(高と緑/付き合ってないし付き合うこともない2人が星を見に行く話)




 流星さえ鉄屑かもしれないこのご時世に、彼はただただ美しい。


 自転車で行けるのは、山のふもとまでだった。古ぼけた木の立て看板の傍らに自転車を止める。白い息を吐きながら此処から歩きだと笑って振り返ると、リアカーの中で膝を抱えたまま、紫色の缶を両手で持ちながら緑間が頷いた。 白い耳当てに、クリーム色のマフラーと手袋をして、この上ない防寒対策を済ませている姿は、何度見ても少し笑える。
 寒いからか、のそのそと緩慢な動作でリアカーから下りたあと、彼は少し躊躇いがちに口を開いた。

「別に登らなくていいんじゃないか」
「此処まで来たら、てっぺんで見たいだろ」
「……見つかったら叱られるのだよ」
「結構平気らしいぜ? それに、真ちゃんだってノリノリだったくせにぃ」

 歌うように軽く聞き流しながら、黄色のロープを跨ぎ越えて登山道へ入った。まだ少し躊躇った顔をしていた緑間は、しかし仕方なさげな色を滲ませて、同じようにロープを越えた。オレは彼が、この天体観測を楽しみにしていたことを知っているし、その分厚いコートのポケットに、星座盤の入っていることも知っている。つまりは素直ではないだけなのだ。もうそんなこと、息をするみたいに分かっていた。
 全ては恐らく、読んでいた雑誌の裏表紙に、それは美しい星の写真が印刷されていたせいである。何とか星雲。赤いもやの弾ける、鮮やかな写真だった。
 昼休みの教室のざわめきの中で、緑間の声は確かに弾んでいた。――星が、見たいのだよ。そんな唐突で、仄かにロマンチックの匂いがするお誘いに、オレが乗らないわけがない。二つ返事だ。

 自転車+リアカーを必死で漕いで約30分、そこは周辺で一番、星の美しく見える場所だと聞いた。誰に聞かせるでもないけれど、オレの献身は、何時だって緑間真太郎のものだった。

「星が、見たいとは、言ったが」
「うんうん」
「この寒さで、山登りがしたいとは言ってないのだよ……!」
「だーって、真ちゃんに綺麗な星見せたいじゃん?」

 必死の情報収集の盲点は、寒がりなエース様のことを考慮していなかったことだろうか。笑いが止まらない。不安定な山道を進みながら、如何にも彼は不満げだ。歯の根が噛み合っていないとか、そんな、どんだけだよ。変に引っ張るから、最初きちんと巻かれていたマフラーがどんどん変な風になっていく。
 それを見つつ、つい自分のマフラーに手をやってしまいながら仕方ないなあと屈むように言うと、195センチの長身は素直に腰を折るのだ。さらりと緑色の髪が揺れる。いつもより近い位置で見ると、その造形はやはり殺人的に整っていると再確認出来た。涼しい目元、音を立てるような長い睫毛に、通った鼻梁――肌の白さも相俟って、彼はまるで彫刻のようである。せっかくの高い鼻も、寒さで真っ赤では勿体ない。なのに、どうして愛嬌を感じてしまうのか。我ながらどうしようもない。

「オレとおんなじ巻き方でいい?」
「任せるのだよ」
「あんまし引っ張っちゃ駄目だかんな。ちゃんと巻かないと、首寒いだろ」
「……ん」

 巻き直してやりながらのオレの言葉に、喋るのも寒いのか、こくりと頷く。かわいいなあと堪らなくなって、ついその細い髪の毛に触れた。やはり柔らかい。ぐりぐりと撫でてから手を離し、肩を軽く押せば、何でもない風に緑間はまた背筋をピンと伸ばした。「あまり撫でるな」「真ちゃん髪の毛さらっさら!」「……オマエもそれなりなのだよ」仕返しなのか、歩き出しついでに手のひらで後頭部の辺りを掴んでいった。何その一握り。撫でたつもりなのか。それなりって。言うべき言葉は沢山あって、茶化すためにも笑わなければならなかったのに、上手く声に出来なかった。背を追いながら見上げた、髪の隙間から覗く耳が赤い。嗚呼。――あーあ。かわいいなあ。

 山と呼ぶには小さなそれを制覇するのに、健康なオレ達の脚力では20分と掛からなかった。本当に小さな山なのだけれど、頂上は開けた空が見えるからオススメだとみんなが教えてくれたのだ。
 ――電線の走っていない、木に囲まれて丸く切り取られた夜空は、まるで天然のプラネタリウムだった。
 なるほどこれは、確かに。思わず感嘆の声が漏れる。オレの情報網、なかなか褒められたものだと思うんだけど、どーよ。隣で真上を見ている緑間ににやりとしながら尋ねると、唇を僅かに開いた、驚いた表情のまま、慌てたようにオレを見た。少しの間、ぱくぱくと意味のない唇の開閉があって。

