*皆本さんに兵部が、自殺したいから殺してよー、って愚痴る話。



【死因考察】


「偶に自分が死ぬ時の事を考えるんだ」
「はあ」

 兵部はそう、何処か楽しそうな声で言った。視線は僕を通り越して少し上を向いており、何もない所をじっと見つめている。その目はいつも通り虚ろな闇色だったが、いつもとは違って、妙な違和感があった。生きた猫が、次の日には死んだ猫になっていたような、そんな違和感。人の日常に影響を与えない、でも嫌な感じで心を微かに揺さぶる、そんな、その程度の違和感。
 今日の兵部は、少し、おかしい。妙な居心地の悪さを感じて身動ぎすると、僕達の腰掛けたベッドが不安定に揺れた。兵部の銀糸の髪も、ゆらゆらと震えて、その人間じみた動きが、また妙に僕の脳に出来たしこりをつつく。

「そうするとね、なんか、すっきりするんだよ」
「はあ」
「特にね、自殺するときの事を考えると、心の隅々まで晴れ渡るような爽快さに襲われるんだ」
「はあ」

 そう浮かれたように身振り手振りなんて付けながら饒舌に語る兵部は、やっぱりおかしかった。そもそも、寝る寸前の僕のベッドにいきなり飛び降りてきて、長話に付き合わせようとしている時点で変なのだが、まあ、それは一先ず置いといて。
 何がおかしかったって、なんだろう、なんとも表現しづらいのだが、人間に見えたのだ。普通の、生きた人間。普段何処か高いところから僕を見下す兵部が、今ばかりは僕と同じ、生き汚さそうな人間臭さを匂わせているのだった。

「一昨日は、高く高く太陽に手が届く位にまで飛んだ空から、世界へ飛び込むように落ちてみた」

 上から下へ降ってくる兵部か。鳥みたいだ。きっと、あるはずの無い翼を広げたように、空気抵抗で折れた腕をはためかせながら降りてくるのだろう。絶命するために。そして地を赤い水たまりで濡らすのだ。原型も無いほど潰れた体で、世界を真っ黒な瞳で見つめながら。
 想像しても不思議と嫌悪感は無かった。それどころか、美しくすらありそうだと思う。鳥、天使、堕天使か。漆黒の堕天使。傷だらけの堕天使。ああ、僕も今日はおかしい。なんともメルヘンチックな事を言っている。もう真夜中。きっと、眠いからだ。多分、兵部も眠いんだ。きっと、多分、恐らく。

「昨日は、女王を庇って君に撃たれる夢を見た」

 女王。ああ、薫か。ということは彼があの台詞を言うのか。僕を愛していると、あの、甘い甘い足の爪先から頭の髪の毛の一本一本までとろけてしまいそうな言の葉を。ううん、悪くないかもしれない。僕の手で殺されて、僕で満たされた彼は、きっと、とても綺麗だ。
 あ、でも、それだと過去形だ。大好きだったよ、愛してる。過去は、嫌だ。僕を過去の事にする兵部は、嫌だ。そんな事をされたら、僕はどう生きればいいのかすらわからなくなってしまう。兵部の死体を前にして、生きる意味を無くしてしまう。過去に生きる彼に、過去へ捨てられる事だけは、ごめんだ。

「それで今日はね、実際に死んでみようと思うんだ」

 ゆるゆると、彼が瞬く度に震える睫毛のように眠気へ任せかけていた身が、途端、息を吹き返した。ギラギラと蛍光灯が僕と兵部を、歪に照らしている。

「……え?」

 彼は、兵部は、兵部京介は、今何を言った? ああ、死ぬ? 死んでしまう? 僕を、世界を、子供達を置いて、鳥になってしまう?
 嫌だ。それはいけない。兵部は生きていないと。生きて、僕を殺すような目で、見ててくれないと。死んだ彼では駄目だ。死んで、地に咲く赤い花になった兵部が僕を虚ろに見ていても、それはもう兵部ではない。ただの死体だ。死骸。猫の死骸と同じ、生気を感じさせない、数瞬前に終わった生の遺物。

