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 彼との邂逅は今から約五年前に遡る。
 当時雪男は十一歳を目前に控えた頃で、拳銃の扱いも両手撃ちから片手撃ちに慣れてきた頃だった。
 一身上の都合により塾に通っていなかった雪男は、養父で在り聖騎士でもある藤本獅郎と先輩であった霧隠シュラと共に切磋琢磨していたが、約一年前、シュラはその高い能力を買われてヴァチカン本部に異動していた。
 まだ小学生だった雪男は養父となるべく共に帰るようにしていたが、聖騎士である養父の仕事は多忙でなかなかタイミングが合わない。故に待っている間は祓魔塾の訓練施設を養父に貸し切ってもらい自主練をしていた。
 訓練マシンの球切れにて終えた無限モードに息を切らしながら両手の力を抜いて荒い息を整えようとした時だった。
「おい。ここはガキが入るような場所やないで」
 誰も居ない筈のトレーニングルームに響いた声に集中力が途切れ、両手の拳銃を握り直して声の主に顔を向けた。
 如何やらかなり前から居たらしい。壁に背を持たれて両腕を組みながら怪訝そうな瞳を向ける傷んだ金色の頭と赤い色のヘアピン。モッズコートで上半身は隠されていたが、細身ながらも筋肉質な体躯をしているのはジーンズの上からも窺えた。
 腰に回されたコートと同生地のベルトに新品の階級証を無造作に付けている。
 志摩金造。
 今年度の祓魔塾新期生だ。
 塾にこそ通っていないものの塾生の試験や実戦演習を見る機会は多い。金造はそんな中でも良くも悪くも目立つ存在だった。鋼鉄製の錫杖を掲げ、大胆不敵、唯我独尊、猪突猛進。そんな言葉が似つかわしく、他者を振り回すような荒々しい言動と戦闘スタイルにも関わらず何故か仲間からの信頼は厚く人望がある人だった。
 何よりもつい先日、騎士の称号にて祓魔師認定試験を一発で合格していた。派手な見た目に加えて訓練生と候補生を一年で終え、祓魔師として前線に出られる塾生というのは注目度も高い。
「……使用許可は得ています」
「ふうん」
 金造は気のない返事で此方へと近寄ると、雪男の両の手に握られた拳銃を一瞥し、近くに置いてあったトレーニングメニューを不躾に拾って視線で内容を追っていた。
 彼の行動が解せずに躊躇っていると、メニュー表を見て眉間に皺を寄せた金造は直ぐにそれを元の場に投げ遣り、此方との距離をつかつかと詰めて右肩を軽く掴んできた。
「っ! いった……!」
「銃には常に触っとり。やけど暫く自主練で銃は撃つな」
「っ、貴方に、指図される、謂れは」
「お前両方いけるみたいやけど軸は右寄りやろ。やから全体的に右側の凝りがひどい。お前はまだ躰ができてへん。若い内に骨や筋肉に偏った負担掛けると変な癖がついてあかんくなる。筋傷めるで」
 彼はそう云って肩から手を離すと隣の訓練マシンを弄り出した。機械的な音声が流れだすと同時にコート裏に備えていた折り畳み式の錫杖を組み立てながら二人を隔てる金網から二歩手前に出る。
 ラインより前に出るのは横で訓練する者の安全上禁止されている筈だ。
「志摩さ、」
「云う事きいてもらうには実力見した方が早いやろ」
 此方の意を曲解したらしき彼の言葉に反論する間もなく無数の球が撃ち出される。金造は口角を上げるとその高速の球を一球一球確実に仕留めて行く。
 球の隙間、僅か秒コンマの間に右手から左手に持ち替え、器用に突き、倒し、捌いていく。一球たりとも金造と雪男の後ろに球を送らないだけでなく、動作一つ一つに無駄がない。危険地帯にいるにも関わらず金造の背に妙な安心感を憶え、雪男は拳銃を握っている力を緩めた。
「ハッ! 余裕やな!」
 ピッタリ三十秒でブザーが鳴り、最後の球を金造は隣接する金網に投げ送ってリバウンドしてきた球を割った。
 その球の様子に金造は何故か顔を歪ませると「まあええか」とだけ呟いて此方に向き直り、手にしていた錫杖の先を地に付けた。
「志摩……金造…、下二級祓魔師」
「金造様でええわ」
「…………金造さん」
 小さい溜息を一つ零して彼の名を呼ぶと、金造は真夏の太陽の様に笑って手を差し伸べてきた。


 これが志摩金造との最初の出会いだった。