「……わ、悪くない、のだよ」
 呆けていたくせに、本当に素直じゃない。くつくつ笑うオレを見て、あからさまに不機嫌になった緑間の背を押して、すぐ傍の平たい岩の上に座るよう促した。「タオル、あるけど敷く?」なるべく苔の張っていない、綺麗な岩を選んだのだけれど、潔癖具合が予想出来ない緑間にそう尋ねてみる。結局何も答えず岩に腰掛けた。そんなに拗ねるなよ。

「水筒にもうちの母親がおしるこ入れてくれたけど、飲むっしょ?」
「そう易々とオレが釣れると思うな」

 とか言いながらも差し出された手のひらに、水筒のキャップを手渡してやる。言動と行動の不一致に愛らしさを感じるのだから、オレのツンデレ好きも末期だ。緑間真太郎はとてもかわいい。かっこよくて、きれいで、かわいい。何処かでオレはオマエを丸ごと肯定している。対等に扱ってみせる、その右隣あたりで、迎合している。
 オレは緑間のことが好きなのだろうな、と時折思うことがあった。けれど、同時に、それを口に出すこともないのだろうなということも分かっていた。

「あったまる?」
「…………温まるし、うまいし、星も綺麗なのだよ」
「ふは、そりゃー良かった。準備を万端にしてきた甲斐あったわ」

 青いステンレスの水筒から真っ白い湯気が出ている。そこに吹きかけられる息も白い。口を付けて、ふんわり和らぐ、緑間の表情を見ていた。ぱちり、と怪訝そうな視線とそんなオレの視線が交わる。

「オマエも飲むんだろう」
「んーオレにはちょっと甘いから、まだいーよ」

 2杯目を注ぎながら首を左右に振ると、少し不満げに眉が寄せられる。それより星座盤貸して、と笑って言えば、ぎゅうっと更に険しい顔になってしまった。「何故分かったのだよ」って、そんなの、リアカーの中で満足げに眺めていただろう。半円上のそれが何なのか、オレは一瞬分からなかった。たまたま見えただけなのだけれど、「だってオマエのことだから」と茶化すように笑いながらのぞき込むと、ぴしゃりと額を叩かれた。痛い。
 茶色のコートのポケットから出され、放り投げるように渡してくれたそれの使い方、小学校あたりで聞いたことがある気がするなあ。上半身を目一杯反らして、それを通して丸い空を見上げてみたものの。何処に合わせればいいかも分からなかった。んん、とひとつ唸ってから、早々に切り上げて緑間に向き直る。

「そういや真ちゃん、こないだの流星群見なかったの?」

 きょとん。そんな効果音が付きそうな、幼い表情がオレを向いた。
 ああほらこないだの、先々週くらいに、みんな騒いでいた、と言葉を付け足していっても、緑間にはピンときていないらしい。緑間は、ここ最近少しだけ改善されてきたとはいえやはり変だし、近づきがたい人間ではあるので、そういう情報に少し疎いのだ。メールででも教えてやればよかった。オレ自身興味なかったからなあ。後悔しつつも、仕方のないことだから、困ったように笑ってみせる。

「10年だか12年に一度のやつ。何か、このへん見えたらしーぜ」
「それは、……惜しいことをしたのだよ」
「次、オレまた此処まで送り迎えしてやろっか?」

 それは冗談混じりの言葉だったけれど、緑間は一も二もなく頷いた。当然だ、って、むしろわざわざ口にしたオレを非難するような表情でさえあった。一瞬声が出なくなるところだったけれど、何とか持ち堪える。全部無自覚なのだから、真ちゃんは狡い。

「……そんときは流石に車で、オマエは助手席な」
「車ならもっと遠くに行けるな。更によく見える場所があるだろう。また任せたのだよ、高尾」
「えーまた下調べオレかよ! ほんっとワガママ!」

 ――笑いながら、正直、頭の横を思い切り殴られたみたいな衝撃さえ感じていた。自分の声さえ少し遠い。眩暈がした。
 緑間真太郎は欠片の疑いもなく永遠を信じている。オレがずっと隣に居るのだと、無条件で受け取っている。それを当たり前だと思っている。その不変が、泣きたくなるくらいには嬉しくて、同時に少しだけ悲しくもあった。狡い。そんなの、オレが手放せるわけがない。だから、言えないなあと、何度でも思うのだ。
 嗚呼、

