ホワイト・レディ | ナノ
「父さんイギリス行ったのかよ!」
優作から送られてきた小包を開けた新一は、蘭にも聞こえる声でそう呻いた。
「どうしたの?」
夕食の片付けの途中だった蘭は、ソファーで優作から送られてきた荷物を羨ましそうに眺める新一に声をかける。エプロンはつけたまま。
「コレ」
「お酒?」
新一が送られてきた酒のボトルを見せるが、蘭は知らないので小首を傾げる。
「プリマスジン」
「プリマス、ジン?」
「イングリッシュ・ジンの象徴。現在英国で稼動しているジン蒸留所の中で、最も古い蒸留所で造られている伝統のプレミアムブランド」
「へぇー!」
なんだか新一が好きそうだということは、蘭にも伝わってきた。
「オレも行きてー!!」
プリマスと言えば、「バスカビル家の犬」の舞台になったダートムーアに近い。
「ダートムーア行ってみたかったんだよなー」
「イギリス行った時、ロンドンがメインだったもんね」
羨ましいを通り越して、もはや新一は悔しそうだ。
「あれはあれで、結果的に蘭に告れたからいいけどよ」
「そ、そうだったね」
気持ちを切り替えるようにそう言われて。具体的に思い出してしまって、蘭は顔が火照る。新一は照れくさくはないのだろうか。蘭が言わせたようなものではあるけれど。
「なんか…まさかそんな風に言われるなんて思ってなくて!」
思い出すと恥ずかしい。
「寧ろオレは言えて良かった」
「……私も。ビックリしたけど、聞けて嬉しかった」
蘭がソファーの隣に座ると、新一の片腕が蘭の背後に回って肩をギュッと寄せてくる。
「蘭…」
「新一……。ダメ、まだ片付け終わってないから」
「チューだけ」
「ホントに?」
そう言ってチューだけで終わらないことの方が多い。
「片付け早く終わらせて…」
蘭の背中に両腕を回して、一度ギューッと力一杯抱き締めてから、名残惜しそうに渋々開放する。
そんな新一の行動と表情に、蘭は幸せな笑みが溢れる。
「お酒、冷やしとこうか?」
優作から送られてきたプリマスジンを蘭は手に取る。キッチンに戻るので、冷蔵庫に入れておこうか。
「そうだな。今から飲むか…」
「これ、カクテルにしたら、私も飲める?」
蘭だってちょっと気になる。イギリスのお酒。ジン。
「んー?」
興味を示した蘭と、プリマスジンのボトルを交互に見比べて。新一は思いついたように、ニヤリと口角を上げた。
「ギムレットには早すぎる」
蘭を見つめて、少し声を低めて言う。こういう時の新一は、役者みたいだ。謎解きの舞台に立ち慣れた探偵は、自然とこうなるのだろうか。蘭には分からない。でも、分かることもある。
「フィリップ・マーロウでしょ」
「お?」
「閃いた時の新一の顔が、事件が解けた時の顔とほとんど一緒だったから。…ホント、推理オタク」
蘭の応えに新一は一瞬目を見張って。
「すげぇな蘭」
嬉しそうに笑う。そのまま機嫌よく腕を伸ばして、また蘭を抱きしめた。
「さっすが、オレの彼女」
ニシシとからかうように、でも本当に嬉しそうに新一は笑う。
「あんまり褒められてる気がしなーい」
新一からプイと顔を逸らすが、蘭自身も、悪い気はしない。出会った頃からずっと変わらない新一が熱中するもの。その時のキラキラする顔も好きだから。新一の腕の中にすっぽり収まっている。
「ギムレットって…お酒だっけ?」
フィリップ・マーロウの有名な台詞は、新一との幼なじみ歴が長いので知っている。でもギムレットの意味は、詳しくは知らない。
「ギムレットは、ジンにライムジュースを加えてシェイクしたショートカクテルだよ。ライムの分量は作り手によって変わるけど、レイモンド・チャンドラーは『長い別れ』で、『本当のギムレットは、ジンとローズ社のライムを半分ずつ、ほかには何も入れない』ってマーロウの友人、レノックスに言わせてる。さっきの『ギムレットには早すぎる』もマーロウじゃなくてレノックスの台詞なんだ。マーロウは言われた側なんだよな」
「そうなんだ」
てっきり、マーロウが言った台詞だと思っていた。
「そ。マーロウの台詞は有名なのがありすぎて、色んな創作物で使われてるから蘭がそう思うのもありがち、だな」
「撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ?」
「あと、『タフじゃなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない』とか」
「ホームズもだけど……新一がキザでカッコつけに育つわけね」
ふふふっと少し笑ってしまう。優作の書斎は、幼い新一にとって知的好奇心の底なし沼だったわけだ。
「蘭にギムレットは早すぎるから…」
蘭と楽しめそうなカクテルを考える。
