秋祭り | ナノ
 薬草摘みが一段落した所でふと空を見上げれば、夕空に鰯雲が広がっていた。白くて小さな雲が、魚の鱗のように群がっている。

(明日は雨かしら?)
 ついこの前まで、大きな入道雲を眩しく見上げていたのに。村から森への畦道でも、稲の穂が黄金色に実りつつある。秋なんだな、とかごめは実感した。
 戦国時代に戻ってきて半年。こちらの暮らしにも随分慣れて、最近は空模様で天気予報も出来るようになった。楓の豊富な知識を少しずつ覚えていっている。

(帰って夕ご飯作らないと。何にしよう……)
 家にある食材と、食べてくれる人の顔を思い浮かべた時。

「かごめ!」
 当の本人の声に振り返る。夕焼け空でも映える緋色の衣。

「犬夜叉。妖怪退治は済んだの?」
「弥勒の札で一発だ。おれの出る幕すらねぇ」
 少し不本意そうに答えた。

「それで迎えに来てくれたんだ」
 怪我とかなくて良かったじゃない、と安堵の気持ちも込めて微笑めば。

「楓が呼んでる」
 目線を逸らされた。照れ隠しだろうか。

「楓婆ちゃん?なんだろう?」
「急ぎじゃねえが、お前に大事な話があるんだとよ」
 言って、当然のように犬夜叉が背を向けて屈み込んだので、かごめも慣れたその背に身を預けた。



【秋祭り】



「豊穣感謝の秋祭り?」
「かごめの国ではなかったのか?」
 そう言われてみれば、聞いたことがある。秋の収穫を喜び、農作物の恵みに感謝すると同時に、来年の豊作を祈願する。日暮神社ではやっていなかったが。

「本来秋祭りの日に、若い巫女が神楽を舞うものなんじゃ。わしが年をとって誰もする者がいなくなっていたが……どうじゃ。今年はかごめ。お主がやってみては」
「神楽を?私が?」
 思いがけない仕事だ。

「まだ時間もある。練習すればかごめならすぐに出来るじゃろう」
「そうかな……」
 楓が教えてくれるのかと思えば、隣の隣の村の巫女が教えてくれるらしい。しばらくその村に泊まり込みで練習することになるそうだ。

(犬夜叉なんて言うかな……)
 高校を卒業して戦国時代に戻ってきてから、数日離れるのは初めてだ。四魂のカケラを集めていた頃は、数日家に戻るのを嫌がっていた。折角頼まれたのだから役に立ちたいが、犬夜叉の反応が少し気になった。



「神楽ぁ?」
「そう」
 夕飯を食べながら、それとなく巫女舞の話を振ってみた。

「って風使いの……」
「違う違う!全然違う!踊りよ。巫女の神楽舞!」
「そんなのあんのか」
「みたい。私も見たことはないんだけど」
 村祭りの日か、と呟いて犬夜叉は目線を彷徨わせた。

「暫く村を離れて習いに行かないといけないんだけど……」
 五日くらい、と告げる。

「そうか」
「うん」
 そこで少しだけ二人に沈黙が走る。

「毎日の生活とか巫女の仕事とか色んな人にお世話になってるから、私に出来ることならやってみたいって思うの」
「へっ。思いっきりコケんなよ」
「そうならないためにちゃんと練習してくるわよ!」
 言い返せば楽しそうに笑われた。小さな心配は杞憂だったのだ、と悟る。

(びっくりするくらい上手くなってやるんだから)
 かごめはそう決意した。



 かごめが巫女舞をするとなると話の進みは早かった。楓は踊りを教示してくれる先の巫女とすぐに段取りをつけ、村でも祭りの準備と同時に舞舞台の準備が始まった。
 五穀豊穣に感謝する祭りなので、巫女による舞の奉納の他にも甘酒を配ったり、投餅等の行事があるそうだ。
 犬夜叉は、教示先の村までかごめの送り迎えを頼まれた。

