冬はつとめて | ナノ
「えっと……冬は…つとめて、だったっけ?」
古文の教科書を開きながら、かごめは記憶を辿って小さく呟いた。
寒さが身に凍みる戦国の夜。
焚き火を囲み、旅の仲間たちはそれぞれ明日に備えて休む。
しかし、受験生のかごめにとって、この冬は正念場だ。寒さにも妖怪にも受験戦争にも、負けるわけにはいかない。
焚き火の前で教科書を開く前に、先日の授業で先生が「ここは絶対テストに出すからね」と言った所を思い出していた。
確か……枕草子の春夏秋冬に続く、一日の「をかし」な時間帯だ。
「雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし」
「え?」
木に背凭れて休んでいると思っていた犬夜叉が、いきなり隣に座ってスラスラとそう紡ぐから、かごめは驚いた。
「お前、まーた『てすとべんきょー』か?……ってなんだよ?」
かごめが目を見開いて犬夜叉を見つめるので、彼は訝しげに眉根を寄せる。
教科書に目を移せば、犬夜叉の暗唱と同じ文章が載っていた。
「犬夜叉……枕草子知ってるの?」
「枕の法師?」
「枕草子!今の文章よ」
「まくらのそうしって言うのか?」
「うん」
タイトルを聞いてもピンと来ないらしい。
枕草子が書かれたのは平安時代。今かごめがいるこの時は、戦国時代。枕草子はもう書かれている。でもまさか、犬夜叉が知っているとは思わなかった。
「おふくろが昔歌ってた呪文だろ」
「犬夜叉のお母さんが?」
「あぁ。冬の朝、雪が積もった外に駆け出してくおれを見ながら歌ってた」
朧げな記憶を辿るように、犬夜叉は目を細める。
「意味は知らないの?」
「知らねぇ」
「えっと……」
教科書を置いて、先日の授業でやった口語訳を書き記したノートを二人で覗き込んだ。
「冬は早朝が良い。雪が降っている朝は言うまでもなく、霜が降りて辺り一面が白くなっているときも、またそうでなくてもとても寒いときに、火などを台所で急いでおこして、部屋の炭びつまで持っていく様子も、たいそう冬にふさわしい。昼になって暖かくなると、火桶に入った炭火が白く灰っぽくなっているのはよくない。」
かごめはゆっくりとノートを音読する。
「なんか偉そうだな」
「風流を語ってるのよ」
「風流ー?」
「だってほら、確かにそうね。って情景が目に浮かぶじゃない?」
五感で想像を掻き立てる。
かごめが生まれた平成の世は、この戦国時代よりも季節を感じる機会が少ない。冬でも暖かい暖房がきいていて、炭に触れる機会なんて滅多になくて。
でも、人の感覚はきっとずっと変わらない。
現代も、戦国も、平安も……。
「清少納言って人の随筆なの」
「随筆?」
「エッセイみたいな」
「えっせい?」
「あ、ごめん今のなし」
犬夜叉が『エッセイ』を知っている筈ない。余計こんがらがるようなことを言ってしまった。
「随筆はね、えっと……」
うまく説明する言葉を探していると。
「随筆とは、心に浮かんだ事、見聞きした事などを筆にまかせて書いた文章。そういう文体の作品のことです」
「「弥勒」様」
てっきりもう寝ていると思っていた弥勒が会話に入ってきたので、犬夜叉とかごめは小声で名を呼んだ。その様子を見て弥勒が笑う。
「春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ……ですね」
「弥勒様も枕草子を知ってるの?」
一度読んだことがある程度ですが、と弥勒は曖昧に笑う。一度読んだ程度でこれだけ覚えているのだから、彼の知識の豊富さを思いがけず実感する。
「かごめ様の国でも読まれているとは驚きですね。やはり女性の瑞々しい感性はどの国でも変わらず…といったところでしょうか」
「女の人が書いたものだから覚えてるんじゃない?」
珊瑚が片目を開けて、冷めた視線で弥勒を射抜く。
「さすが弥勒。女好きが良い方向にいきることもあるんじゃな」
珊瑚と寝ていた七宝も賛同する。隣の雲母もミャァと小さく鳴いた。
「ひどい言われようですな」
不服そうだが否定はしない。
結局、みんな起きてしまった。
「もしかして源氏物語とかも読んでる?」
「光源氏ですか?」
「やっぱり!」
「かごめ様がご存じとは、枕草子以上に驚きですな」
「古文って授業でやるの」
かごめは教科書を数ページ捲って、源氏物語のページを開く。
「光源氏……好きにはなれない男です」
弥勒は渋い顔で呟く。
「意外!弥勒様なら羨ましいって言うのかと思ってた」
「おなごの気持ちを考えると……ですね」
そう返す弥勒の表情は、なんとも言えない微妙なものだった。
「その源氏物語ってどんな話なの?」
「光源氏とは、どんなやつじゃ?」
「お前たちにはまだちょっと早いです」
