恋だの愛だのの手前 | ナノ  蘭は昔から、人の心の機微に敏感だった。
 けど、それが自分に向けられた恋だの愛だのとなると、かなり鈍感だった。

 蘭がずっとそんな調子だったから、女子をみんな名字で呼ぶのに、蘭だけ保育園の時のままなのが気恥ずかしくて、抵抗していた時期もある。色々あって元の呼び方に戻ったが、後々気付いた。園子だって名前で呼ぶじゃねーか、と男友達に言い返して、適当に聞き流せばいいだけだ。

 小学校高学年になると、合唱コンクールがある。
 大体ピアノの伴奏や指揮者を女子がやるから、真面目に練習をしないと「ちょっと、男子!ちゃんとやって!」と仕切るやつが出てくる。

「工藤君、やる気あるの?」
 これがオレにとっては曲者だった。

 音痴だからだ。





【恋だの愛だのの手前】





「新一、真面目にやってるよね」
「……」
 途中から口パクしていたのは、蘭にバレていたらしい。
 去年は園子が指揮者だった。園子は知っている。オレが合唱コンクールの度に、毎年頭を抱えていることを。蘭だってそうだ。
 だけど、今年は違う。今年初めて同じクラスになった女子が、指揮者になった。全体のまとめも彼女がする。
 そいつが厄介で、やたらとオレに突っかかってきた。
 わざとじゃねーし、これでもちゃんと歌ってるっつーの。



 同じ頃、また別のことがオレの心を乱しまくっていた。

 女子には当然、そのタイミングがあるらしい。
 男子にとって格好のネタとなるソレ。

「ブラジャー付けてるよな?毛利」
「はぁ!?」
 合唱の練習の途中、オレの隣の男子がボソッと言った一言。薄手のブラウスに中がキャミソールだと、思春期の男子には、着けてるか着けてないかの差が分かる。

「あ!それオレも思ってた」
「最近、着けてる女子増えたよな」
 周りの男子が小声で、ちょっとニヤつきながら話す。

「工藤も気付いてただろ?」
 言われてみれば、昨日と違うような。でも、蘭をジロジロ見るわけにはいかない。ていうか、オメーら見んな。そういう目で蘭を見るな。特に深い意味はねーけど、無性に腹が立つ。

「興味ねーよ!」
 この話題を早く終わらせたくて、しかめっ面で返す。
 最近、蘭は時々猫背になっていた。でも、今日はなんだかよく腕を組んでいる。本人も違和感があるのか、今日は妙にソワソワしている。
 でもそれ以上に、オレ達男子がソワソワしてしまった。

「男子パート全然声出てないよ? 何話してんの?」
「「げ!」」
 喋っていたのがバレて、指揮者に注意される。

「工藤君、真面目にやって!」
「だから!これでもちゃんと声出して……ッ!」
 言い返そうとしたら、喉がつっかえて途中で裏返った。そのまま咳が出る。

「風邪?」
「いや……」
 体調は普通だし、体育の授業だってやった。熱っぽさもダルさもない。

「じゃあ、最初から全パートいくよー」
「「「へーい」」」
 喉の違和感は、なんとなく続いていた。



 掃除の時間。
 校内の掃除場所は、班ごとに分かれる。クラスで何箇所か受け持ちが違うから、全部の掃除場所に毎回担当教師がいるわけじゃない。
 高学年にもなってくると、真面目にやるやつとやらないやつの差がかなり出てくる。

 そして、先生の目が届かない所だと。
 悪ノリするやつがいた。

「うわー。毛利ブラジャーつけてる!」
 大声で、佐藤が言う。
 悪い奴じゃないが、お調子者で困ったことに下ネタ好きだ。芸能人や美人な先生のサイズ予想とか。普段は「お前、その話題は時と場所を選べよ」と男同士だと笑い話になる程度なのだが。

「!?」
 蘭は真っ赤になって、手で胸元を隠した。

「サイッテー!!」
「めっちゃうるさい!」
「デリカシーなさすぎ」
 園子を始め、女子がドン引きで佐藤を責める。

「バーカ、佐藤。やめろよ」
「怒られるぞー」
 怒られたって、佐藤は慣れているので気にしない。それを分かってるから、男子も笑いながら佐藤を注意する。
 オレだって蘭をからかうことはあるけど、他のやつにからかわれるのは気にくわない。