 金造は机に向かう科目はからっきしだったが、躰を動かす事にかけては全体的に人より頭一つ二つ抜き出ており、実際に自主練を金造の云う通りに変えた事で雪男の身体的負担はかなり減少した。金造はスポーツ学といったものを脳ではなく躰で理解しているらしく、彼の戦い方は野性の獅子が知恵を付けたイメージを彷彿とさせた。
 以降、雪男が養父を待っている間、金造はふらりとその姿を見せては困惑する雪男を気にせず振り回した。
 金造の存在に徐々に慣れていくと雪男はほんの少しだけ自分の事も語った。金造は雪男の言葉に頷いたり笑ったり首を傾げたりしたが、一番多く見せた表情は何処か考えるように眉間に皺を寄せる姿だったと思う。
 雪男も雪男で塾の仲間と戦う金造の姿と雪男と共に訓練をする金造の姿に違和感を憶え始めていた。塾の仲間相手には背を預ける癖に、雪男が相手だと雪男を守るように戦う節があったからである。
 そんな金造に雪男が違和感を抱いた事が原因なのか、それとも金造が雪男に何か思う事があったからなのか、原因は今となっても判らない。
 ただ結果として此の師弟に似た関係は長く続かなかった。
 それだけの話だ。



ストロボ




 晩秋。
 秋分を越え、九月も下旬となるにも関わらず京都は相変わらず暑い。無論東京も暑いが京都は盆地特有のじっとりとした暑さがある。雪男は新幹線から降りると騎士團支給のコートのポケットに忍ばせていたハンカチで汗ばんだ額をそうっと拭った。
 京都駅構内の雑踏の中に「あ、祓魔師や。若いなぁ」「あれ東京の制服やない?」などといった声が時折聴こえ、改めて京都と云う土地が独特の体制を取っているのだと認識させられる。
 一般社会では悪魔と云う存在は信じられていない。だが京都を含め、出張所が存在する一部の地域、地元住民には至極当然のようにその存在を受け入れられている。歴史の重みと云うものなのかも知れない。
「祗園四条駅ならやっぱり奈良線で……、この時間だと東福寺で乗り換えるのが一番早そうだな」
 タブレット型コンピューターを弄り、もう一度乗換確認をしてから鞄に仕舞い込み目的の路線へと移動する。
 余裕を持って新幹線には乗ったものの、京都は先の不浄王戦の応援に来た程度で不慣れな土地だ。任務や雑務で鍵を使って数時間程度来る事は何度かあったが、日本支部のように応援と云ったものを要する事が滅多に無い。
 小中学生時代に一度位は修学旅行で行っているだろうと云われそうなものだが、生憎祓魔師や訓練の方が忙しかった事もあり雪男は修学旅行と云った類を忌避していた。
 修道院が決して裕福では無かった故に旅行するという事に申し訳無さもあったし、双子の兄の燐も当時はやさぐれていて雪男同様そういった行事には参加していない。多忙な上に下世話な情報には疎かった為、友人と云える程の友人も学校に居なかった。だから特に後悔はしていない。
 タイミングよく来た電車に乗り込む。祗園四条駅に十三時集合と云われていた。乗継を失敗しなければ十分前には余裕で着く筈だ。此処の乗車時間は一駅で約二分。大した時間でもない為に次の乗換を考えながら時間を潰す。
 アナウンスの声に立ち上がり東福寺で下車すると、きょろきょろと左右を見渡す。無事に京阪本線の案内板を見付けだし、出町柳行きへのホームへ向かい、その儘直ぐに来た私鉄電車に乗り込んだ。
 空いている座席に無事坐ると、軽い疲労を憶えて小さく息を吐く。所詮五分で下車する事になるのだが、此処のところ普段以上に多忙で神経を擦り減らしていたからか少しだけ休みたかった。
 流れて行く代わり映えの無い昏い地下鉄の景色をぼんやりと見ながら、何故こうなったのかと改めて経緯を思い出していた。
 事の発端は兄弟子でもあり上司でもある霧隠シュラが唐突な提案をしてきたのが原因だ。
 ――ビリー。お前明後日から二日間休め。
 雪男が教員室に戻った瞬間、そう云って新幹線の往復チケットをひらひらさせてきたシュラの顔にはいつもの小馬鹿にする様なニヤニヤした笑みは無かった。だから雪男はただ眉間に皺を寄せて言葉の続きを素直に待った。
 ――世の中には労働基準法っちゅうもんがあんだよ。アタシらみたいな仕事だとあってねえよーなもんだけどな。お前ここ一ヶ月半ほぼ休んでねーだろ。流石に十八歳未満をこんな超ブラック企業レベルで酷使するわけにはいかねーんだよ。つってもお前、遊びのキャパ全くねーだろ? つー事で京都行ってこい。コッチも向こうも話はつけてある。ほら、お前も京都なら知り合いいるから安心だろー?
