朔の日 | ナノ
「なんだよ?」
先程からずっと、黙ってこちらをまじまじと見ている女に、眉根を寄せて問いかけた。何度も遭遇している姿だ。今更驚いているわけではあるまい。
「その…すっごく久しぶりだから…。そっか、いつもと違うんだなって」
一瞬キョトンとしてから、はにかんだように笑う。確かに久しぶりだ。以前この姿で一緒に過ごした時、彼女は今の巫女装束ではなかった。きっともう二度と見ることのない『せいらぁふく』だった。
改めて自分の手を見れば、普段は鋭い爪がなく、嫌でも己の非力さを思い知らされる。守りたいものも守れないかもしれない頼りなさに、舌打ちしようとした時。
「なんか…ドキドキする」
かごめが小さく溢したその言葉で、犬夜叉の思考が止まった。
「はぁ?」
「な、なんでだろう?おかしいよね!何度も見てるのに」
彼女の顔は、耳まで真っ赤だ。
かごめが戦国時代に戻ってきて、こうして一緒に暮らしは始めて。楓の家ではない。仲間もこの場には居ない。二人きりの屋根の下で…朔の日を迎えるのは確かに初めてだ。
そう気付くと、つられて頬が熱くなる。
「前と変わんねぇだろ!」
変に緊張してしまって、思わず正座になる。
「…うん」
ツンとそっぽを向いて落ち着かない様子の犬夜叉に、かごめは逆に落ち着いてきた。
戻ってきてからの彼は、何だか少し大人になってしまった気がする。それはどことなく頼もしくて…かっこいい気がしているのだけれど、うまく表現出来ない寂しさも感じていた。
だから、照れ隠しのような幼い仕草を見せてくれると、安心する。
(あの頃も、今も……そのままの犬夜叉が好き)
あの頃は、あの時の犬夜叉が好きだった。
今はまた、今のままの犬夜叉が好きで。
きっとまた少しずつ変わっていくけれど。
やっぱり変わらないところと変わっていくところ、どっちも好きになるんだ。
ちょっと悔しいけど、それはずっと変わらない。
この想いは……。
「変わらないよね」
確かめるように呟いて、大好きな人の隣に身を寄せる。
最近お気に入りの、肩と肩が触れあう距離。
かごめから身を寄せると、いつもは犬耳がピクリと揺れるのだけど…流石に人間の耳だと揺れはしなかった。
「前に言ってたじゃない?朔の日に眠ったことないって」
「…まぁな」
すぐに分かるくらい犬夜叉の声が堅くなる。
けれど奈落はもういない。村にいる分、旅をしていた時のように妖怪に襲われる危険は少ない。
だから、犬夜叉がいつも以上に気を張る必要はないのだ。
「本当は休んで欲しいけど…いきなり変えるのは難しいだろうから。犬夜叉が寝ないんだったら、私も一緒に起きとく」
って言っといてうたた寝とかしちゃったらごめんね、と悪戯っぽく笑う。
「無理して付き合うことないんだぜ」
「いーの。私が起きときたいの」
突き放すような言い方をしても、かごめは全く動じない。寧ろ笑顔で犬夜叉の肩に頭を乗せる。
そんな以前と変わらない彼女に、自分でも驚くほど安堵する。
こうやって一緒に過ごせる時間を、かごめの些細な言動を、何より大切に思えるのは今だからだ。
ここでありがとうとか伝えられたらどんなにいいか。
言葉に出来ない歯痒さに任せて、手を伸ばす。
「犬夜叉?」
あたたかい。
安心する。
かごめの匂い。
「ちょっと、くすぐったい…っ」
普段なら、力任せに抱き締めたら壊してしまいそうで。
無意識に加減する。
でも今なら。
同じ人間の…非力な今なら…。
ぎゅう、と力を込めてみる。
「だったら寝かせねぇ」
囁いた声にかごめが息を飲んだのが、人間の耳でも分かった。
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朔の日ネタはつきません。
お互い意識しちゃう初々しい犬かごたまらん。