紅花 | ナノ
あの時のおれは確かに桔梗を思い浮かべた。
透明な高貴さを伺わせる白衣。
焔を思わせる鮮やかな緋袴。
目映い陽の光も相まって、思わず目を細めた。
でも今は。
今は――。
【紅花】
「かごめ。起きろ。紅花摘みに行くんだろ?」
「ん…う、ん……」
心地良さそうに寝息をたてる彼女を起こすのは忍びなかったが、早朝でないと目的を果たせなくなる。だから犬夜叉は渋々声を掛けた。
「待って……」
何が待てだ。明日は絶対早起きしなきゃ、と言い出したのはかごめだ。
「朝露がどうとか言ってたじゃねーか」
「!!……紅花染め!!」
パチリと目を開いていきなり起き上がる。やっと覚醒したらしい。
「ごめん!起こしてくれてありがとう。急いで準備するから!」
かごめの身支度が整うのを待って、二人で夜明けの森へと出掛けていった。
***
楓の村からそう遠くない場所に、広い紅花畑がある。森と隣接しているので、辺りは静まり返っていた。
染め物や口紅の原料となる紅花。アザミに似たその黄色い花には、小さいながらも棘がある。だから、朝露を含んだ棘がまだ柔らかいうちに、ひとつひとつ丁寧に花弁だけを摘んでいく。
「紅花って言うからてっきり赤い花だと思ってたわ」
「下の方は少し赤いだろ」
「ホントだ。でもほとんど黄色。これを日に干すと赤くなるのよね。すごいなー」
摘み終わる頃には日が昇り、鳥も鳴き始めていた。
村に戻って竹茣蓙に敷き、日当たりのいい所に干しておく。
「あれ?かごめちゃん……それ紅花?」
珊瑚が息子を背中であやしながら、楽しそうに聞いてくる。
横で弥勒が両手に双子を抱えていた。
「うん。今朝摘んできたの」
「紅でも差すの?」
「お化粧してお出掛けですか?」
全く同時に尋ねてきた発想が夫婦一緒で、かごめは吹き出してしまった。
「犬夜叉も隅に置けませんなぁ」
その笑顔を肯定ととったのか、面白そうに弥勒が笑う。
「あ、違うの!袴をね…紅花で染めようと……」
「緋袴を?」
「うん」
「そっか。手間はかかるだろうけど頑張ってね」
そして珊瑚は、紅染めに使用する紅は冷え性や切り傷によく効くこと、艶紅という口紅の作り方などを教えてくれた。
一日日干しすると、花は見事な赤に変わっていた。それを水に浸けて一晩おく。これで黄色の色素を抜いて、色が出たら今度は灰汁や梅酢を入れて真っ赤な染料を作り出していく。
それからひたすら絞ったり揉んだりの繰り返し。絹を浸して、緋色になるまで何度も何度も色を重ねていく。
一つ一つ丁寧に気を遣いながら、その行程にいちいち感動するかごめ。
この時代に生きる犬夜叉達にしてみればごく当たり前の作業だが、かごめにとっては真新しくて感慨深いらしい。
「お花で染めるってなんかいいわよね」
襷で腕を捲って、絹を染料に浸けながら言う。
「虫で染めるのもあるぞ」
「虫!??流石にそれはまだちょっと……」
とかごめが心の底から苦い顔を浮かべたので、動物の血で染める話もしない方がいいか、と犬夜叉は悟った。
***
「どう?ちゃんと染まってる?」
「おう」
「とりあえず乾かして、明日また様子見ね」
結局、全て終えるのに夜までかかった。部屋の隅に干す前に、かごめが見せてくる。
「楓ばぁちゃんには茜の根を勧められたんだけど……紅花にしてみた」
「かごめに合ってる」
紅花から出る色は、柔らかさと深みがあり、遠くからでもくっきり見える。不思議な輝きは飽きが来ない。
「ありがとう」
少し頬が染まって見えたのは、染め物のせいじゃないようだ。
「自分で染めたかったの」
巫女服が怖いわけじゃない。引け目を感じる必要もない。
白は混じりけのない色。どんな色にも変わる可能性のある色。そして、始まりの色。
だから、そんな白と合わせる赤は、自分で作り出したかった。
「自分で仕立てた着物で……此処で生きていくんだって」
緋色に染まった布をぎゅっと握り締めてから、壁にかける。
「この服も着慣れてきたから」
その場でクルリと回った。白衣の袖と緋袴の裾が靡く。
「……」
犬夜叉も、緑の妙な着物姿じゃないかごめも見慣れてきた。
そういえば、かごめが巫女服を初めて着たのはいつだ?