「任せて真ちゃん。綺麗な星空見に行こう」

 そう笑うと、自分で言ったくせに緑間は驚いたように目を瞠った。オレはいつも通りに言えた自負があったから、何に驚いたのかは分からなかった。丸い目玉が、ビー玉のようにてらてらと光を反射している。ぱちり。幼い印象の瞬きをひとつして、形のいい眉を顰めてから、一度、きゅっと唇を噛んだ。それは緑間が、照れくさいのを堪えるときの動作だ。そのままマフラーに口元を埋めて、目を逸らされる。そんな顔をされるとオレまで照れるだろう。なあ、言葉もなく、笑うことしか出来ないけれど。
 緑間の中の友情はひたむきな美しさをしていた。オレはオマエの掛け替えのない友人だ。オレもオマエをそう思っている。愚かにもそれの延長線上、派生的に生じた感情に、恋なんて名前を付けたオレのことを、そのひたむきさが糾弾する。妄想をする。
 言えるわけもない。
 だって、友人である限り、きっとオレ達は永遠だった。

「……こないだの現代文でさー、読んだ評論の」
「ああ」
「宇宙の鉄屑の話、すっげえ印象深かったんだけど」

 この上にゴミがいっぱいって、夢のない話だなあ。
 オレを嘲るつもりをほんの少し溶かし込んだ言葉に、緑間はいかにも潔癖そうに顔を顰めた。「オレは」吐息混じりの声は低く掠れている。耳に心地いい声。好きだなあ、と噛みしめるように思うオレの気持ち悪さを、オレはよく分かっているのだ。好きだよ緑間。馬鹿みたいだろう。「4500トンのゴミの溢れる空に、何かを言えるほど大人ではないのだよ」幼い、拗ねたような言い方だった。言葉が思い浮かばなくて、それでも何かを投げ返そうとしてくれる、それは緑間の真摯さだった。どんな思想も、科学も、哲学も、緑間真太郎を通して見るとそれはオレにとってのファンタジーだ。夢のように美しかった。
 胸が詰まって言葉が出なくて俯いたとき、吹き込んだ風が冷たくて少し身震いをする。それだけの動作に、緑間は慌てたようにオレに向き直る仕草をした。

「寒いのか、高尾」

 そうして、その綺麗な顔に影が落ちるのを見た。我ながら必死になって否定をする。自転車を漕ぐからとあまり着込んでこなかったのはオレの失策で、オマエがそんな顔をすることはないのだ。無理矢理に水筒のキャップを持たされて、拙い動作で注いでくれる。さあ飲めって顔でオレを見る、その視線の躊躇いのなさ、真っ直ぐさに、オレはきっと情けない顔しか出来ていなかった。眉を下げて、分からないように目を伏せる。

「自分のことにも気を使ったらどうだ」
「ホント、そこまで寒くねーからさ、大丈夫だって」
「……オマエが風邪を引いたら、困るのだよ」

 ――だってオレ、真ちゃんがあったかいなら、それでいーよ。
 言おうとして、けれど何も言えなかった。喉が引きつる。目元に熱が籠る。泣いてしまいそうだった。鮮やかな幸福は、どんなに小さなものでもオレを満たすということ、彼は知らないのだろう。だからオレはまた笑う。顔を上げて、いつものようにへらりと笑って、じゃあさ、と緑間に向き直る。急いで飲み干して閉じた水筒を、傍らに置いた。

「手袋、片方だけ貸して?」
「片方でいいのか?」
「ん。それでージャジャーン! ホッカイロー!」

 左手で手袋を受け取って、ダウンジャケットのポケットからそれを取り出すと、緑間は小さく首を傾げた。
 それを横目に、カイロを持った右手を、差し出してもらった緑間の左手に重ねる素振りをする。「ほら、こうすりゃあったかいっしょ」――なーんてな、と笑って、その手に手袋を返すつもりだったのだ。カイロがあるから平気だと、そう放られる筈だった言葉は、しかし何の躊躇いもなく繋がれた手に行き場を失った。ぎくりとする。

「なるほど、ないよりマシなのだよ」

 そんなことを言いながら、勝手に納得した風に、絡めた指越しに緑間は真っ直ぐにオレを見据えた。屈託のない目だった。そこには一片の曇りさえない。オレの疚しさを晒すことを呑み込ませる、いつもの、綺麗な目だった。星か月か、仄かに光を反射する。ちかちかと、オレの目を眩ませる。ただただ見とれた。唇を噛む。

「……真ちゃんの目、星が降ってくるみたい」
「星?」
「超きらきらしてる」

 上手く笑えているだろうか。
 美しくはない感情を、美しい言葉に変えることに、オレはずっと心を砕いている。――忘れるな。忘れるな、と。何をするのでも、そんなことを、考えていた。
 祈りながら真っ直ぐに頭上を指差す。この辺りでは一番だという、その素晴らしい球体の星空を。