 だからってどうこう言う権利はないし、モヤついた気持ちのまま、掃除の時間はやり過ごした。



 その日の帰り道。

「蘭?」
 放課後、合唱の居残り練習をさせられたオレ達男子より先に、女友達と帰った蘭を見かけた。
 買い物に寄ったのか、スーパーから出てきたところだった。

「ら、」
 少し離れた所から、オレが呼びかけようとした時。

「あ!毛利」
「佐藤君」
 オレと同じで帰る途中の様子の佐藤が、蘭に話しかけていた。オレにも話の内容が、聞こえる距離。

「肩紐見えてるぞ〜」
「え!?」
「背中もなんか透けて見えるし……」
 ニヤニヤしながら、蘭の背後に回る。

「ほら」
 女子同士や男子同士で、イタズラ感覚で膝カックンをやるのと同じようなノリで、人差し指で背筋をツーっとなぞることがある。佐藤は蘭に、それをしようとしていた。

「触んな!」
 気付いたらオレは、佐藤の手を振り払い、蘭との間に立ちはだかっていた。

「く、工藤?」
「体育の時、胸が揺れたりするだろ!?それを見られたくねーだろうし、走った時多分違和感あるじゃねーか!最近背中丸めて妙に猫背になってる時があって、それが、蘭が胸元を気にしてたからだったとしたら、それはつまり、本人が一番気にしてるってことで」
 ここまで一気に息継ぎなしで捲し立てた。何が言いたいんだオレは。でも、触らせたくない。
 今日の蘭が気になるのは、佐藤だけじゃない。ホントはオレだって、一日気になって仕方なかった。
 でも、蘭が嫌がることはしない。そんなことする奴にオレはなりたくない。

「ま、待て、工藤」
「それを、テメ「やめて!新一!!」」
 オレは完全に頭に血が上っていた。佐藤の表情からいつもの悪ノリの調子は消えていた。けど、頭突きでもしてやろうかと思っていたオレを止めたのは、蘭の声だった。

「やめて。おっきな声で……恥ずかしいから」
 強い口調でそう言う蘭の顔は真っ赤で、瞳は潤んでいた。

「蘭」
 ヤベッ、と思った時にはもう遅い。

「私、帰るね!」
 そう叫んで、走り出してしまった。

「……」
「……」
 残されたオレと佐藤の二人に、気まずい沈黙が走る。

「ごめん」
 先に口を開いたのは佐藤だ。

「謝るなら、オレじゃなくて蘭にだろ」
 蘭を追いかけることも出来なくて、自分への苛立ちも込めて、苦々しく返す。
 そもそも、人が嫌がることをしたらダメだ。その点で、オレ自身も蘭が嫌がることをしてしまった。
 傷つけたくなくてやってしまったことが、逆に傷つけてしまう場合もあることを、オレは後悔と共に痛感した。

 蘭が走り去った方向は、オレの通学路とは違った。つまり。
 蘭は毛利探偵事務所には帰らなかった。



「おはよう!新一」
 翌朝、蘭はスッキリしたような顔で、普通に登校してきた。
 正直、後悔と反省で気になってよく眠れなかったオレは拍子抜けした。

「ふざけすぎた。ごめん」
「いいよ。気にしてないから」
 昨日蘭に突っ掛かった佐藤は、朝一番に蘭の席へ行って、謝っていた。

「でも、他の子に同じようなこと言ったり、したりしないでね」
「はい」
 園子が自分の席から佐藤を睨んでいる。オレが見てるのにも気付いたはずだ。

 悪いのは佐藤だけじゃない。
 オレも蘭に謝らねーと。
 そう思うけど、謝り方が分からないまま、その日は放課後を迎えてしまった。

「工藤、今日はもう帰るのか?」
「あぁ」
「何だよ。つまんねー!せっかく合唱練習ねーのに!」
「悪りぃな」
 その頃、放課後は男同士でサッカーをすることが多かったけど、そんな気になれなくて、荷物をまとめている時だった。

