※大量の我が本丸設定+歌仙兼定の破壊台詞を腐向けな形で弄っておりますのでご注意をば。
【早朝に死んだ夜鳴鳥】
「ほら、頑張れ、もう少しだ」
夜闇を進む、人影。
「……ワリィ、二代目」
それは、二口の刀共による逃走劇。
本日の出陣は敗戦に終わった。仕方がないといえば仕方がないのだろう。常と布陣が大分異なっていた。
先日、第一部隊に在籍している堀川国広が負傷。その代わりにと第二部隊在籍の和泉守兼定が名乗り出て、臨時として第一部隊と共に出陣した。流石、代わりとしてでも第一部隊に抜擢された刀だ。本戦では意気揚々と何度も誉を取るだけの実力は確かにあった。
しかし、突然の検非違使の猛攻には幾ら何でも耐えようも無かったのだ。そこを、崩された。和泉守兼定は遠戦時に撃ち込まれた弾丸で重傷。それを庇おうとして初手の遅れた脇差二口も負傷。隊長である歌仙兼定を含めた打刀三口はその時点では無事だったが、検非違使に勝利するには少し、少し戦力が足りなかった。
「……オレのせいだ。オレのせいで、部隊が……」
それを一番に悔やんでいるのは部隊の弱点そのものであった彼だろう。彼の連度の低さ故に全てが瓦解した。検非違使は敵を選ぶかの様に彼等刀剣男士の写しが如く、一番に鍛錬を積んだ刀に力を揃えて現れる。和泉守兼定は他の隊員と並ぶと、練度に関してはどうしようもなく拙かったのだ。そしてその拙さを補おうとしたがために六口の第一部隊中四口が刀剣破壊。百を超えていた筈の刀装の兵士達も全滅と言う結果となってしまった。
「今更泣き言を零してどうする。今は何も考えずに堪えるんだ。悔やむならせめて僕達だけでも帰るしかあるまいよ」
「おう……」
そして残るは今ここにある二口だけ。和泉守兼定と歌仙兼定、共に戦線崩壊。……ああ、これを悔やまずとしてどうしようと言うのか。元凶は自分の拙さ。そんな自分のせいで散っていく仲間、兵士達をその目で見てきたのだ。それを今だけは忘れろ、と。自分はなんて無理難題を口にしているのだろう。和泉守兼定の目に入らぬ所で歌仙兼定は苦く笑む。
「もう少し踏ん張れ、君も兼定の子だろ」
「ん……」
否、踏ん張らねばならぬのは自分か。歌仙兼定は言葉に出してから思い直す。
和泉守兼定は、歌仙兼定の背におぶられていた。彼は足を負傷している。歩くことなんざ到底不可能だろう。だから、歌仙兼定に背負われている。我が子をおぶる母の如く歌仙兼定は満身創痍のその体で山道を踏みしめる。和泉守兼定は、自らの重みで母が傷つくのを恐れる子となる。
そう、打刀の身に太刀のそれは些か重量過多だ。特にこの歌仙兼定は他の打刀に比べて少々短い。腕力はあれど、背丈のそれなりにある和泉守兼定を背負い込むのには少々厳しいだろう。だから、兼定に打たれた物。それは歌仙兼定にとって、自分への励ましと言った方が今回ばかりは正しいのだ。
それでも、進まねばならない。歌仙兼定は軋む身に鞭打って、段々と降りてきた足を抱え直す。審神者がその能力を振るい、部隊を帰還させるのには条件がある。戦闘の終了だ。敵軍と自軍、一方が勝利し、もう片一方が敗北する。この状況こそ既に結果は決まったような物だが、それでも完全にその決着が付くまでは、どんなに酷い戦況劣勢時でも刀剣男士に帰還は許されない。
だから、彼等は逃げねばならないのだ。合戦時には高く上がっていた日が、とっくに西の彼方へ沈んでいたとしても。負傷で歩くことすらままならなくても。少しでも力を抜けば倒れこんでしまいそうな程に傷や疲労が溜まっていてたとしても。この状況下の歌仙兼定には、もう一騎打ちの賭けに出ることも叶わない。そうなると後はもう逃げに逃げ切って敗北の知らせを待つしかないのだ。
「二代目、重いだろ……」
戦時を振り返って口数も減り、段々と動きの鈍くなってきた彼を気にかけてか和泉守兼定が声を上げる。その声は常の彼では考える事の出来ない程、今にも消え入りそうな位に小さく、弱々しい音だった。