「宇宙のゴミじゃない、やつ、な」

 そうして本当の星でもなく、だって、オマエにいつか燃え尽きるようなものを例えたくはない。そうして、オマエ曰く4500トンの鉄屑の浮かぶ空に、オマエが相応しいわけもなかった。全ては夢物語ではあるけれど。
 目線が泳ぐ、緑間の見せたその逡巡に、心臓が跳ねた。オレは何時でも拒絶に怯えている。けれど緑間は、淡い微笑みを、抽象的に唇の端に滲ませたのだ。そういうとき、今見える世界のすべてが緑間を中心に再構成される。オレの目を焼く。それは一種の盲目であり、どこまでも恋だった。

「もし、オレの目の前に星が降っているとして、」

 この、眼前に、と。
 指し示した先、弛んだ目尻は、仄かに赤みを帯びていた。真摯な目線は、正面から受け止めるには毒なくらい柔らかな熱を湛えている。たかお。拙いたった三文字、オレの名前が、オレを殺せるくらいのものだと、緑間は知らない。

「馬鹿みたいに星を降らせるのは、オマエなのだよ」

 嗚呼、と息が漏れた。世界の真理を上から散らされて、目の前が開けるような感覚だった。全てはファンタジーであり、そうして紛れもない現実だ。そうだよ緑間、オレのほとんど全部は、オマエに星を降らせるために。その煌めきを、美しい目に焼き付けるためだけに。
 抱え込んだ膝の上、固く握った拳に、祈るように額を押し付ける。祈りの言葉は知らないけれど、緑間はまるで、神様のようだったから。吐き出した息さえ震えるような深い感慨に打ちのめされて、それでもオレは、オマエが好きだ。だいすきだ。
 忘れるな。忘れるなと、オレはどうしようもなく祈り続けている。日常の中、こんな些細な非日常を演出するときでさえ、オレはただただ必死なのだ。何をするのでも、世界の何を見ても、オマエがオレを思い出しますように。これから先の、どんなものにでも、全てを通り越して思い出に微笑んでくれますように。――例えばオレが、そうであるように!

「真ちゃん、……しんちゃん」
「うるさい呼ぶな」
「なに、照れてるの」
「……先に帰るぞ」

 そんなことを言いながら、オレが肩口に凭れ掛かっても緑間は何も言わなかった。繋いだままの左手には、ぴくりと僅かに力が込められたけれど。上目に伺い見た赤い顔も、目元が穏やかだったものだから、オレはマフラーを口元にまで押し上げて一度目を閉じる。しんでしまいそうだ。なあ、緑間。オマエはオレにどれだけくれれば気が済むの。緑間真太郎で溢れるオレの中身。恐らく恋をするあらゆる人間に訪れる、これが最後の恋だという馬鹿げた錯覚を、オレは後生大事に抱えていくのだろう。緑間、でいっぱいになった頭のなか、心の隅から隅まで、その何処かから、全部ぶちまけたい衝動はそれでも起こらない。
 オマエがオレの身勝手さを星だと呼ぶのなら、オレは何時までだって、そうやって生きていこうと思うのだ。そんな風に思うくらいには、オレはオマエが好きだった。同じくらい、大切だった。大切な相棒で、親友だった。

「ああ、なあ、星を見るたびに、思い出しちゃうなあ」

 堪え切れずに音として飛び出させてから、笑って言ったそれを後悔する。何を、という明確な形を成した後悔ではない。ただ、オレのこの疚しい感情が、ほんの少しでも何かしらの重さを伴って緑間に向けられることが、オレには許せなかった。
 それなのに薄く開いた目で見た緑間は、まるでその言葉を噛み締めるように目を細めていた。星を、見るたびに。一度ゆっくり繰り返してから、躊躇いがちに目を伏せて、長い睫毛が寒色の光に照らされた顔に影を落とす。静謐の筈だろう情景を無に帰すような、何処までも生きた表情だった。

「――……オレも、だ」

 瞬間的に息も吸えなくなるような質量の感情を、昇華するのは何時だって緑間の美しさだった。
 永遠を願うオレの、そうだそれは、呪いだったのに。
 精一杯のそれさえ、緑間は濁りのない目と柔らかな微笑みとでもってどうしようもないものにする。何の打算もない、満ち足りた顔。それを網膜に焼き付けるつもりで、ずっと見上げていた。思い出は永遠だ。どうしてそんなに幸せそうなの。なあ。オレも幸せだ。真ちゃん、幸せだよ。恋は何度でも殺される。永遠のためだ、仕方ない。オマエもきっと、もしかしたら、そうでしょう。思って、笑った。涙は出なかった。ただ幸福だった。


 流星さえ鉄屑かもしれないこのご時世に、だってオレは、こんなにも。



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