「待って、新一! 一緒に帰ろ」
「え?お、おう」
 まさか蘭から声をかけてくるとは思わなかった。
 昨日、あの場で別れてから二人で話はしてないから、オレもちょっと気まずい。

「今日何か用事があるの?」
「別にそういうわけじゃねーけど」
 二人で並んで、通学路を帰りながら。
 オメー昨日どこに帰ったんだ?とは聞けない。自分も原因の一つだからだ。
 佐藤は謝った。オレも蘭に謝らないと。

「昨日ね、お母さんの家に泊まったの」
「へぇー」
 なるほど。だから、帰る方向が違ったのか。

「一緒にご飯を食べて、お風呂に入って」
「……」
 風呂。クソッ。蘭。無防備すぎる。いや、これはオレが悪い。オレの問題だ。蘭は普通に、日常の話をしてるだけだ。想像するな。間違っても、悟られるな。

「一緒のお布団でたくさん話をしたの」
「そっか」
 普段はおっちゃんと二人だから。蘭が蘭の母さんと久しぶりにゆっくり出来たなら、それはオレだって嬉しい。よかった。

「新一、ありがとう」
「へ?」
 何が? 俯いて言うから、よく聞こえなかった。

「昨日、ありがとね」
 昨日って、やっぱり昨日の放課後のアレだよな。思い出すとやっぱり恥ずかしいのか、少し赤くなりながら小さく溢す。

「オレは何も……」
 寧ろ、余計なことを言った。

「新一が怒ってくれて、よかった。それだけ言いたかったの」
「……」
 謝るタイミングを、完全に失ってしまった。蘭は悪くない。それなのに。

「お母さんは、また何か言われたりコソコソ話されたりしたら、女の先生に相談するか、『なにが悪いの?そんなことで騒ぐなんて子どもだね』ってがつん!と言いなさいって」
 探偵事務所はもうすぐそばまで見えてきていた。自然と歩幅を狭めて、ゆっくり歩く。

 悪い。蘭。
 オレも最初コソコソ話した。ガキなんだ。

「蘭!あのさ、」
「私達はまだ成長期の途中なんだって」
「成長期?」
 オレが聞き返すと、うん、と蘭は頷いた。

「私も新一も」
「オレも?」
「最近、新一、時々声掠れてるでしょ」
「え?そうか?」
「だから、去年以上に音程取りにくいんだと思う。声変わり?って言うのかな?」
「声変わり?」
 知識としては知っている。でも、蘭に言われるまで気付かなかった。

「時々、咳してるでしょ?」
「あーそういやそうかも」
「その言い方も。なんか声低くなったよね」
 そうだろうか。自分じゃ気付かないもんだ。

「あーーー」
 声を伸ばして出してみる。確かに、低くなったかも? 耳はいい方だから、改めて聴いてみると分かる。多分、蘭の言う通りだ。

「舞ちゃん、優勝しよ!って一生懸命だから、多分気付いてないの。私からこっそり言っとくね」
 そしたら新一も合唱の練習少しは気が楽になるかも、と蘭はオレと顔を合わせて笑う。指揮者の女子、田村舞とも蘭は普通に仲がいい。どうも合わねーけど、生真面目なだけで、悪いやつじゃないのはオレだって知ってる。責任感が強くて、合唱コンクールにかける意識の高さが、オレとは全然違うだけで。

「合唱コンクール頑張ろうね!」
 じゃあ、また明日ねー!と手を振って、蘭はポアロの横の階段を上っていく。

 自分に向かう愛だの恋だのには鈍感な蘭だけど。
 ガキなオレら男子より、ずっと成長が早いのかもしれないと思った。



***



「あれ?私のブラは……?」
「多分そこら辺に……」
 オレが投げやったはずだ。お互い大学生活や(新一が)事件事件で立て込んでいて、蘭が家に泊まるのは久しぶりだったから、ついがっついてしまった。

「今日は一日出掛ける予定ないし、そのままでいんじゃね?」
「んー」
 少し考えている蘭を尻目に、夢中で脱がしてしまった責任感から、ベッドを下りて自室を見渡す。

「あった」
 ベッド横の床に落ちていた。

「たまには……いっかな?」
 思い掛けない蘭の返事に、オレは瞬時にうんうん、と首を二度縦に振った。
 オレのシャツだけ羽織っている蘭は、眩しい。だいぶ慣れてきたとはいえ、グッとくるものがある。
 拾った蘭のブラを手にしたまま。思い出してしまったことがある。