珊瑚と七宝の問いに、弥勒は即答する。
「何それ」
「なんじゃ……かごめも知っておるんじゃろ?」
ムッとした表情を浮かべる珊瑚と、弥勒に言い返す七宝。
「うーん……。私も授業でやったことある程度しか知らなくて、全部は読んだことないからなぁ」
「『をかし』に対して『もののあはれ』ですが……まぁ知らなくても良いでしょう」
「菓子が哀れ……?変な話じゃな」
「平たく言えば男女の恋物語ですよ。愛憎劇に近い」
「愛憎劇……」
恋物語に一瞬反応した珊瑚が、愛憎劇と聞き関心を失ったようだった。
愛憎劇を理解できない七宝が、
「二股か?」
と恐る恐る聞けば。
「三股、四股……もっとですよ」
弥勒が小声で答える。
「お、オラまだ子どもじゃ……」
驚きの表情を浮かべ、七宝も珊瑚と一緒にまた寝る体勢へと入った。
「教えろ」
他の二人が寝てしまっても、犬夜叉は弥勒に食い下がる。
「お前にもまだ早い」
「かごめは知ってるんだろ」
「大人の男女の話だぞ」
「なっ!」
犬夜叉の顔が赤く染まる。そして、今の一言のせいで余計気になるようだ。
「教えろ」
「興味があるのか?犬夜叉」
大人の男女の話に、とニヤつきながら弥勒は問う。
「かごめは知ってんだろ」
「二回目ですよ、その台詞」
「なんでそんな話、お前とかごめだけ知ってんだ!」
「それはかごめ様の国の教育方針……じゃないか?」
「ちょっと……!犬夜叉、あんたなんか変なこと考えてんじゃないでしょうね?」
犬夜叉と弥勒の言葉の応酬に、かごめの頬も赤く染まる。そんな変な話じゃないはずだ。
「私も寝ます」
「おい、コラ!」
「あとはお二人で……。お邪魔してすみませんでした」
引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、弥勒も錫杖を抱えて目を閉じた。
結局最初の二人になってしまった。
焚き火の前に、犬夜叉とかごめは並んで座る。
「源氏物語って何だ」
「だから!私も詳しくは知らないんだってば!」
光源氏がモテモテで、反面女性たちが苦悩しているイメージはある。
「……言いにくいんだったら掻い摘んで説明しろ」
「あー!やっぱりヤラしいこと考えてる!!」
「ばっ!ち、考えてねぇ!!」
犬夜叉の返答は虚しく、かごめは「おすわり」と言霊を囁いた。
「ねぇ」
「あんだよ」
不貞腐れ気味に、犬夜叉は返事をする。
「井戸がもし偶然……戦国時代……この時代じゃなくて、平安時代とかに続いてたらどうする?」
「はぁ?」
「ある日突然、私が全然違う時代に行っちゃったら……」
誰もいない世界。知らない世界。
「そこにも妖怪とかいるのかも……」
いつもの調子で井戸を抜けたら、全然違う時代で。今よりもっと怖い妖怪に襲われるかもしれない。弓も持っていなくて……。
「どこに行ったって、鉄砕牙でぶった斬る」
「え?」
「『へいあんじだい』に妖怪がいたら、だろ?」
犬夜叉は当然のように迷いなく告げる。
「そっか……そうよね!」
「なんだよ」
「迎えに来てくれるんだな〜って」
誰もいない世界じゃなかった。犬夜叉が一緒だ。かごめがどこに行ったって、井戸の先は犬夜叉とつながっている。犬夜叉も、井戸を通れるんだから。
「迎えに行くと怒ってたじゃねぇか」
「前はね。会って、すぐの頃」
嬉しそうに笑うかごめに、犬夜叉は怪訝な顔をする。
「今はね、結構嬉しい。テスト中に学校に、とかは困るけど……」
教科書で顔を隠しながら囁けば。
「ケッ」
面倒くさそうな声と同時に力強い腕が伸びてきて、かごめの身体を包み込んだ。
「……勉強出来ない」
「さみぃからな」
「いつもは寒くないって言うくせに」
かごめが笑いを堪えながら顔を上げると、数センチの距離で目が合う。
お互いの頬が色付くのを間近で見た。そのまま見つめ合って目が離せない。一瞬、時間が止まる。
そんな二人の間に。
ちらちらと舞い落ちる……白銀。
「雪……?」
触れるとひんやり冷たい。肌の上で、音もなく溶けてしまう。
辺りを見渡せば、小さな小さな綿がしんしんと降り注いでいた。
「積もるかな?」
「朝にはうっすら……かもな」
「冬のつとめて、が楽しみだね」
そう言ってかごめが身を預ければ、「風邪ひくなよ」とぶっきらぼうな声が、薄着のかごめを先程よりも強く抱き締めた。
*****
受験生のかごめちゃんが書きたいな〜って思って、そういえば戦国時代にはもう平安文学はあるんだよね…と思いついて。
ツイッターでお話した話題とか全部ひっくるめて書いてみました。
犬夜叉一行と平安文学!(笑)
古文の先生の口調は、鏡の中の夢幻城のあの先生の、私の勝手なイメージです。
なんか久しぶりでいつも以上にまとまりのない文章ですが、やっぱ犬かご書くの楽しいです。大好き(*^^*)