「舌を噛みたくなければ黙っていろ」
しかし、その気遣いは不要な物。分かりきった事実を確認しても時は進まず足も進まぬ。歌仙兼定は疲労を訴える己の腿を平手で打ち、遅れかけていた足の動きを戻した。その顔色は悪い。鈍い土気色。脂汗の浮いた、泥に汚れた額には血が滲んでいる。常日頃から雅やかさと風流をこよなく愛する彼には考えられない姿だ。林を抜けた際に何処かの細枝で切ったのだろう。よく見れば足なんざも血まみれ泥まみれの、常人ならば歩行なんざ到底不可能であろう有り様だ。
「二代目……」
「くどい」
歌仙兼定。この刀剣に憑いた男神の体力はとうに底を付き、今は長い年月を生きて高められた精神力だけを持ってその足を動かしていた。
「……オレ、帰ったら二代目の飯が食いてえなあ」
「……後で幾らでも作ってやるから、今は黙っていろ」
そしてそれは、その背に在る和泉守兼定も同様だった。彼は足、腹、腕に打ち込まれた弾丸によって夥しい量の血液を流し零している。人間の肉体に降ろされた神は、それを失っては常世に存在し続ける事は出来ない。よって今彼の意識を繋ぎ止めているのは、その僅かな気力と、ほんの少しの意地。
「あんたの作ったうっすい味噌汁が飲みたい」
要するに二口とも、いつ息絶えてもおかしくない状況だった。
「あれはね、素材の味を活かしてるだけで別に薄味ってわけでは……水が欲しいのか?」
「別に、そういう訳じゃねえけど」
霞んだ目で水場を探そうと視線を泳がせた歌仙兼定を止める。つまりこれはただの雑談だと言う事だ。死の淵の際での、閑話。
「なら、それは後で作ってやろう。もう少し辛抱しろ」
その文言の意味する所を歌仙兼定は知っていた。早々に審神者に降ろされて、数多の戦場を駆け抜けた刀だ。こういう物事にはどうしても敏くなる。
「後……やっぱり米が良い……湯気の立った、炊きたての……」
「だから、黙っていろ」
だから、止める。命尽きかけた和泉守兼定。彼は、無念の願望を遺言にしようとしている。幸せな日常の空想に逃げて、そのまま穏やかな過去の温もりに包まれてその体で死を迎えようというのだ。
付喪神の降ろされた人間の体。刀剣男士の肉体とその神体とは、連動している。刀が折れれば当然その付喪神は無の場へ還り、付喪神の入った肉体が死ねば、当然その神体も無事では済まない。どちらにしても神の意識は常世と現世の間で飛び散る。時を遡っている事でそこに時間の概念が加わるものだから、再びそれらを集めて同じ神を、刀を再構築するのは不可能と言えよう。審神者がその神の破片を時空から見出したり、呼び寄せたりしたとしてもそれはただの破片。破片を元にして作った、何か。自分の様で少し違う、知らない刀。似たような物を複写するように顕現させたとしても、それはここに在る歌仙兼定と和泉守兼定とは到底異なる物なのだ。
「そういやあんた、魚の焼き方……うるさかったよなあ……」
生物の分枝系、完全に一致する細胞やDNAを持った生物が共通の意識を有していないのと、同じように。
「黙れと、言っているんだ」
歌仙兼定はそれを知っている。今までに何口も同列の神が、刀達が、死んでいった。消滅していった。折れていった。意識を、魂を粉々に常世とも現世とも分からない、過去かも未来かも知れない、そんな世界へ飛ばして行った。
「でも……だからオレは、あんたの鮎が好きだったんだ……」
「やめろ!!」
激高する。そんな体力も、残っていないのに。唇を食いしめる。自分だけは倒れてはいけない。自分が倒れれば、この、まだ少し幼い兼定も。
「ははっ……オレ、最後まであんたに叱られてばっかりだったな……」
「……十一代目?」
ぱきり、ぱきり。乾いた音がなった。歩みを進める際に鳴る、足元へ広がった細枝の折れて行く様な音。何かが少しずつ少しずつひび割れていく様な、音。
「でも、オレは知っているんだぜ……」
「待て、十一代目、この音はなんだ」
