(高緑/甘ったるい夕暮れの話)



 真ちゃんってさあ。

 読書中だろうが勉強中だろうが真正面から掛けられて、人の集中を妨げる声なんて、もう慣れたものだった。緑間が無視しようが低い声で答えようが、結局高尾の話は止まらないことも知っているので、日直の生徒が書かなければならない日誌を埋めていく手は休めずに、ちらりと視線だけを向けた。椅子を普段とは180度向きを変え、緑間の机に頬杖をついた高尾は、そんなことにもへらりと笑う。

「真ちゃん左利きじゃん?」
「それがどうしたのだよ。」
「右利きと使う脳って違うんだろ? だから、何か世界の見え方とか違うのかなあって、ふと思って。」

 何かと思えば、とつい吐き出した溜め息でさえ、高尾を笑ませるに充分なものだったらしい。意味が分からない。よく分からない彼の哲学、を、普通ではない信念に固執して生きる緑間がどうこう言えた義理はないのだけれど、思わずにはいられなかった。

「右利きの世界とやらを、体験したことがなければ答えようがないだろう、そんなもの。」

 極々単純な比較論だ。高尾は納得したように頷いて、比較対象を出せばいいのな、と悩むように目を伏せた。夕焼けの橙色を受けて、それに似た色の瞳に影が落とされるのを見ると、緑間はいつもぎくりとするのだ。理由なんて、分からないが。
 視線を落とした先、今日あったこと、を記すべき欄は、天気について当たり障りなく述べた後、一向に埋まらない。こういう場に記すに相応しい出来事を思い返そうと止まったペンを握る左手へ、すっと寄せられた高尾の手に、ふと顔を上げた。並んだ手を興味深げにまじまじと見詰めてから、高尾はやはり笑ってみせる。「やっぱ、綺麗な手ぇしてんね、真ちゃん。」大事な左手だと、何時だって不用意に触れたりしない高尾のことを、眩しく思うときが、緑間には時折あった。

「あれ、今日あったこと、埋まんねぇの?」
「人の目に触れさせてもいい事柄か考えているだけだ。」
「オレの今日あったことは割と何時でも真ちゃん一色だぜ!」

 茶化すように笑いながら、ふと、その目が真剣な色を垣間見せる。粗方のものは見通せるだろうその目、が、緑間を真っ直ぐに見ていた。どきりとした。
 ――なあ、ひとつ、さっきの続きなんだけどさ。
 秘密でも打ち明けるような潜めた声音は、どこか照れくさそうでいて、しかし悪戯な色をちらつかせている。例えば、と顔を寄せられ、上目遣いに覗き込まれれば、緑間は思わず体を後ろに引いた。

「例えば右利きのオレの世界って、真ちゃん中心にキラキラしてるんだけど、どう?」
「どうとは……馬鹿げたことを言うな。」
「何だよ緑間、照れちゃった?」

 夕焼けを差し引いても仄かに赤い顔をしているくせに、高尾はそんなことを言う。笑う。甘ったるくて軽い言葉とよく分からないがそれなりに真っ直ぐだろう哲学と、そういうもので作られるこの夕焼けみたいな物事が、緑間の毎日の、今日あったことを埋めていくのもまた事実だった。その目映さが目を焼く錯覚を、自覚していないわけもない。正しい拍動を見失う心臓の息苦しさに、改めて深く、息を吸う。


「比較対象にならないのだよ。――オレの世界だって、そうなのだから。」


 放った言葉に丸く見開かれた吊り目を、珍しいものだと見詰めてから、得意になって少しだけ笑った。少し拗ねたような赤い顔が、意を決したようにもう一度寄せられても、緑間は今度は身を引いたりしなかった。


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