【あくまでも人体と人形の相違点の観察】
人体は素晴らしい。その内部構造の繊細さ、そしてその緻密な設計から作られる力強い肉の動き、血液の流れ、脳の司る思考回路。自分が医者として動いている時、俺はそんな彼らの細胞一つ一つに対して敬意を持って接している。
なのに、アイツはなんなんだ。九具津隆。別に興味は無い。いや、本当無いし、ぶっちゃけずいぶん長い所同じ職場で働いていたのに、昨日初めて名を知った位のものだ。後、男だから多分明日には忘れてる。いや、忘れはしないけどよ、その程度の興味しか無いって感じ。
で、そいつがどうしたかというと、昨日ちょいちょい話してみた所、どうも奴は人形がこの世の全てだと思っているそうだ。
信じられん。俺としては、血も肉も無く、肌のあたたかみどころか感情すら無いソレの何処がいいのかと思う。因みに実際に聞いてみたらそれこそが素晴らしいのだと言う。頭おかしいんじゃないか。
そういうわけで診断してみたが、残念ながら俺は精神科医では無い。奴の頭のネジが何本か外れていることしか分からなかった。
だが、それでも医者として奴の頭の構造がちょっと、ほんのちょっとだけ、気になって仕方が無いわけだ。しかし、それがどれ程気になったとしても、解剖するのでは意味が無いだろうし、カウンセリングもやはり専門外だから、単純に医者では無く人として、同僚としての会話で理解できないかと、考えた。
「んで一先ず今、電話でボーリングにでも行かないか誘っているんだがな」
出ない。何度かけても出ない。これで三度目だ。ちくしょう、一回で出ろよ。電話会社に30円も払っちまった。こちとら奴に興味の欠片も無いというのに、随分と時間使わせやがって。この時間で一発はヤれたしうまい棒3本買えた。
「……しゃーない」
電話では無理なようだ。流石にこのままかけ続けていても埒が明かない。メールを送ることにする。
ポチポチ文字盤を打つ。この作業はあまり好きではない。同じ場所をぷちぷちぷちぷち疲れる。あーあ、こいつの送信先がいい女とかだったりしたら、きっと俺は脳みそフル回転させてノリノリでポッチンポッチンしてるっつーのに、男だからな。ったく面倒くさい。電話の方がよっぽど手っ取り早いというのに。
「送信、っと……うわ、返信はやっ!?」
メールを送って、10秒? いや、もっと早かったか? 随分早く「行きます」とのお返事が。
分かった、コイツコミュ障だな。それも電話出たくないタイプの。電話にゃ出ないし、会話もそんな弾ませられない癖に、チャットとかメールとかは妙に早い、そういう感じの奴。クラスに絶対一人は居る、そんな奴。
まあ、いい。一先ず日時場所をまたメールで送信する。相手のタイプに合わせるのも人間関係において重要だ。勿論男女関係にも。
さて、ではまた後日だ。一緒に遊びにでも行って、ちょこちょこ話せば少しは何か分かるだろう。で、ちょくちょく人形について聞いてみて、彼の思考を探ってみよう。俺は自分に理解できないものを残しておく状態が、嫌いなんでね。
――――そして当日。俺は、心の底から自らの行動を後悔するのであった。
「あー、やっぱ無理だわ」
理解できる気が全くしなくなった。というかこりゃ、理解せんでいい奴だ。奴についてもう考えたく無いし、むしろ考えるべきではないと思う。きっとお互い関わってはいけない、関わるべきでない人種というかなんというか。
別に奴の趣味を否定するわけではないし、俺の周りにそういうタイプの人間は全く居なかったし、ちょっと面白いかもしれない位には思っていたが、あーあ、だめだこりゃ。人間として非常に関わりたくない。奴の脳についての解明も何もありゃしない。というか最早んなのどうでもいい。
駅前の待ち合わせ場所。そこをひと目見て、俺の思惑は色々と玉砕されたのだった。とりあえず、今日はやっぱり無理だとのメールを入れる。まだ時間の30分は前だからいいだろう。まさか奴がもう来てるとは思わなかったし、ドタキャンになるのも悪いが、急患だとでも言えば何にでもなる。
ああ、駄目だ。奴には悪いが、こりゃ無理だ。いやもう、本当無理だ。そもそも人形で頭が満たされている奴を誘うのが間違いだったんだ。早く帰りたい。とても帰りたい。今すぐにでも、帰りたい。
「まさか、人形で来るなんて」
駅前に佇む等身大モガちゃんを尻目についたため息は、真冬の空気を白く曇らせた。なんかもう全てがどうでもよくなってきた。馬鹿馬鹿しい。早く帰ろう。そして誰か適当に呼んで、体の底から暖まりたいものだ。
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