断続的に鳴っているその音は、段々とその間隔を狭めてくる。連れて音量も上がっていく。耳元で鳴る。さらさら、ぱきぱき、ぴき、びき。
「あんた、朝だけは弱かったもんなあ……いつも、オレが起こしてさ……慌てて朝の用意を……さ……」
「十一代目、待て、待つんだ!」
傷と疲労で完全に視界の混濁した歌仙兼定には辺りの様子はもう伺えない。
「オレ、あんたを起こすの……嫌いじゃなかったぜ」
しかし自らの背で何が起こっているのかは、理解出来てしまっていた。
「逝くな、兼定!!」
この身でも之定に勝てる所があったのだ、と悪戯する子供の様な含み笑いを聞いたのを最後に、その背の物は静かだ。あれだけ耳についた細かな音も同時に消えてしまった。ぱきり、ぱきり。
「十一代、目……」
砂の様な、硝子の破片の様な。ひび割れて崩れた何かの粉が頬を掠める。その正体を彼は知っている。壊れて崩れて消えた、神の残滓。知っているから、笑った。くつくつと、唇の端から細やかな音を立てる。音はほんの一時で消える。消えてしまえ、こんな物。もう、知ったこっちゃ無い。
数瞬歩みを止めた歌仙兼定。その背は少し軽い。そう、まるで、何もかもが無くなってしまったかの様に。命の重みが、溶けて消えたかの様に。歌仙兼定は首を振る。まだ大丈夫。今の自分に後ろを見る術は無い。きっと彼は眠っているだけなのだ。少しひび割れた位なんだと言うのだ。ひび割れなんざ刀にとって付き物。手入れすればどうにかなる。空が白みかかっている。もうすぐ朝だ。このまま帰れば、きっと自分も、その背の十一代目も審神者が手入れしてくれる。大丈夫。まだ期待を捨てるな、歌仙兼定。まだ、まだ戦は終わっていない。歩け。足を進めるのだ、歌仙兼定よ。
「……ああ」
歩き出そうと、した。
「何も見えない……」
しただけ、だった。頭の片隅で全ての崩壊を察していた歌仙兼定の精神力は、もう尽きている。それにどんなに見て見ぬ振りをしようと、体が言う事を聞く筈も無い。足を、木の根に躓かせた。地べたに這うように倒れる。苦い土の匂いがその口内に広がった。さら、さら。
「何も、何も……」
もうそろそろ朝だ。世界は明るみを増していく。白く濁った視界の向こう側に強い光が透け入り、疲れきった眼球を焼き殺す。ここは林。小鳥達の鳴く声も少ししたら聞こえてくるだろう。
「何も……ああ……」
そうだ。時告げ鳥はどうしたのだろう。朝を告げる、僕の小さな時告げ鳥は。日の出はとうに迎えている筈だろうに、辺りは未だ静かなままだ。静かな空に目に映らぬ世界は白過ぎる。ぱき、ぱきき。
「……これが、彼岸か……」
いつも大き過ぎる声で自分を起こしたあの子は、どうしたのだろう。何故、ずっと黙ったままなのだろう。もう自分までも眠くなってきてしまった。目蓋が落ちる。終焉の幕引きだ。ぴきり。
「詠まねば……筆を……いや……誰かこの子を……」
駄目だ、どうか起こしておくれ。可愛い可愛い、愛しき僕の小さきひな鳥よ。その涙の落ちそうな程に軽さを増した、背におぶられた僕の、兼定の愛し子よ。どうか、どうか起きておくれ。僕は君を連れて帰らなねばならない。その息がもう無いとしても、このまま足を止めて眠ってしまいそうな僕をその溌剌たる声で、起こしておくれ。味噌汁でも焼鮎でも、君の好きな物はなんでも、作ってあげるから。
「僕の、小さい兼定を……」
ああ、ああ、僕の朝告げ鳥。僕はもう、目蓋が上がらない。
歌仙兼定ははもう、目が開かない。彼の世界は静寂に包まれる。
その静けさの中でぱきり、ぱきり。音だけが鳴り続ける。死の音だけが、鳴く。歌仙兼定の目元には涙が滲む。空は白い。世界は白い。ひび割れ折れた刃はもう何も映さぬ。戦闘の終了を教える引き金の音が何処か遠くて響いた。聞くものは誰も居らぬ、この冷たい世界で。
――――朝告げ鳥は、夜に死んでいた。
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