「待っててね」
「おう」
 別れ際、笑顔でそう告げるかごめに、早く帰ってこいよ、とは言えなかったし、会おうと思えば会える距離だ。その事実があるから大丈夫だ。
 



 そして、かごめが帰る祭りの前日。
 昼過ぎには迎えに行く約束だ。朝早くに目覚めた犬夜叉は、ソワソワと定位置の木の上で時間が経つのを待とうとしていた。

「犬夜叉。お主も忙しいぞ。投餅用の餅をつかねば。珊瑚とりんが早朝から蒸し米を準備してくれておる」
 楓の呼び出しに、「おー」としょうがねぇなという思いを込めて応じようとして、ふと気付いた。力仕事は当然のように犬夜叉に回ってくる。それに慣れている自分に少し驚いた。

「昼過ぎにはかごめが帰ってくるんじゃろう?」
「お前ら揃いも揃って、おれの顔を見ればかごめの話ばかり……」
 この五日間、自分で確認しなくても毎日のようにみんなにかごめの帰りを数えさせられた。
 かごめが出掛けた次の日。川の側を通ると、洗濯をしていた珊瑚に呼び止められた。

「犬夜叉。かごめちゃんが帰るまであと四日だね」
 昨日出掛けたのだから当然だ。

「寂しい?」
「今日一日顔を見てねぇだけで、寂しいわけねぇだろ」
 自分の言葉にそうだ、と心の中で頷く余裕がまだあった。

 次の日。

「かごめが帰るまであと三日じゃな。かごめは忙しくしとるのかのう?犬夜叉、顔を見に行かんでいいのか?」
「けっ!」
 鼻を鳴らして七宝の問い掛けを聞き流した。

 その次の日。

「かごめ様が帰るまであと二日、ですか。どうだ?今晩は一緒に酒でも。いい酒があるんだ」
 ニヤつく弥勒に酒を振舞われた。不覚にも結構酔ってしまい、その晩は何を話したか覚えていない。

 そして昨日。りんまで、

「明日はかごめ様が帰ってきますね!」
 と屈託のない笑顔で、犬夜叉を励ますように声を掛けてきた。

「みんなしておれを馬鹿にしてんのか!?」
 りんが走り去ってしまってから、生暖かい目で犬夜叉を見詰める弥勒に、このよく分からない居心地の悪さをぶつける。

「みんなかごめ様を待っているのだ。お前と同じように」
「……」
「かごめ様の舞、楽しみですね」
 真面目で器用なかごめだ。きっと綺麗な舞を踊るだろう。口には出さないが、犬夜叉もそう思っている。



 楓の頼みを済ませると、いつの間にか昼を迎えていた。風を切って迎えに行くと、丁度かごめが世話になった巫女や宮司への挨拶諸々を終えて待っていた。

「犬夜叉!」
 見慣れた笑顔に、あと少しの所で足が止まるほどホッとした。かごめが駆け寄ってくる。

「……おう」
「元気?途中で会いに来なかったね」
 ちょっと待ってたんだけど、とかごめは冗談めかして言う。犬夜叉は頬が熱くなった。

「お、おれも忙しかったんでい」
「お祭りの準備、進んでる?」
 かごめはにっこり笑って、普段と変わらない会話をしながら、帰路に着いた。



 夜。明日のための、いつもより少し上等な巫女服の準備を終えてから、かごめは犬夜叉の隣に座り込んだ。肩が触れるか触れないかのこの距離が、気に入っている。

「寂しかった?」
「あ?」
「この五日間、私がいなくて……」
「ばーか」
 小馬鹿にするような憎まれ口が返ってきた。

「何よ」
「当たり前のこと聞いてんじゃねぇよ」
「それって……」
 犬夜叉の意外と素直な反応に驚く。

「も、もっかい動きの確認しとこうかな」
 照れ隠しに、かごめは勢いよく立ち上がった。
 明日の衣装の横に置いた扇と鈴を握る。
 いよいよ明日だ。この5日間の成果を見せたい。みんなに。そして、待っていてくれた彼にも。
 シャン、と鈴を鳴らして手と足の動きを確認する。扇をクルリと回す動作は、簡単そうで実はなかなか難しい。

