【神は死んだ】


「……審神者よ」
「やめたまえ、神よ」

 その時、彼の意識は酷く混濁していた。

 此度の出陣、敵方も中々の手練であった。刀剣破壊をするまでには至らなかったものの、重傷者多数。近侍、この歌仙兼定一口をも戦線崩壊へと追い込んだ。この本丸での最高練度を誇る歌仙兼定。まだ練度の低い刀を銃撃から庇った為の物だった。
 今にも折れそうな、意識を天へと還しそうな程に傷ついた彼を出迎えた審神者は、酷く慌てていた。当たり前だ。こんな酷い重傷、滅多に負うものはおらず、この歌仙兼定に至っては初めての事である。だからそのまま急いで、手入れ部屋へとこの刀を担ぎ込んだのだった。他の刀剣共の手を借りて、彼が妙に静かな事や、どうしてか毛の先の赤が色濃くなっている様子すらも、慮る暇もなく。
 そうして、いざ手入れ部屋に入った時。そう、それは今だ。現在の歌仙兼定。ギリギリの命の際に横たわる一口の打刀。
 先ほど申したように、彼の意識は酷く混濁していた。混濁しているのだ。瞳の奥は緑に濁り、今にも折れそうだと言うのに軋む体を痛めつけるが如く、立ち上がり。審神者と手入れを受ける刀のみしか入れぬこの閉め切られた神聖な場で、神は人の子に笑って刃を向けた。

「審神者よ」
「どうか、我が神よ、我が近侍よ」

 歌仙兼定の意識は、混濁していた。混濁、混乱、錯乱。この状況を、誤認していた。その翠の双眸に映る者は、神である自らを使役する主なる人間であると確かに認識はしていた。していた、が、今にも消え入りそうな命の灯火。動かすのも困難なほどに重たい手足。手酷い怪我によって熱を発する体。降りた人の体の生命を脅かすほどの、重傷。初めて経験するそれらの感覚に、この男神は思考を乱されていたのだった。

 ――――まるで、人間の様に。

「僕の主」

 自分は、どうやらここまでのようだ。この熱は、この痛みは、きっとこの歌仙兼定と言う神の降りた人の器を殺すまでに至る物だ。きっとこのまま、自分は天上に還る。天上にてこの本丸の行方をじっ、と眺めているだけの刀の身を捨てた神となる。刀をやめた、神としての生。それはそれで、戦場にて散った身だ。悪い刃生では無かったろうとも、歌仙兼定は思う。
 しかし、彼にはただ一つ、心残りがあった。本来の神ならばあろう筈もない、人の身に降りた事で気が付いてしまった、この感覚。神でも刀でも無い、人間のみにある感情。笑いさえ込み上げるような、狂おしいまでの激情。俗世に汚れた、人の持つ心。
 厄介なのは、それが刀や神のそれと混ざっている事。神の目で見た現し世。目の前に居るこの者を置いていくのは、どうにも惜しい。それが自らが死を迎える際に居ると誤断した男神の脳を満たす、ただ一つの想いだった。

「……やめてくれ、お願いだ、歌仙兼定」

 審神者は、震える手を彼に伸ばす。どうにか人の心に訴えかけようと、泣きそうな顔で自らに刃を向ける神に縋ろうとする。

「すまないね」

 その人の心こそ、彼が笑った原因だと言うのに。





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