プリマスジンと言えば、ライムを入れてギムレット…が定番だが、新一は蘭にギムレットを出したくない。別れを連想させるあのシーンは、ギムレットのカクテル言葉とも通じる。
「ジュース、何がある?」
「えっと……レモンジュースなら」
先週のバレンタインに新一にレモンパイを作った時、余ったレモンでレモンジュースを作ってみた。
「キュンメルはないよな?あったらSilver Bullet(銀の弾丸)ができっけど……リキュールは母さんと父さんで好みが分かれるからなぁ」
記憶力を頼りに、家にありそうな酒を頭の中で探ってみる。
「あ!コアントローが余ってる」
「コアントロー?」
「うん。製菓用の。ほら、お父さんへのトリュフに入れたの」
新一のレモンパイを焼いている間に、蘭は小五郎用に手作りトリュフを作っていた。
「なら」
コアントローがあれば、ジンベースで作れるものがある。
「蘭が片付け終わったら、一杯飲もうぜ」
そう言って、新一は蘭から腕を解き、蘭の肩をポンと叩いて自分もカウンターキッチンへと歩き出した。
*
カウンターキッチンに二人で戻ってきて。最初にしたのはジンを凍らせることだった。その間に、夕飯の片付けを新一も手伝いながら全部済ませる。蘭はホッと息をつき、エプロンを脱いだ。そんな蘭に変わって、今度は新一がカウンターに立った。
凍らせたプリマスジン、コアントロー、レモンジュースをシェイカーに入れる。グラスに氷を入れて冷やしておくのも忘れない。
新一がシェイカーを両手で持つと、蘭は少し驚いたようにその様子を見ていた。
振り方が弱いと氷の角がしっかりとれない可能性があるので、少し強めにシェイカーを振る。手首のスナップを利かせて。指がくっつくような感覚がしてから、表面に霜がついたのを確認して、グラスに白い液体を注ぐ。
「ホワイト・レディ」
グラスを蘭の前に置きながら、囁くようにカクテル名を告げる。乳白色でほんのり透き通る色味が、名前通りの上品さを感じさせた。
「シェイクって……どこで覚えたの?」
「ハワイで親父に」
「えぇ!?」
なんだか聞き慣れた台詞を新一はサラリと言う。万能すぎる。新一も、優作も。
「作り方だけな。ハワイは飲酒が法的に許されるのは、21歳からなんだぜ」
蘭が驚いたのは飲酒年齢についてではないのだが。新一は蘭の反応を楽しみにしているようで、促すようにホワイトレディを右手で示す。
「レモンの香り」
グラスを持つと、柑橘特有の香りが正面にふわりと広がる。レモンだけでなくオレンジの爽やかさも感じる。
口に含むと、ひんやりとした口当たりがした。シャープな酸味と一緒に、ジンの大人っぽさも感じた。
「美味しい」
「ホワイトレディのカクテル言葉は『純心』。ロンドンに由来の深いカクテルなんだ」
ベースのドライジンをウォッカに変えればバラライカ、ラムに変えればXYZ、テキーラに変えればマルガリータ、ブランデーに変えればサイドカーになる。
「甘すぎないで、スッキリしてる」
見た目と香りも楽しみながら、蘭は味わう。
ホワイトレディは別名、白い貴婦人。
花嫁の代名詞とも言える、純白のウエディングドレスを広めたヴィクトリア女王から由来するという説もある。ホームズの生きたヴィクトリア調の時代。
新一が印象に残ったのは、カクテル言葉が『純真』でなく『純心』なことだ。
深い意味はないのかもしれないけれど。
真実の真ではなく、ココロ(heart)の心。
『余計な感情が入りまくって、たとえオレがホームズでも解くのは無理だろーぜ!好きな女の心を…正確に読み取るなんて事はな!!』
今だって、変わらない。
お酒が飲める、成人した大人になったって。
蘭の心の全ては分からない。
分からないけど手放したくないと、あの頃にも増して思う。
「新一も飲む?」
「いや、これは蘭に」
そう?と言って大事そうに味わって飲む。
「鮮やかなカクテルも大人っぽいけど、白いカクテルもロマンティックだよね」
少し濡れた唇で、うっとりと呟く。
ホワイトレディの白が、ベルモットにエンジェルと呼ばれた蘭に、似合うと新一は思ったのだ。
「ありがとう」
「お礼は飲み終わってからたっぷり頂くから」
「……バカ」
掠めるように軽く唇を奪えば、レモンの甘酸っぱさと身体の芯を熱くさせるようなアルコールの香りが、新一の鼻腔を擽った。
遠くない未来。
蘭が白い貴婦人となる時の隣は、誰にも譲れない。
*****
前のテキーラの続きではないですが、今度はバレてる恋人二人で20歳は越えてる設定です。
完全に趣味に走ってます。カクテルの作り方や由来調べるの楽しくて。
新一の蘭への推理オタク版カクテル講座がシリーズ化しちゃいそうです。笑
探偵小説って、ハードボイルド系多いから、お酒結構出てきて面白いですよね。