(家→三/何かしらルート後/居ない人間の幻を見る)




 冴えた月の美しい夜だ。
 そういう夜には、何故だかどうにも寝付けなくなることがあり、縁側に出て涼むのが癖になってしまった。ひやりと、何時であろうと何処か冷たさを湛えた風が頬を撫でるのを、身震いをして受け止める。嗚呼、と零れる掠れた吐息が、自らのものだとは信じたくなかった。
 冷たい板張りの感触を、確かに足の裏で感じている。己が己の足で立っていることを執拗に認めてから、我ながら緩慢な動作で、少し離れた場所を見遣った。

 そうして、其処にぽつりと在る、幻の名前を呼ぶのだ。

「――……三成。」

 それは、決してこの場に居てはならぬ姿だった。
 まるで夜の闇そのもののように密やかに、あるいはあの月のような静謐ささえ纏って、彼は確かに其処に在る。白銀の髪が、風に揺れない様を立ち尽くしたまま見ている。何ひとつ相容れない己達の中で唯一似通った瞳の色が、しかし、彼のものだと思うと嘘のように美しいなあとそんなことさえ考えた。
 彼は何も言わず、微動だにもしない。真実無益で精巧な幻影だった。
 何時からかは忘れてしまった。ただ湖面の如く冷え切った静かな二対の蜜色が、延々と此方を見詰めるのを認識しながら、長い夜が明けるのを待つだけである。

 幻は、あの根深い憎悪を向けることもない。かといって、諦念じみた眼差しを向けるでもない。その眼は、余りに感情に乏しかった。
 在るのは、何処か虚ろに佇む、永続的な空虚のみ。
 この頭が見させているのだから、当たり前ではあったけれど。虚ろな姿を闇に隠すように、この日は必ず、月だけが目映い夜である。そうして出来た影の中に溶けている、幻だった。

 ――美しく、哀しい、と。言葉にするならば、それしかないと常々思っていた。変わらぬ痩身を、笑みさえ浮かべながら眺める男は、さぞかし滑稽に見えることだろう。幻ではない彼だったならば、その鋭利な刃を突き付けて、毒のような言葉を吐くだろう顔をしている自覚ならばある。

「化けて出る程、お前は……いや、ワシの気が、触れただけか。」

 いっそ笑いが止まらないのだ。緩やかに退路でも断たれているような感覚さえあった。其処に在るのみの幻が、此方に何か働き掛けることなど、決してないというのに。
 それでも。全く救いようも無い、愚かしさだけれど。
 この胸中を満たし、この頬を弛ませ、この眼に眠ることを許さないのは、確かに仄暗い、愉悦にも似ていた。大概気が狂っている。例え幻であろうともと、後ろ向きな歓喜が、全てを覆っていくのだ。
 嗚呼、嗚呼、と喘ぐようなこの声が、酷く滑稽で哀れなものとして耳を打つ。自らの浅ましさに吐き気さえ覚えた。泣きたくは、無い。哀しいことなど何も無い。あるとすれば、幻さえ満足に見られない、己自身であろうか。
 己の気が触れただけなのだ。ただどうしようも無い程に、そうなのだろうと思う。
 幻に手を伸ばした。脳が眠ることを拒んでいる。清々しいまでに冴え冴えとした明瞭な五感は、しかし、幻を現にすることはない。幻に触れることは、生涯ないだろう。嗚呼、

「泣かないでくれ、三成。」

 意味も無く呟いた。幻に表情など無い。だからこそ泣いているのは、あるいは、己自身かもしれなかった。――泣いているのは貴様だろうと冷ややかな声が響かないことを、深く刻みつけるように目蓋を閉じる。再び目を開けたとて、消えないあの幻の、末路は知らない。知るわけもない。

「三成、三成、……みつなり、」
 ただ、分かるのは、ひとつだけ。
 己がこうして、この怜悧なる夜を幾度と無く繰り返し迎え、醒めた視界の中で、幾度と無く幻を見て、我が身の為にその名を呼びながら。そうして、そうやって、生き続けていくだろうということのみだった。


 多分初めて書いた家→三を、ほとんどそのままに。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -