*370th後。



【かげろう】


 蜉蝣、という虫があります。大きくなると水も食物も取らず、次の命のために生きて死ぬだけの、小さな虫です。
 今思えばそれは、僕とそっくりな存在であった気もするのです。僕も人になってから水も食物も酸素すらも取らず、ただ皆とあの人の為だけに生きて、死にました。

 しかし、死んだ僕は虫とは違って消えることはありませんでした。それは、とてもいいことだと思います。起きた時には流石にびっくりしましたが、そもそも元々の作りが精神を別の何かへ無理矢理移植したような形だったので、死という概念が彼らとは少しズレていたのでしょう。

 あの後、僕はしばらくあの人の背後に居ました。自らそうした、と言うより、目が覚めたらそこに居たので、という具合です。
 僕には逝く場所も無かったから、関係性の一番強い彼の傍に引きつけられたのではないかと思います。魂というものがあるのならば、確かに僕と彼は記憶は違えども同じものを持っていたわけですし、同じもの同士同化しようと無意識が行動したのではないでしょうか。彼にこの幸せを僕の大切な人たちの為に届けるのは生前の僕の望みでもありましたから、まあ、ちょうど良かったのだと思います。もしかしたらあの人もその原理を利用してここへ戻ってきたのかもしれませんし。

 でも、あの人、兵部京介の背中には、すでにかなりの重い物がたくさん積み上がっていまして。そこに僕までも埋もれるのは、お互いに息苦しかろうと思いまして。だから、それはやめておきました。あの人がどう思うが正直どうでもよかったのですが、僕自身が少し、嫌になってしまったのです。

 ある程度の記憶を直接手渡したのはいいのですが、彼と共に融け合った瞬間、今度こそ本当に僕は完全なる無と化して、消えてしまう気がしてしまったのです。あなたたちと共に過ごした、あなたたちだけで満たされ構成されていた僕は消えて、他の様々な重苦しい思いに満ちた兵部京介の中に沈み落ちてしまうのかと思うと少し、ぞっとしたのです。
 僕は、消えるならばせめて「京介」というひとつの存在のままで消えたかった。だから、僕はあの人から離れたのです。彼には、あなたと共に時たま会った時、ちょっと邪魔臭くてややこしい蜃気楼の真似事をするだけにしようかと思います。

 そう、僕は今、あなたと共に在るのです。見慣れた懐かしく愛おしい、あなたの柔らかな、背中に。

 ここはとても過ごしやすいです。いつか完全にこの世界から消えてなくなるならば、その最期の場所にここを選びたいと思うくらいには、です。こっそりとあなたの背に体を預けて目蓋を下ろして、ひそやかに。陽だまりのような安らぎを感じながら、眠るように。

 たとえあなたの目に僕は映らなくとも、あなたを感じることさえできれば、僕は、京介は、それだけで。

 あなたの優しさで息を吹き返した、止まった命。僕はあなたの傍で、あなたの為に在る。あなたのその腕が女王たちを抱きしめるための物ならば、その背のぬくもりは、僕だけの物。幼い彼女たちからのお下がりの、僕だけの居場所。光も水も必要ない僕の、唯一の存在要因、存在理由。

 僕が息を出来るのは、僕の生きたあなたの傍でだけ。他の場所では寒すぎて鏡の裏にすら映らない。蜉蝣だった命は、あたたか過ぎるあなたのぬくもりで揺らいで輝き息をする。

 僕は今、あなたの陽炎。





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