寝たのか、と尋ねる穏やかな声に、僕は先程見てきた幼い子供達を思い返しながら、ひとつ頷く。ええ、ぐっすりと。シャンパンの入ったグラスをゆらゆらと揺らして微笑んでいる人の、その身体を覆う真っ白な包帯につい視線を向けて、ぐっと眉を顰めた。痛々しいことだ。僕を庇ってのその傷に、胸を痛ませるこの感情が罪悪感というものだろう。

「そんな顔すんなよバニー。」

 少し呆れたような笑みだ。僕はそれを横目に、長く息を吐く。何処か遠慮がちに昔のことを尋ねてこられても、僕は口を噤んだりもしなかった。20年の孤独の、いざ言葉にしたときの響きのあまりの軽さに驚いたけれど、彼は何も言わずにいた。ふとした瞬間の、躊躇いが喉を詰まらせたときにだけ、彼は軽い調子で瓶を掲げて笑ってみせたのだ。「な、バニー、お前もグラス持ってこいよ。」潜めた声の、何かしらくすぐったいような調子は、優しくされているのだと知るには充分である。優しくされているのだ、恐らく、ずっと。
 どうして、僕のことなんか。つい先日も1人で口にした言葉が意図せず零れ落ちても、さみしいこと言う兎ちゃんだなあと笑うばかりだった。彼がそう在りたいと望む、ヒーローの姿そのものなのだろう。容易い調子で紡がれる綺麗事の齎す、その心強さというものは未だ理解の及ばない範疇のものではあるけれど、流石にそんなことくらいは分かるのだった。
 触れられたくないものなんて誰にでもあるもんなあ。そんなことを言って、彼は小さく笑う。だから無理するなよと、言外に言われているのだろうと思いながら、僕はディスプレイさえ使いながら言葉を紡いでいった。彼は幾らかアルコールを摂取しながら、しかし穏やかな相槌を打つばかりで、殆ど黙って僕の話を聞いていた。吶々と紡がれる僕の声は、まるで僕のものではなかったけれど、それは確かに僕の意志だったのだ。
 傷を抉るのではない、無遠慮に触れるのでもない、ただただ慈しむためだけの在り方だった。泣き出したくなるのは、これが初めてではなかった。

「――……この、眼下のネオンが美しいとかいうことなんて、考えたこともないんですよ。」
「どんな生き方をしてたって、ネオンとか空とか、気にしない奴は気にしないぞ?」
「でも、」

 しつこく食い下がる僕に訝しげな顔ひとつせずに、歯を見せて笑ってみせた。「ならさ、いつか分かる日を楽しみにしてろよ。」実感が少しもわかないいつかに、僕はそれでも何も言えなかった。
 気付けばぷつりと途切れていた意識は、けれど、柔らかに髪を撫でる手のひらをぼんやりと記憶していた。それが夢なんかではないことを、僕は知っている。僕は恐らく、ずっと、この人に当たり前のような動作で慈しまれているのだった。



言うほどなにもやってません
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