【待ち人来ぬは赤い月。】
「英治さん、お茶入りましたよ」
「…………」
イルカの脳から予知された、あの未来。あれは、果たして本当に起きるであろう事なのだろうか。
「英治さん」
京介が、本当に、あの様に非人道的な事を為すのであろうか。我々人間達を普通人、超常能力者の枠でくくり、こんな、仲間を何人も死なせたような戦争を起こすのか。
「…………」
あんなに、いい子だというのに。
「英治さん?」
しかし、伊号達の予知は過去の全てにおいて百発百中につき。外れたことはかれこれ七年、一度もありはせぬ。
「…………」
とするならば、やはり彼はあの戦争を後の未来で起こすわけである。しかし、それを起こすわけには私達にはいかぬのであり、すると私は彼を止めねばならぬ。しかし、如何様に致せば良いのだろうか。私の為すべき事とはなにか。ああ、考えても考えても私如きにはどうする事も……
「……英治さんッ!」
「わっ!」
物思いに耽る夜、耳元に突如響いた女子の声。思わず頓狂な声を上げてしまった。
「どうしたのですか、そんな思いつめたような顔をして」
「はあ、なまえさんか……」
声の主は、我ぞ知るなまえ女史。この蕾見男爵家別邸にて身の世話をお願いしている女性である。
「お茶淹れたのですけれど、お気づきになりませんでしたね」
「あ、ああ……すまない」
そして、将来的に娶る約束を交わしていた女子につき。
「もう冷めてしまったのでこちらは私が頂きますわ。英治さんはどうぞこちらを」
「いや、でも悪いだろう」
彼女は、とても気のつく女性だ。この茶の差し入れも、私のきりきりと張り詰めるような思い悩みを解す為に用意してくれたものだろう事は想像に難くない。
「いいのですよ、私は猫舌ですからこの位が丁度良いのです」
とても思慮に深い、心馳せの清く正しい女性だ。大切で大切でならない、親愛なる存在だ。
「そうか……」
さて、早乙女英治よ。お前はこの人の為ならば、何でも出来る思いで生きた私では無かったか。
「そうですよ」
ならばして、私の出来る事は脳の縁に思いあたるこの1つ以外に有りはせず。
「……ありがとう」
ああ、心底から彼女には感謝申し上げたい。これで私の心の内はぴたりと単一に定まった。
「いえいえ、この位お安いご用ですよ……あら、こんな時間に何処かへお出かけです?」
「うむ、少し、行ってくる」
彼は、私の育てた子だ。ならば、その彼を止める者は私以外に他あらぬ。あっては、ならぬ。共に高い処へ行かんとした少年だ。彼に尽くすべき1つ限りの礼節を忘れてはなりはせぬ。彼の命を奪うはこの手のみ。
「そうですか……お気をつけてくださいね、先日も新型の爆裂弾が投下なされたそうですから」
「大丈夫、わかっているよ……」
「まあ、お出かけになるならば、もっとしゃんとしてくださいな」
後に戦犯として処されるであろう私と京介少年だ。彼女と添い遂げることも、彼の子供を身を挺して守ることも出来ぬとならば、潔く腹を決めるしかあるまいよ。
「……そうだなあ」
「あら?」
ああ、この人のなんて温らしい、柔き愛しき雪肌よ。
「なまえさん、どうぞ、お元気で」
だから、これを終いに致しとう。
「……英治さん?」
「お慕いしております」
今、私の腕に収まる小さき君よ。これまで先の事を何も言えず、遂に腰を据えぬまま黙って去ってゆく私をどうか許しておくれ。
「英治、さん」
聡明な貴方の事だから微かに我が胸中を察しておられるだろうが、どうぞ何も言わず静かにこの愚直な男を見送っていただきたい。
「……では、行って参ります」
さあ、軍帽を被った私は軍人、帝国陸軍第0特務連隊超能部隊長、早乙女英治大佐。
「はい、行ってらっしゃいませ、英治さん……待っていますからね」
約束を反故にすること、お許し下さい。一人にさせること、お許し下さい。これから、貴方の生きゆ世界の為に人を二人、撃ってきます。
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