 ちょっと、とか。そんないきなり、とか。学校は、とか。それなりに反論をした憶えはあるのだが、それ以上に他の先生方も本気で心配そうに休養を勧めるものだから早々に折れてしまった。
 増え続ける悩み相談。七不思議。塾の講師。
 人工的に開かれた虚無界の門。啓明結社イルミナティ。
 ヴァチカン会議への召喚。――モリナスの契約書。
 雪男が抱いている問題の内、最後の二つはシュラしか知らない事だろうが、それを除外しても他の祓魔師達にも心配されているのは流石に申し訳が無かった。丁度杜山しえみに勉学を教えていた件も一区切りついた事もあり、その申し出をありがたく拝受した。
 労基に託けているだけで、恐らくシュラも心配してくれていたのだろう。それを判っていて素直に礼を云えるタイプではない為、「休みは兎も角、行く場所まで勝手に決めないでください」等とチケットを受け取る際に悪態付いて仕舞ったが、彼女の気持ち自体は有難いと思っている。
 祗園四条、とアナウンスが流れ意識がすっと戻る。座席から腰を上げ電車を降り、革靴の音を響かせて四条大橋北側四番出入口へと向かった。オフにも拘らず騎士團のコートを羽織ってきたのは、この辺りは平日でも人が多い為、四条大橋側にてこのコートを目印にしてもらう事になっていたからだ。雪男としても慣れた装備が手元にあるという事はいざという時に心強い。
 外に出ると一際じめっとした暑さが襲ってくる。予定通り十分前。シュラが話をつけた相手は志摩柔造らしかった。最早強制的とも云える休暇通達後に柔造から連絡が来て集合場所等の遣り取り程度はしてあった。他にも数名いる様だったが誰が来るのかは特に訊いていない。息抜きならばぶらり旅だと云う柔造なりの計らいもあったが、表向きは来賓として雪男を扱った方が色々と都合が良いとの事で、そう云う事ならばと一任してあった。
 四条大橋から鴨川を窺うと嬌声を上げて水遊びをしている子ども達が居て微笑ましくなる。良い意味で不浄王後に観光した時と何も代わり映えが無い。日本支部では悩み相談で祓魔師達が阿鼻叫喚しているというのに、そんな東京の様相がまるで嘘の様に随分平和な町だ。
 五分位そうやって鴨川を眺めていただろうか。
 ふと、白檀に似た上品な香の匂いがふわりと鼻先を掠めた。その香りが通りすがらずにこの場に留まっているのだと理解してやっと匂いの許へと視線を向ける。一メートル程度の距離を置いた所で褐色(かちいろ)の和装――しかしこの暑さにも関わらず京紫色の夏羽織迄羽織っていると云う重装備――の、京都出張所の者らしき青年が此方を窺っていた。
 青年、と云う形容が正しいのかすら判らない。身長は百七十センチない位だろうか。白目の比率が高いからか三白眼と感じるが、元々大きな眼で猫を髣髴とさせる。長めの前髪を中央で分け、肩胛骨の下迄ある長い黒髪を襟足から紙縒りでかっちりと一つに結んでおり何処となく時代錯誤だ。かなり中性的な雰囲気で、此方を見上げてきていている姿に喉仏が無ければ男と断言できなかっただろう。
 京都出張所の人間だと判別できたのは羽織の造りである。
「……ええと、日本支部の奥村雪男様。……で、お間違いあらへんでっしゃろか?」
 雪男も男にしては少々高めで好く通る声だと云われるが、相手は雪男よりも更に少しだけ高音の、風鈴を髣髴とさせる声音だ。好く通る綺麗な声だった。
「は、はい」
 その姿と柔和な声音に微かに動揺しつつも返事をすると、ホッとしたように目を細めて微笑んだ。
「奥村様」
「さ、様付けは止してください」
「……なら、奥村さん?」
「そ、そうですね。その方が落ち着きます」
 日本支部では自分が最年少で祓魔師の資格を得たからなのか、男女問わず大体「奥村くん」の敬称で呼ばれる事が多い。無論「奥村さん」と呼ばれる事もあるが、この人からさん付けで呼ばれる事が如何にもむず痒く感じる。全体から醸し出ている独特な雰囲気にも由るのだろう。
「不浄王の際は増援部隊にいらっしゃりまへんでしたよね? 増援部隊の方々は京都駅にお着きにならはったあと、京都出張所まで一通りご案内させてもろたんですが」