三年の期間を経てすぐか?
いや、随分前に一度……一度見た。
「犬夜叉?」
今と同じように、座っている犬夜叉を見下ろす姿――。
思い出した。
出会って間もない頃。
かごめが風呂がないことに不満を言って、水浴びした時だ。
緑の着物を洗って――。
『脱ぎな』
「ん?」
「え?」
おれは確か――。
「どうしたの?」
「!!……何でもねぇ」
微妙なことを思い出してしまった。
あの時確か、岩で殴られた。
巫女の服を着たかごめは、今はもうかごめにしか見えない。
それは例え髪を束ねたとしても。
「何でもないって顔じゃないけど…」
三年前より少し賢そうだし……少し美人には見える。
だからといって似てきたとは思わない。
かごめはかごめ。そして、桔梗は桔梗だ。
「大丈夫?」
屈んで顔を近付けてくる。そのまま犬夜叉の額に手を当てようとする。その手をゆっくり掴んだ。
「きゃ…!」
少し引っ張れば、簡単に腕の中へと入り込む。
「かごめ、」
今あの時と同じ言葉を言ったら、また岩で殴られるだろうか?
*****
「これは……綺麗に染まっておる。初めてとは思えんな」
「ありがとう。楓ばぁちゃんのお陰よ」
一晩経って程良く乾いたので、二人で楓に見せにきた。努力の甲斐あって、かごめは上機嫌だ。
「珊瑚ちゃん達にも見せてくる。紅のこととか教えて貰ったから」
かごめは嬉しそうに珊瑚達の元へと向かう。
その場には、犬夜叉と楓の二人が残された。
「結局、紅花で染めたんじゃな」
「あぁ。かごめがそれにするって決めてたからな」
「本当に綺麗に染まっておる。大変じゃったろう?」
色を鮮やかに出すために、何度も同じ作業を繰り返す必要があったからだ。
「かごめは楽しんでたみてぇだ」
「そうか」
楓は犬夜叉を見詰めて優しく笑う。
「なんだよ?」
「おや。かごめに聞いておらんのか?」
「何を?」
「紅花じゃ。何故紅花を選んだのか」
聞いていない。そう言えば、茜を勧められたとは言っていた。改めて話題にされると……気になる。
「わしが話してよいのか?」
「もったいぶらねぇで言えよ」
楓の年の功か、ただ単に犬夜叉の表情が分かりやすいのか、察した楓が尋ねてくる。そして、元来彼は気が短い方だ。
「……花言葉じゃ」
「花言葉ぁ?」
楓の答えを犬夜叉は気怠げに聞き返した。
やはり女子の心理なんてこの男には理解し難いか。変わった部分と変わらない部分。ここ数年の彼を思い起こして、楓は自然と笑みが零れた。
楓はかごめが草木染めの相談を持ち掛けた時、茜の根と紅花の説明をした。
紅花よりも茜の方が濃い色が出ると。何度も重ね染めする手間が少し省けると。それぞれの花に関する知識も一緒に。
始めは茜染めのやり方を熱心に聞いていたかごめだが、紅花の花言葉を聞いて、はっきり「こっちにする」と言った。それから噛み締めるように「これがいい」と。
「犬夜叉ー!」
向こうからかごめの呼ぶ声がする。声が弾んでいる。珊瑚達にも褒められたのだろう。
「紅花の花言葉は知っておるか?」
「……おれが知ると思うか?」
「知らぬじゃろうな」
興味なさそうにケッと呟いて、犬夜叉はかごめの方へと歩んでいく。苦手分野の些細な理由より、今呼び掛ける彼女を優先するか。それとも本人に尋ねる気か。
かごめも歩き出した犬夜叉に気付いて、駆けてくる。
残された楓は二人を目で追った。
「紅花の花言葉は『包容力』」
だんだんと縮まる二人の距離。
犬夜叉にはまだ聞こえているだろうか。
届かなくていい。
ただ、口にしたい。
言葉は魂を持っているのだから。
「そして……『愛する力』、じゃ」
楓の言霊を静かにのせて、優しい風が戦国の大地を吹き抜けていった。
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虫のうんこで染めるのもあるらしいよ。←
仲良しな犬かご夫婦が好きです。
そして楓ばぁちゃんが大好きです。
真面目なの書いてたのに、限界感じて犬夜叉がムラムラし始めた。
あ、七宝ちゃん忘れてた…修行に出てるってことで(笑)