚とは名ばかりの僕が引き取るより、母親の様に慈しんでいるのが見て取れる彼女が引き取って育てる方がこの子の為になるに決まっている。




「私にも私の事情があるからな」




そうは思ったものの、一瞬寂しそうに笑った彼女にそれ以上追及することは出来なかった。




「でも、僕だってそんな事を急に言われても…」




行き場の無いこの子を気の毒には思うけど、現実問題引き取るとなるとそれ相応に負担だって増える。
仕事だってあるし、今は付き合っている人は居ないけど、この先恋人が出来た時になんて言えばいいか…。
そもそも、子供とまともに触れ合った事がない僕に産まれて間もない赤ん坊なんて育てられるかなんて、とてもじゃないけど全く自信がない。

赤ん坊とはいっても、一人の人間なんだから。

犬や猫の、貰って下さい。はい、いいですよ。とは、また全然違ってくる。





「まぁ、そうだろうな」

「…僕も、力になれるならなってあげたいけど…」





でもきっと、こんな子育ての経験もない他人に育てられるより、然るべき場所で専門的な知識を持った人や仲間がいる場所に行ったほうが…と、続けようとしたその時。

今まで大人しくC.C.の腕の中で眠っていた子供が激しく泣き声をあげ始めた。





「っ?!ど、どうしたらいいかな?!お腹空いた?!み、ミルク?!牛乳?!」

「まぁ落ち着け」





突然の事に慌てる僕に苦笑しながら、徐々に泣き声が大きくなるその子を抱いたまま立ち上がり、お尻の辺りをトントンとリズムを取りながら叩きはじめる。
そのリズムに合わせて泣き声が少し小さくなってきた気がした。




「…枢木」

「あ、どうしたらいい?ミルク買ってくる?」

「いや、多分腹が減ってるわけじゃないだろう」

「え?あ!オムツ?!買ってくる?!」

「いいから落ち着け」

「だけど、まだ泣き止まないし…」




赤ん坊の泣き声に耐性の無い僕は、ひたすら響くこの声に不安になってくる。
こんなに泣いて大丈夫なんだろうか。





「お前、ちょっとこいつを抱いてみろ」

「…えっ?!」





おろおろと泣き止まない赤ん坊の周りをうろうろする僕に、C.C.はいきなり無茶振りしてきた。




「やっ!僕、こんな小さい子なんかを抱っこした事とかないし…っ?!!!」

「大丈夫だ。なんてことはない」

「いや!本当に…っ!」

「うるさい。いいから早く腕を出せ。お前が受け取らないと落ちるぞ」

「?!うわぁっ?!」





結局強引に受け渡された赤ん坊は、まだ首も座っていない状態で酷く頼りない。
下手に動かすと落としそうで、めちゃくちゃ怖い。





「ちゃんと首を支えて…そう。上手いじゃないか」





危なっかしい抱き方をしていた僕の腕の位置を直して、赤ん坊を覗き込んで満足そうに微笑むC.C.はどうみても母親だ。





「ほら、な?」

「?」





意味有り気にこちらを見てにやっと笑われる。
なんだ?
訳がわからず小首を傾げると、ほら。と視線を赤ん坊に向けている。

ああ、そういえば。

いつの間にか泣き声が止んでいた。


ハッとして、腕の中に眼をやる。





腕の中、その小さくて柔らかな存在が、今までしっかり閉じていたその透明な紫色の瞳を開けて真っ直ぐに僕を見詰めていた。





「あ、」






ふいに、じんわりと胸が温かくなる。
懐かしいような、苦しいような、嬉しいような、悲しいような。
心の底から、色々な感情が湧き出てきて言葉ではどうしても形容しがたい想いで胸が一杯になる。




これは、一体、なんなんだろう。





「ふ、今度はお前か?」

「?」

「腹が減ったなら牛乳でも飲むんだな」

「あ、」





ふと、頬を伝う物に気付いて呆然となる。
ちょっと意味がわからない。





「え?え?ちょ、なんで」





意識し出しても一向に止まる気配が無い涙に正直、焦る。
なんだ?!これが父性ってやつか?!










「養育費は気にするな。こちらで用意する」



手の甲で必死に涙を拭う僕を見て、にやにや笑いながらそう告げられた。




「えっ?!」

「日中も、仕事の間はシッターを雇え。なんなら私が見繕ってきてやろう」

「っていうか!」

「ん?なんだ?まさか施設に預けろと言うわけは無いよな?」

「………まぁ、」





確かに、この子が泣き出す直前まで頭を占めていた考えは、既に綺麗に霧散してしまった。
むしろ、この子を手放したくない。
そんな気持ちが心を大きく占めている。





「安心しろ。暫くは定期的に私も見にきてやる」

「…………………………お願いします……」





こうなれば仕方がない。
この子は、僕が引き取るしかないじゃないか。


だって、もう、手放すなんて考えられない。


この腕に抱いてみるだけでこんなに考えが変わるものなんだろうか。
僕って父性が強いタイプだったのか。
なんだか自分の新たな一面を知ってしまった。





腹を決めてもう一度腕の中の温もりを覗き込む。

さっきまで開いていた綺麗な紫色の瞳はまた瞼の裏に隠されて、小さな唇から穏やかな寝息が聞こえていた。










「そういえばさ、」

「なんだ」

「この子の名前は?」

「“ルルーシュ”だ」

「ルルーシュ、」




小さくて口の中で復唱すると、不思議と口に馴染んでいる気がする。










「ルルーシュ、これからよろしくね」










ぎゅっと握られた小さな小さな手の隙間を人指し指で突っつくと強い力で握り締められて、その力強さにまた、泣きたくなった。





end











赤子るるしゅのかわゆさよ