「僕は左目の奪還部隊でしたので到着が遅れまして……」
「ああ。なら、お初お目にかかります。私、京都出張所の土井と申します。今日はよろしゅうお願い致します」
「はあ。あの……」
 その応酬に思わず間抜けな声が出て仕舞う。丁寧だが淡々としており、人懐っこいと云うべきか状況判断が早いと云うべきか、臆さずさくさくと話を進めて行くようなのだが正直かなり調子が狂う。本人に全く悪気はないのだろう。此方の問い掛けの続きを待っているらしく、きょとん、と大きな瞳を開いて小首を傾げている。
 その様子は子どものようでもあり好々爺のようでもあり、雪男は如何答えたものかと視線は絡めた儘に心中で呻いた。
「こら、土井。メガネくん困っとるやろ」
 覚えのある声が後方から聞こえて振り向くと、私服姿の志摩柔造が困った風に笑いながら此方へと向かってくるところだった。やや後ろから弟の志摩金造が派手な恰好でついてきている。
 柔造はシンプルだが清潔感を感じる紺瑠璃色のラインが入っている鼠色のVネックのカットソーにデニムパンツ、金造は緋色のタンクトップにダメージジーンズ、更にシルバーアクセサリーを幾らか付けていると云う出で立ちだ。
「柔造さん、お久し振りです。……金造さんも」
「おん。二ヶ月振りやなぁ、メガネくん」
「その呼び方止めてくださいよ……」
「ほな奥村――いや、雪男くんでええか? 廉造からあんたの兄貴を奥村くんて紹介されとってなぁ。いざ名を呼ぼうと思うと呼び方で困んねんなあ」
「ああ……」
 苦笑を浮かべて雪男が頷くと柔造も満足そうに笑った。
「土井もおるし、これで全員やな」
 抑揚の無い声に雪男が顔を向けると、金造が橋の手摺に両腕を凭れ掛けながら詰まらなそうに行き交う人々を見ていた。そんな金造の様子に居心地の悪さを感じて、雪男は微風に揺れる金色の髪から視線を外した。
「柳葉魚や鳴海も来たいっちゅうとったんやけどな。どうしても外せん用があって来れんくてすまんな。千草らは家族サービスデーやねん」
「いえ。此方こそいきなり押し掛けて申し訳ないです。しかも全部お任せしてしまっているようで……」
「ええってええって。東京の方はえらい事になっとるみたいやん。身も心も休めるときに休めなな」
 人好きのする笑みを見せる柔造に、雪男も安堵感を憶えて微笑み返して頭を下げた。
 支部と出張所は大きく分けて二つの差異がある。
 一つはその土地を守り、維持する事が出張所の大きな役割である事だ。基本的に警邏隊が府中を巡回し、戦闘になれば祓魔隊が動員される。他にも件の深部やら情報部など多種多様ではあるが、完全な役割分担が形成されている。
 もう一つはそう云う組織体制を取っているが故にかなりお役所仕事に近いと云うところである。役所と警察を組み合わせた様な公務員体制であり、緊急事態でも無い限りはローテーションで確りと休暇を取る事だった。
 シュラが指定した日は丁度京都出張所の祓魔一番隊休みだったらしい。元よりそれを見越して場所と人を選んだのだろう。先の戦いで柔造達祓魔一番隊と雪男は共闘した為、多少気心が知れている仲だった。
「腹減ったわ……」
「先斗町に予約取りましたよ」
 体勢はその儘に情けない声を上げた金造に土井が穏やかな声を向けると、金造は軽く土井を睨んだ。
「高いやん。それに量少ないやろ」
「接待経費として落とします」
 当然の如くさらっと答えた土井に、金造は「ただ飯ならええわ」と不敵な笑みを浮かべて親指を立てる。柔造もそんな二人の遣り取りを慣れた風に見守っていた。
「奥村さんは抹茶塩の天麩羅大丈夫でっしゃろか?」
「あ、はい。平気です」
「立ち話もなんですし行きましょうか」
 先を歩きだした三人に付き従う様に雪男も歩を進める。慥か先斗町通は鴨川の西に在る筈だ。後方から三人の後ろ姿を改めて見直すと随分灰汁の強そうなメンバーだと思って乾いた笑みを浮かべた。






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