※一振目が折れた後に来た二振り目の歌仙兼定の話。
【操られ人形】
「僕の名前は歌仙兼定、風流を愛する文系名刀さ」
懐かしい声が、聞こえた。
「どうぞ、よろしく」
あの刀と同じで、そして全く異なる別の刀の、音だった。
「主、君はどうして僕を避けるのだ」
今日も審神者の後ろを歌仙兼定はつけ回す。
「さてね」
それもそうだ。歌仙兼定はこの審神者の近侍。主の横におればこそ自然と云えど、離れる事なぞ滅多にない。
しかし、そんな普通は常に傍へ置いて然るべき刀である筈なのに、どうしてかその役目を指定した審神者は彼の顔を見ようともせずに放置してばかり居る。やはりこれもあり得ぬ事。審神者の万が一を守るのが近侍の役目だと言えように、どうしてそれを遠ざけるのか。人の身に降ろされたばかりでわけも分からぬ内にそれでは。彼もそう行動せざるを得ないだろう。逃げる雌鳥を追う小雛の様な、奇行を。
「主」
ついに歌仙兼定は咎めるようで、心底悲しげな声を上げた。主に三日三晩無視され続けるのは、この神経の図太そうな打刀でも流石に堪えるのだろう。神の宿りし刀と言えど、使われぬ刀はただの置物だ。置物の生を望む刀が、在る物か。
「自分の胸中に聞いてみればいい」
審神者は、そんな声から逃れようとするかの様に歩調を早める。どうしてかその手が強く握りしめられているのが、歌仙兼定には見えた。
「僕に心臓なんざ無いよ?」
それを特に何とも思わず、何をおかしな事を、と首を傾げながら歌仙兼定は審神者をまた追いかける。
「……彼はね」
「おっと、危ないじゃないか」
すると、彼のその冷淡な言葉を聞いた途端、審神者は足を止めてしまった。こんな事は初めてで、歌仙兼定はうっかりその体へつんのめりそうになった。
まあ、風流を愛する文系名刀がそんな無体を晒すわけは無いのだが。少々つま先を立てながらも押し留まる。はたから見れば実に自然な静止だ。その人外の動きには違和感の欠片すらもない。
「彼は、嘘でも自分は人だと言ってくれたのだ」
審神者は、彼の顔を見ずにぽつりぽつりと言葉を漏らし始めた。この審神者とまともに言葉を交わすのは、これこそ初めてではないか。神にそんな自覚は無いものの、この事実に歌仙兼定は一抹の喜びに近い感情を胸に孕む。
「……彼、とは?」
「お前だよ、歌仙兼定」
そこに心臓は、やはり存在し得ないのだ。
「……この之定が、どうしたと言うのだ」
いわれのない風評だとでも言うように歌仙兼定は不満気な顔を作る。馬当番でもやらせた時の顔と少々似ている。それもそうだ、自分は主にそんなあり得もしない嘘を付くどころか、こうやって話をした事すら無いのだ。それをこう言われてしまえば、幾ら彼でも流石に腹に据えかねる。
「お前の来る前に折れた、一本の鉄くずさ」
「ああ……」
そして納得する。そう、何も刀剣男士として生きる歌仙兼定は一振りだけではない。刀から降ろされた人の器は、今までもこれからも何体だって存在し得るのだ。
「だからもう、黙っていてくれ」
その事実を念頭に置いたことで、彼は全てを理解した。この審神者は、前の歌仙兼定にある程度の思い入れがあり、だからこそ自分には心を開こうとしないのだと。悲しみと苦しみとで目を潰されぬ様、この自分を視界にすら入れないのだ、と。
「……ならば、主よ」
「……なんだ」
そうとならば、この歌仙兼定の為す事は唯一つ。
「その前の歌仙兼定の事を、もっと僕に教えておくれ」
「何、を?」
自分は刀で、しかと主に振るわれたい。しかし、主はそんな、『ちょっとした事』でこの身に触れようとすらしない。
「大丈夫、僕なら上手くやれるよ、なんせ同じ刀だから」
ならば、自分がその刀になってしまえばいいのだ。前の歌仙兼定に。この審神者の記憶をつつく、幻の愛刀に。
「や、やめろ……」
震える審神者は、彼の言葉を理解できないと、遂に後ろ振り向いた。その視界に映るは、先の読めぬ底冷えした緑。深海の青。打ち立ての鉄刀の鋭き輝き。人には作れぬ心無き双眸。
「さあ、主……早く僕を、君の歌仙兼定にしておくれ」
人間を演じる、人形の目だった。
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