(ここで目線は変えずに手首を返して……)
 夢中になっていると、右手を掴まれた。

「犬夜叉?」
「捻ったのか?」
 あ、ばれちゃった?とかごめは内心思う。昨日の練習でも、誰にも気付かれなかったのに。

「大丈夫よ」
 安心させるように笑顔で告げる。

「ちょっと扇を返す時に捻っちゃって……大したことないの」
 それでも犬夜叉の眉間の皺はとれなかった。



 秋祭り当日。
 村全体が朝から普段と空気が違う。みんなどこかワクワクしている感じで、大人も子どもも落ち着かない様子だった。
 かごめは早い段階から舞用の衣装に着替え、楓と一緒に控えていた。村の女性が髪を整え、化粧を施してくれる。

(き、緊張してきた……!)
 ドキドキと早くなる自分の心臓の音をなんとか落ち着かせようと、かごめは必死だった。
 そんな時。

「おったか?」
「もうすぐかごめちゃんの舞だっていうのにどこ行っちゃったんだろうね」
 七宝達は朝から姿を見せない犬夜叉を探し回っていた。

「あ、犬夜叉!」
 始まりの太鼓の音が響き、かごめが舞台上に現れたところで、ようやく犬夜叉も仲間の下に姿を見せた。

 シャンシャンシャン
 ドンドンドン

 太鼓と鈴の音に合わせて、大きな黄金の扇がひらりひらりと舞う。

 シャンシャンシャン

 薄い衣が揺れると同時に、鈴の音が空気を震わせる。

 ドンドン シャンシャン

 長い黒髪を結い上げたその姿は、清らかで神々しい。神に仕える者なのだと実感した。妖の血が入った自分が近付くことは、憚られるほど―――。
 手元がキンと冷たい。かごめが踊り終えるとすぐに、背中を向けて舞台の裏手へと向かった。


「犬夜叉!」
 彼の姿をいち早く見つけたかごめは、着替えよりも先に駆け寄った。踊った後なので化粧も崩れたかもしれないが……気にしない。感想を、聞きたかった。

「無事に終わってひと安心」
 ふぅと息をつくかごめの正面に、犬夜叉は跪く。

「腕。貸せ」
「え?」
 何かを包んだ布を、捻って赤くなっている所に当てた。ひんやりと気持いい。これは……氷?

「これ……どうしたの?」
「洞窟の奥にあるのを見付けた」
「……ありがとう」
 氷が出来るにはまだ早い季節だ。わざわざ探し回って、取ってきてくれたのだろう。

「巫女舞、どうだった?」
「……」
 綺麗だった。腕を痛めているのを全く気にさせないほど、見蕩れてしまった。そして、その神々しさに一抹の不安を抱くほど。
 犬夜叉が黙っていると。

「舞って祈りを込めて踊るのよ」
 柔らかなかごめの声が響く。
 指南してくれた巫女にそう教わった。繊細な動きにするには、自分の祈りをしっかり込めるよう言われた。

「私の祈りってなんだろう……って思って」
 神社の娘だけれど、神様に何かを必死に祈ったことはなかった。そもそも神の存在をそんなに信じていない。巫女なのに。

(神さまより……信じてる人がいるからかも)
 目の前の彼を改めて見詰めてみる。真面目に話を聞いてくれている。目が合って、訝しげに視線を返された。

「祈りって……願いと似てるんだって」
 その視線があんまり真っ直ぐなので、気恥ずかしくなってかごめは視線を逸らす。

「私の願いって叶っちゃったのよね」
 四魂の玉に願わなくても。犬夜叉が叶えてくれた。だからこそ唯一の正しい願いを四魂の玉に告げることが出来た。

(それに……今の私の想いって、「願い」よりも「祈り」なのかもしれない)
 人の「願い」が「個人」の欲することで、一方「祈り」は他者も含めた「みんな」の願いだとしたら。かごめの想いは祈りに近い。

