(家康/家→三/赤ルート後)



 ――夜の闇の深いせいであろうか、見上げた先の己の目は、覚えよりもずっと暗い色をしていた。
 そういえば己の目をまじまじと見る機会など少ないものだと、ゆるゆると首に絡み付く十指を感じながら、場違いなことを思う。音のない夜だ。木々の擦れる音さえ聞こえない。それが腹立たしく思われて、小さく息を吐いた。すると、身体に跨る己に良く似た影は、いやに流暢な動作で微笑んだようだった。

「――……嗚呼、ほんとうに、酷いことだ。」

 声を上げたのは己か影か、どちらであったろう。笑んだままの口元を憑かれたように見ていたが、それだけはどうにも分からなかった。ただただ動くことが億劫で、耳鳴りのする静寂が不快で堪らなかったのは確かだった。
 噛まれて歪になった親指の爪が、喉に食い込む痛みがある。己のそれを無意識に確かめようと手を動かしたつもりが、ぴくりも動かなかった。

「未だ期待しているんだろう。延々と、浅ましく、愚かしいことだと分かっていながら、」 自分と同じ顔が嘲るように押し殺した声を立てるのを聞いていた。
 何をだろうかと、動かない頭で考える。今はもうただのひとつも望むことなどないような気さえしているというのに、何を期待しているというのだろうか。
 どうにか動かした唇は、掠れた声だけを漏らした。だから、先の声は影のものだと知れる。そんな己を見下ろしながら、堪らなそうに、噛み殺しきれないように、唇の端を吊り上げ醜く笑う顔を見ていた。――見ていた。

「そんなだから夢を見るんだ――こんな、夢を。」

 これは夢なのかと、その言葉を理解するより先に、笑いながら何故だろうか泣いているような声音を紡ぐ姿は、気の毒なほど哀れに見えた。
 唇の端が引き攣っている。眉を寄せて苦しそうに、それでも笑っているようなつもりでいるのだ。どうして今更これがこのような顔をすることがあるだろうか。他人事のように考えながらも、ワシは何時でもこのようであったな、とも思う。
 こんな見るに堪えない笑顔を浮かべるたびに眉を顰め、刺さるような言葉で責め立てた者はもう居ない。生きて行くための虚勢じみた嘘さえ許さなかった真っ白な存在はもう居ないのだ。居ないというのに――影はまだ、そんな顔で笑っている。

「目を閉じれば覚めるものが夢だ。」
「……ゆめ、」
「お前が望むものなど、見られるわけがないだろう?」

 ようやくに絞り出した声に、影は自虐的に吐き捨てた。首に絡み付く指は、忘れ去られたように力が抜けている。もうそれ以上、力が入らないのかもしれない。
 影はただ笑んでいる。
 顔を歪めれば歪めるほど、醜い笑みを形作って、もうそこから二度と動けないようだった。それが余りにも滑稽であったから、やっとの思いで笑声を漏らした。いやに掠れた、当たり障りのない、歪んだそれが空虚に響くのを聞いていた。
 嗚呼、と。やはり、これは夢だと思う。夢でなければ――これがこんなに、己に優しいわけがないのだから。
 首に絡み付く指が、どうしてあの細く骨ばった、色のない冷たい指ではないのか。そればかりを考えながら、目を閉じようとする。
 その間際に見えた――唇を噛みしめ、力の入らない指を自分のものではないかのように見下ろし、その理不尽さに嘆くその顔は、笑える程に醜かった。
 もう笑うことしか出来なかった。



ねがえどもねがえども


   夢のなかでさえ。
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