「君に僕を、殺して貰いたいと思ったんだ」
「おい、」
「できれば女王の代わりでなく、僕、この兵部京介を君の手で、君の意思で、死なせて欲しいんだよ」

 焦る僕とは裏腹に、兵部は、ふわふわと歌うような、世間話をする女子の様に、耳につく高音で抑揚の感じない音を紡ぐ。死ぬほど素敵な愛の告白を受けたような気もするが、僕はそれどころでは無かった。

「待て、」

 とにかく彼の言葉を聞きたくない一心で、薄っすら微笑む兵部の唇に触れようと手を伸ばした。口を塞いでしまおうと。それを、兵部は避けた。伸ばした手は空を切り、指は何も無い空間を掻き回すだけ。兵部は、そんな僕を見もしないで、いつになく柔らかい物腰で立ち上がり、言った。

「実際の所、僕は死にたいんだと思う。いや、違う、死ぬべきなんだ。きっと僕さえ居なければ、世界は上手に周って、女王も、エスパー達も、僕の子供達も、そして君すら幸せに生きていけると思うんだ」
「やめろ、兵部」

 これ以上聞きたくない。彼の死ぬ理由を、聞きたくない。何も掴めなかった、彼を抱きとめる事も出来なかった手の平で耳を塞いだ。でも僕の必死の抵抗を兵部は許してくれなく、僕の指を包み込むように開いて、絡めるように握って、耳元に口づける様に囁いた。肌が粟立つ。

「ねえ、皆本くん、殺して。僕を、兵部京介を、殺しておくれよ、その、手で」

 真正面に回り込んだ暗い眼差しが怖い。これが恋人だったら、口づけを交わす寸前だろう位置だ。オニキスよりも深い黒に、酷く怯えた、鏡で見慣れた顔が映される。彼は、もう遠くを見ていなかった。今は僕を見ている。僕を見て、殺してくれと懇願している。怖い。僕は兵部が怖い。きっと僕は彼が普段の兵部だったら、躊躇いもせず、内ポケットから取り出したブラスターで彼を撃ちぬいていただろう。でも今は出来ない。だって、生きたいくせに死にたい死にたいと泣く兵部は、ただの人間だった。ただの、線の細く、か弱い少年。

「兵部!」

 目すら閉じて悲鳴を上げると、兵部は一瞬僕を抱きしめて、そして、離れた。するすると指と指の隙間からぬくもりが解けていく。

「……冗談だよ、本気にした?」

 消えた、僕より一回り小さな指を追って目蓋を開くと、そこにはいつもの兵部が居た。先ほどまでの不安定さを感じさせない、にやりと釣り上がった唇。虚ろな、過去と未来しか見えない、紺青の瞳。
 ホッとした。僕を殺せと言った兵部は、あまりにも小さかったから。指と指の間の股もふにふにと柔からかくて、嫌に幼子を思わせる不安を覚えさせたから。僕は、そんな兵部なんて知らない。知りたくもない。僕は、この、僕の上に立つ彼が好きなんだ。

「ひょ……ん?」
「またね、また会おうね、皆本光一」

 奇妙な感情を拾ってしまった気がしたが、それを認識する前に、いつもの彼はさっさとテレポートで飛んでいってしまった。後に残るのは、寝不足の僕と、それを照らす蛍光灯の灯りだけ。酷く眠い。さっさと寝てしまおう。

「兵部……」

 今日の彼はなんだったのだろう。電気を消し、ベッドへ潜り込みながら考える。でも、仕事中に酷使した脳は上手く思考を纏めてくれなくて、うとうとと、そのまま眠りに落ちていってしまった。さっきみたいな彼にはもう会いたくないな、なんて思いながら、うとうと、鬱々、と。

 そして次に僕が会った彼は、兵部ですらなく、ただのマテリアルだったのだけれど。






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