「だからね。私の祈りは……」
 近付いて、耳打ちする。

「かごめ……」
 彼女の祈りを聞き、犬夜叉は万感の思いを込めて呼び掛けた。
 彼が名前を囁く声が好きだ。毎日何度も耳に届くこの声を、ずっとずっと聞いていたい。そう思うと、かごめは自然と笑みが溢れた。
 爪の長い手がかごめの頬に触れる。少し凭れるように顔を預ける。そのまま顔が近付く気配に目を閉じようとした時。

 ガタッ

 すぐ傍で物音がする。少し離れた所からこちらを覗き込む、弥勒、珊瑚、七宝の三人。

「ごめん。お餅も甘酒も余ったから、一緒にどうかと思ってさ」
「普通に声掛けろよ!!」
 バッとかごめから勢いよく離れて、犬夜叉が怒鳴る。

「匂いで気付かなかったのか?」
「……っ!」
「二人には必要なかったね」
「餅よりもくっついとるし、甘酒より甘そうじゃ」
「少し目を離すと……いや本当に羨ましい限りですな」
「おめぇらうるせぇ!!」
 七宝と弥勒を足蹴にしようと犬夜叉は追いかける。
 その場にはかごめと珊瑚だけが残った。そこで、珊瑚がこっそり教えてくれた。

「犬夜叉はかごめちゃんのいない三年間……今まで準備ばかりで、秋祭りにきちんと参加するのは初めてだったんだ」
 井戸の縁に座り込んでいるのを一度見たって七宝が言ってた、と静かに付け加える。

「だからってわけじゃないだろうけど……この数日の準備も頑張ってたよ」
「うん」
 なんとなく分かる。
 今は、かごめがいなくても村に溶け込んでいる犬夜叉。巫女舞を「綺麗でしたよ」「ありがとうございました」と言ってかごめを受け入れてくれる村の人々。始めから村の生まれではない弥勒と珊瑚が、この村で賑やかな家庭を築いている。そして、妖怪の七宝。半妖の、犬夜叉。
 当たり前になってしまったこの日常が、本当はとても、とても大切な……幸せなことで―――。

「巫女の舞、お疲れ様。かごめちゃんだからこその美しさだったよ」
「……ありがとう」
 珊瑚の優しい言葉が胸に染みた。
 ブツブツ弥勒達に文句を言いながら、犬夜叉が戻ってくる。 

「犬夜叉」
「あ?なん」
 何だよ、と言いかけた言葉が金の扇で止められる。かごめはそのまま背伸びをして、二人の距離を縮めた。
 お、と周りの三人が驚いた声を上げる。

「かごめ様には敵いません」
「はい退散するよー」
 楽しそうな弥勒と珊瑚の声を耳に。開いた黄金の扇に隠れながら、かごめは犬夜叉に口付けた。
 扇と同じ色の瞳が、一瞬真ん丸に見開かれる。満月のようなその瞳はすぐに閉じられ、かごめのことをしっかりと抱き締めた。


『来年も再来年も、此処でこうしてみんなと……犬夜叉と一緒に季節を過ごしていけますように』





*****
数年前るーむっくに寄稿させて頂いたものです。犬かごサルベージ。
高校の体育祭で御神楽を踊ったのを思い出しました。
「想い届け、願い叶え」のその先に、かごめがこんな祈りを持ってくれたら、って思いながら書いた記憶が。
犬夜叉って作品への愛を、詰め込んで、詰め込んで、詰め込んだらこんな話になりました。

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