(黄→赤/べったべた) 規則的に上下する背を見ていた。 真っ白い机に突っ伏して、先輩はよく眠っているようだった。本来なら4人居る筈の室内にはしかし、彼以外は見当たらない。据え膳ってやつか? と軽口を叩きながら近付いても、珍しいことに起きる気配がなかった。 その、陳腐な表現をすれば燃えるような赤に手を伸ばし、指先だけ触れてみる。毛先を捩るようにしても、起きない。何かふとしたことで歯止めを失いそうな状況下ではあるが、それでも、手を止める気はなかった。指で髪をすき、撫でつけるように動かしてから、くるりと巻き付けるように弄ぶ。 「先輩、起きないんスか。」 手触りは決して良くはない。水気が足りていなさそうなパサパサとした感触に、けれどずっと焦がれていたのだ。 垣間見える、耳に触れる。僅かな身動ぎに、愉快になって笑った。起きて欲しいような、その逆であるような、我ながら女々しい感情だ。 「せんぱい。」 呼ぶ。起きない。触れても、まだ起きない。 常ならば触れさせてはくれないだろうこの人は、ここまで鈍くはなかった筈だ。地獄耳だとも言っていた。どんな小さな物音でも起きるとか何とか、例外もあるだなんて言っていなかったというのに。 「アンタが起きてる時も、こうやって、フツーに触れりゃいいんだけどな。」 仮に触れる機会があったとしても、それは必ず、甘ったるさの欠片もないのだ。 先輩がくれるものといえば鋭い眼光くらいか。しかしその眼光が、鋭利さを失わないまま俺の意識の中に入り込んで、気付いたらそれについてばかり考えている。それを、愛とか恋によく似た執着と呼んでしまってからというもの、ずっとこんな風に行き場がない。 早く起きてくれないと、と。 そこまで呟いて、口をつぐむ。 「……アンタはきっと、知らないふりをするんだろう。俺がどんな言葉を放っても、綺麗サッパリ忘れたように、次の日から普段通りに振る舞おうとするんだろうなと、最近、そんなことを考えるんだ。」 恐らくは先輩は、とても優しい種類の生き物だった。 それはもう、応えられないものに、当たり前のように人並みの罪悪感を覚える程度には。何も変わることがないようにと、なかったことにさえする残酷ささえ、優しいと呼ぶ。だけれどそれでは足りない。 「先輩が好きだと、そんな言葉で、手に入ればいいのに。」 なかったことにされたら、堪らないのだ。 今、俺は、こんなにも息苦しい。毛先に触れたままの指先が、何処にも行けない。その責任を取るべきだと思った。だから。 「――俺のコレは、寝たフリしてまでなかったことにしたいものかよ、先輩?」 笑いながら、低く呟く。びくりと身体が揺れた。 ずっと考えていたのだ。行き場がなければ、無理矢理にでも、作り出す努力をしなければならないと。 手のひらで肩を掴み、ぐいと後ろへ引けば、先輩の丸く見開かれた目と視線がかち合う。驚愕と戸惑いと、気恥ずかしさに似た色を浮かべた表情に、緩く唇を吊り上げた。 「くる、」 だからそうして、噛み付くように。 ――熱を帯び、痺れるような痛みを断続的に訴える口の端を舐め、含み笑う。 ずっと、脳裏から離れなくなってから、考えていたのだ。行き場がなければ、と。だから。俺はただ笑ったまま、先輩が走り去った方を眺めていた。 |