「ガキの頃さ、蘭に謝りたいことがあって」
 この状況で言うのも、悪い気がするが。

「謝りたいこと?」
「蘭が初めて、学校にブラ付けてきた時……」
「ヤダ新一、そんな時のこと覚えてるの?」
 最初はキョトンとしていた蘭が、少し話しているとだんだん思い出してきたのか「あったね。そんなこと」と懐かしそうに笑う。そして、まだ寒かったのか蘭はまた布団の中に入り込んだ。

「ホントは佐藤だけじゃなくて、オレもめちゃくちゃガキだった」
 蘭に、ブラを手渡しながら。

「新一も?」
「実はオレだって興味津々ってか……男のサガってか……」
「エッチ」
 右手の甲を、蘭の親指と中指で、デコピンみたいにピンと弾かれた。

「イテ」
 そんなに痛くないけれど。オレのその声に、蘭は右手を優しく握って、弾いた部分を撫でる。その手をオレは握り返した。
 ムッツリスケベと今蘭に言われるなら、否定はしない。引き寄せて、オレも布団の中に潜り込む。

「あの時、お母さんと話して、みんな成長の途中だから、って言われたの。男の子と女の子は脳のつくりとか、成長のスピードが違うのよ。大人になってる途中ってこと。お父さんとお母さんも全然違うでしょ?って言われて。その時、新一の声が最近よく掠れてるってこと思い出したの。風邪じゃないみたいなのに時々咳もしてて。気になってたから、お母さんに話したら、それ声変わりじゃない?って」
 のんびり話しながら、喉仏をそっと撫でられた。細い指が、顎から首筋、鎖骨をなぞる。オレはオレで、シャツの上から、柔らかな肢体を抱き寄せる。

「成長期だったんだなー」
「あれから半年もすると、女の子同士だと、『どうしよう、ブラジャーつけてくるの忘れた!体育あるのに!』『えー、最悪。腕組みして走れば?』とか話してる子もいたよ」
 人差し指を唇に当てて、内緒話のように囁く。

「マジかよ」
 クーパー靭帯やべぇじゃん。と思いつつ、シャツの裾から手を忍び込ませて、たわわな肌に、触れる。

「女子同士だとだんだん慣れちゃって、そんな風に話せるけど、やっぱり男子は別だよね」
 くすぐったいよ、と笑いながら蘭は話し続ける。

「あの時新一がいなかったら、お母さんのとこに行かなかったら、成長してくのが嫌で嫌で仕方なかったかも」
 こんなにふわっふわで包容力があって、魅惑の双丘なのに。

「成長するのってヤなことばかりじゃないんだなって」
「?」
「最初ドキドキしたの。ん…今も、だけど」
 ちょっと、新一?と、調子に乗って妖しくなってきた手つきに、蘭が少しだけ抵抗する。

「何が?」
「ほらまた耳元で……ズルい」
 ホントは気付いてる?と蘭がオレの耳に触りながら言う。

 変声期を終えてから、変声機が必要になった時期がある。
 機械越しじゃない自分の声で、こうして蘭と話せる。名前を呼べる。触れ合える。

「蘭」
 呼んで、軽く耳を甘噛みする。

「新一に名前呼ばれるの好き」
「蘭」

 声。

「大好き」

 オレも蘭の声が好きだ。

 女子にも声変わりがあるって知ってるか?
 男ほどはっきりした時期がないから、分かりにくいけど。年齢と共に、少し低くなっていくらしい。
 蘭の声も、少し変わった。
 子どもらしい澄んだ高い声から、ほんの少し低くなって。
 最初は我慢して、でも抑えきれずに溢す躊躇いがちな綺麗な声は、オレしか知らない成長の証。







***
男子と女子で精神面の成長速度が全然違ったよなーって思い出しちゃって。
6年生くらいのつもりで書きました。
クーパー靭帯に詳しい彼と、スタイルいい彼女だから、こんな時期もあったりして?って。
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