(兎虎/ふたりめの話/ヤンバニ?)


ニ番目のあなた



 最近どうにも夢見が悪くて、なかなか寝付きも悪くなった。眠りたい気持ちと同じくらいに、繰り返される夢への嫌気があって、少しだって眠りたくないのだ。
 そのせいで隠しきれないほど顔色が悪かったようで、虎徹さんには心配をかけてしまった。大丈夫か、と僕を覗き込む彼の、一対のアンバーの透明さに別の眩暈を覚える。

「大丈夫です。……ご心配お掛けして、ごめんなさい。」
「あからさまに大丈夫そうじゃねぇぞ、」

 首を振るばかりの僕に、彼は呆れたように息を吐いた。頬杖をついたまま、僕の手元を指差し、「珍しく進んでねぇじゃん。」と小さく零す。優しいなあと思う。その優しさは僕を柔らかく包むのに充分過ぎるほどのものだ。――虎徹さんがキスしてくれたら、元気が出ますよ。笑いながら言った僕の頭を、彼が小突く。後でな、と髪の毛をぐしゃぐしゃと乱され、何というか、素晴らしく満たされているのだった。
 それに幸福という名前を付けて、後生大事に抱えていきたいと思っている。



「また同じ夢を見ているくせに?」

 それは正しく僕を揶揄していた。弾むように楽しげでいて、隠しきれないほど、蔑みが滲んでいる声だ。

「見たくて、見ているわけじゃありません。」

 夢の中で、僕は僕に良く似た人間と対峙していた。場所はいつも違うけれど、決まって夢特有の突飛さを感じない、実在する其処と少しの差異もない完璧な背景なのだった。彼は見ていて気味が悪くなる貼り付けた笑みで、一定に保たれた距離の先で両腕を広げて朗々とした声をあげる。

「夢は深層心理だ! 望んでいることしか、夢には見られないさ!」

 必要以上のものが何もない僕の部屋に、それは高らかに響いた。聞きたくなくて耳を塞ぐ。睨むように見やれば、彼は哀れにうずくまる僕を酷く楽しげに見下ろしていた。わざとらしいほど丁寧に、ゆっくりと唇が動いて、僕の名前を呼ぶのを見ていた。
 ――証拠に、おまえが一番欲しいものを当ててあげようか、



「……おいバニー? 大丈夫か?」

 ふと、目が覚めた。何時の間にか俯いていた顔を上げると、虎徹さんが険しい顔をして僕を覗き込んでいる。思わず辺りを見回すと、トレーニングルームのベンチだった。微睡む前までは居た他のヒーロー達はもう皆引き上げたらしい。

「もうちょい寝かしとくつもりだったんだけど、うなされてたからさ……」
「悪い夢を見るんです。ただそれだけですよ。」
「おまえなあ、」

 何か悩み事があるなら言うべきだと虎徹さんは言う。たとえ全て言わなくても、もっと頼って欲しいと言う。彼が吐くのはいつも美しく正しい言葉ばかりだった。僕はそれに酷く憧れもするし、歯痒く思ったりもする。悩み事を言ってくれないのは、彼の方だ。

「眠れないんだったら、夜、バニーん家行ってやろうか。」

 軽い調子の声だった。見上げる僕の視線は、意識せずとも、それを見ていたのだろうか。虎徹さんも、首に巻いたタオルを引いていた手にある、それをちらりと見下ろす。責めるような目をしたつもりはなかった。しかし彼は、傷付いたような、申し訳なさそうな、情けない眉の下げ方をしながら、僕を一度呼んだのだ。

「……冗談だよ。」

 彼はとても懸命で。
 僕に順位をつけたりはしなかったけれど。
 ――それでも僕は知っているのだ。




「賢明であることがとても得意だ。」

 驚くほど近くで、男は幾分真面目な顔を晒している。僕の右肩を掴む手を振り払おうとした体はしかし、後ろに壁でもあるかのように動かなかった。これは一体何処だろう。辺り一面、今までの夢と打って変わって、ただただ真っ白な空間だった。上下左右すら覚束ない。くらりと、眩暈を覚えた。

「現状に満足だ。此処が幸福だ。あなたに、何番目だろうと、確かに慈しまれている。愛されて、許されている。」

 そんな僕に構うことなく、男は言葉を重ねていく。眼前で、アップルグリーンの瞳が、緩やかに瞬く。僕の思うことそのままを淡々と読み上げて、男はまた、僕に向かって唇の端だけを吊り上げた。

「欲しいものを当ててあげようか。」
「……いらない。僕は、その通り、幸せだ。」
「嘘を吐くなよ。」

 侮るような笑みの浮かべ方だ。吐き捨てられた言葉が軽いことに、少しも構うことはなかった。

「一番になりたいだろう? そうあるための、同情心に訴えかけるような言葉も、表情も、そういった有り様全部、夢想しているだろう?」

 耳を塞ぎたくても、やはり体は思うように動かない。それでも無理矢理に動かした手のひらが、男の手首を漸く掴む。目一杯の力を込めると、男は僅かに目を見張った。少なからず意外な行動のようだった。しかし僕がそれ以上の言葉を紡げないのを見て取ると、綻ぶように微笑んでみせた。耳元で囁かれる言葉の、その、密やかな甘ったるさといったらない。

「閉じ込めてでも、僕だけを見て欲しい。」
「……そんなこと、考えたこともない。」
「あの人が助けたくなるような、助けずにはいられないような、気味が悪いほど不安定な自分になればいいって、知っているくせに。」

 なあ、そうだろう、と諭すように柔らかに尋ねられる。花びらを幾重にも重ねたような笑い方だった。
 その左の手首をきつく握り締めていた僕の手のひらから力が抜けて、だらりと垂れ下がる様を、男は満足そうに見やって笑った。心の底から滲み出したものが、抑えきれず溢れるような、そういう笑い方で、彼は――紛れもない僕自身は、朗々と高らかに声をあげるのだ。

「無害を気取ったって、あの人はずっと傍には居てくれないよ、バーナビー!」




 そうして、ふと、僕は目を覚ました。


 どうやらまた夢を見ていたらしい。ふと訪れた微睡みからの覚醒が、いつもと違って清々しいものであることに、あくまでポジティブな衝撃を受けた。何か普段の悪夢と違うところなどあっただろうか。そもそも、今日はどんな夢を見ていたのだったか。
 往来に佇んだまま首を傾げていると、ずっと先で虎徹さんが訝しげに僕を呼びながら振り返っているのを見つけた。そんなに大きな声をあげなくたって。人混みの中でさえ、彼を見失うようなことはないのだけれど――嗚呼、それでもやはり。やはり、ずっと傍に居たいなと思わずにはいられないのだ。優しい触れ合いを重ねられる距離に、ずっと、と。
 鈍い痛みを訴える左の手首を笑みさえ浮かべて擦りながら、彼を追うために、ひとつ足を踏み出した。


一番目の僕
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