昨日、
訳もわからず唐突に現れた挙げ句、自ら名乗りもせず来た時同様唐突に立ち去った男が、何故か今日も眼の前にいる。




何でだ。










◇peace◇










「何か用か『枢木スザク』」

「あれ?」




昨日と同じように喫煙所で一服していたら、これまた昨日と同じへらへらした顔で昨日と同じ軽薄そうな男がふらりと現れた。
リヴァルから聞いたばかりの名前を呼ぶと、意外そうな顔をされる。




「僕の事気になっちゃった?」

「はぁ?」




今度は何を言い出すんだこの男。
訳の分からない切り返しに思わず顔を顰めたが、枢木は俺と対称的な相変わらずのにやけ面で会話を続けてくる。




「名前、気になったから調べたんでしょ?」

「お前馬鹿じゃ無いのか」

「あれ?違う?」

「お前、『有名人』らしいからな」

「えー?」




枢木スザクのいちいち人を馬鹿にしたような話し方が気に障って、同じく馬鹿にしたように言ってやったけど、こいつは全く顔色を変える様子も無い。
…これじゃあムキになってる俺の方が馬鹿みたいじゃないか。




「何聞いたか知らないけど、噂だけが一人歩きしちゃって困るよね」

「根も葉もない噂ってわけじゃ無いんだろうさ」

「いやいや。事実に尾びれ背びれ所か脚まで生えちゃって全力疾走中だよ」




いやー困ったよねー。
と言ってる男は全く困って無さそうだし、どうしたってこの軽薄な雰囲気は全くもって信用に値しない。
仮に男の言う通り噂の一人歩きなんだとして、仮にこの男がそれで迷惑していたとしても、それはこんな軽薄な雰囲気のこの男に非があると思う。絶対に。




「まぁ、お前の噂なんか俺にはどうでも良いけどな」

「あははっ。それもそれでショックだなぁ」



枢木は何がそんなに楽しいのかにやにやしながら、パンツのポケットから煙草を取り出して火を点けた。
仄かに甘い香りが喫煙所に広がる。
煙草を燻らせながら、こちらに淡い黄色のパッケージを寄越した。




「?」

「昨日のお返し」




あげるよ。と渡されたそれには、まだ何本か入っているようだった。
いつも吸う銘柄と違うが、とりあえず貰っておくことにする。




「どーも」

「もっと可愛くお礼言ってくれてもいいよ?」




また何か馬鹿な事を言い出した枢木を無視して、貰ったばかりの煙草を銜える。
火を点けてゆっくり吸い込むと、口の中に上品な甘さが広がった。




「………………何だ?」

「んー?」




特に何を話すでも無く、顔を注視される。
口を開けば開くで腹立たしいが、何も言われずひたすら顔を見つめられるのも気持ち悪い。




「おい。金取るぞ」

「まぁ、取れるよね。その顔なら」

「はぁ?」




もう、この男は訳の分からない事しか話せないんじゃ無いかと思う。
1つ位意味の通じる言葉を言ってみたらどうなんだ。
別にこいつと楽しい会話のやり取りを望んでるわけでは無いが、一方的な意味の分からない会話は非常に疲れる。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、枢木は急ににやにや笑いを引っ込めて俺の眼を覗き込んできた。




「いや、本当に綺麗な顔してるな。と思ってさ」

「…それはどーも」

「男なのが惜しいな」

「お前、馬鹿にしてるのか」

「いやいや、本心」

「…やっぱり馬鹿にしてるだろう」

「全然」




と、いうか…顔が、近いんだが…。
徐々に近付いて来ている枢木の顔に、心情的には後退りたいが行動に移すと何か負けたような気がして平然とした顔を取り繕う。




が、
それがいけなかったのか何なのか。




次の瞬間、焦点が合わない位近くに枢木の顔があった。
続けて唇に柔らかい感覚と、咥内に入り込んだ生暖かいモノ。
それは、直ぐに離れていったけど、そういう問題じゃ無い。



ちょっと待て。何があった。今俺は何をした。いや、された。
おかしいだろう。どうしてそうなる。




頭の中で状況を判断しようとするが、肝心の思考は全く機能している気がしない。
それでも、持って生まれた性格でこの状況下でも醜態を見せるという事無く、冷静を装っていられている。と思う。
そして、俺をこんな状況に陥らせた本人は平然とした顔で、再び煙草を吸い始めた。



「お前、何のつもりだ」

「え、何が?」

「ッ!さっきのは何のつもりだ、と聞いている」

「あー…つい?」




つい?
そんな理由であんなことされたっていうのか?それも男に!
改めて思い出すと背筋にゾクッと悪寒じみたものが走る。
やっぱりこんな男をまともに相手なんかするべきじゃ無かった。
冷静であろうと思うのに、怒りが沸々と込み上げてくる。
…べ、別に、断じて初めてを奪われたから怒ってる訳では無い。断じてだ!
そもそも、女でも無いのにそんなモノ後生大事にに取って置いていたわけでも無くだな…っ




「あ、ゴメンね。もしかして初めてだった?」

「ッ?!」




うっかり思考の渦に巻き込まれてしまった俺を引き戻したのは、枢木のデリカシーの無い言葉だった。




「ランペルージの顔があんまりにも好みでさ」

「嬉しく無い」

「いやー。まさか、男相手にキスする日が来るとは思わなかったな」

「キスじゃ無い。皮膚と皮膚の接触だ」

「君がそう言うならそれでいいけど」




そうだ。これは事故だ。ただの皮膚と皮膚の接触だ。
別にファーストキスに夢なんか見てはいないけど、初めてが生理的に受け付けない男とか、あんまりじゃないか。
人間何事も思い込みが大事だ。
俺は今日凄惨な事故に遭った。
そう言うことだ。
俺が記憶の修正に勤しんでいると、煙草を吸い終わったらしい枢木が吸い殻を灰皿に放りこんでいた。




「じゃ、ランペルージまたね」

「もう現れるな」

「冷たいなぁ。キスまでした仲なのに」

「黙れ」




にやにや笑って枢木は立ち去ったが、喫煙所には未だ甘い香りが残っている。
俺は吸い終わった煙草を灰皿に投げ込んで、少し悩んでさっき枢木から貰った淡い黄色のパッケージを片手で潰して灰皿に投げ込んだ。

勿体無いけど仕方ない。




しばらくは枢木を連想しそうなピースの香りは嗅ぎたく無かった。





end










ピース好きです。甘すぎない香りがいい。