千鶴の恩返し | ナノ








 昔ある所に、土方歳三という若者が薬の行商をして暮らしておりました。
 歳三は結構大きな農家の末っ子でしたが、百姓がなかなか性に合わず、試衛館という剣術道場に通いながら村外れに一人で住んでいました。

 ある寒い雪の日のこと。
 町に石田散薬を売りに出かけた歳三は、罠にかかった一羽の鶴を見つけました。
 小柄な鶴は身体を丸め、小さく踞っています。罠から逃れようと試みたのか、足には怪我をしているようでした。
 可哀想に思った歳三は、鶴を罠から逃がし、持っていた石田散薬を飲ませてやりました。
「もう捕まるんじゃねぇぞ」
 鶴の小さな頭を撫で、ぶっきら棒に声を掛けてその場を後にします。鶴は罠を外しても暫く逃げず、立ち去る歳三の背中をずっと、見えなくなるまで見つめていました。

 激しく雪が降り積もるその夜。
 歳三の家の扉をトントンと叩く者がおりました。
「……ん?」
 天気の良い、例えば月の綺麗な晩ならば、近藤などの友人が訪ねてくることもあります。しかしこんな凍えるような吹雪の夜。流石の沖田も性質の悪い悪戯を仕掛けには来ないでしょう。
「誰だ?」
 竹刀を片手に持ち、少し警戒しながら扉を開けた歳三の前には。
「夜分に申し訳ございません。失礼を承知でお願い致します。こちらに一晩泊めて頂けな いでしょうか……?」
 その場にそぐわぬ愛らしい娘が立っていました。
「……男の一人所帯だぞ?」
「どうかよろしくお願いします」
「あんまりいい家じゃねぇが……」
 娘の方には雪が降り積もっています。玄関先で追い返すわけにもいかず、とりあえず中へ入れ庵の前へ案内するのでした。

「お前、名前は?」
「千鶴、です」
 千鶴は親と死に別れ、会った事もない親類を頼って行く途中で道に迷ってしまい、困っていた所にこの家の灯りが見えたので門を叩いたとのことでした。
 よく見ると、千鶴は足首の辺りが赤く腫れています。
「足を痛めたのか?」
「はい、先程山道で転んでしまい……」
 でも大丈夫です、と笑う千鶴。
「薬なら余るほどあるぞ」
 歳三は石田散薬を飲ませ、包帯を巻いてやったのでした。

 次の日も、また次の日も雪はなかなか止まず、千鶴は歳三の家に留まっていました。
 その間、千鶴は家事をこなし、甲斐甲斐しく歳三の世話をしました。
 特に千鶴の淹れるお茶は格別で、寒さに凍える身体を優しく温めてくれるのでした。

 ある日千鶴は、意を決したように「顔も知らない親戚の所へ行くよりも、いっそ貴方のお嫁さんにして下さい」と言いました。
 歳三は驚きましたが、雪が解け春がやってくる頃には二人の生活に心地よさを感じていたので、少し照れくさく感じながらも承知しました。
 短い期間でしたが、二人は確実に愛を育んでいたのです。

 こうして桜の花が咲く頃に、歳三と千鶴はささやかな祝言をあげました。
 隣で幸せそうに笑う千鶴を、歳三はとてもとても大切に想っていました。

 それから暫くして。

「布を織りたいので糸を買ってきて頂けませんか?」
 と千鶴が頼むので、町に薬を売りに行ったついでに糸を買って帰りました。
「絶対に中を覗かないで下さい」
 糸を受け取ると、そう言い残して部屋に籠り、布を一反織り始めました。

「これを売って、また糸を買ってきて下さい」
 三日三晩千鶴が不眠不休で織った布は大変美しく、たちまち町で評判となりました。目玉が飛び出る程高く売れたので、歳三はそのお金で千鶴に似合いそうな桜柄の髪留めを買いました。
 新しく買ってきた糸で千鶴はすぐに2枚目の布を織り、それはいっそう見事な出来栄えで、更に高い値段で売れました。

 けれども休まず機織りを続ける千鶴は、だんだん元気をなくしているようでした。一度入ると出来上がるまで部屋から出てきません。声を掛けると返事はするのですが、絶対に開けて中を覗くことは許しませんでした。
 折角買った髪留めも、歳三はタイミングが掴めず千鶴に渡しそびれていました。

 千鶴が3枚目の布を織るためにまた部屋に籠ると、初めのうちは辛抱して約束を守っていた歳三でしたが、ここ数日の千鶴を思い返すと心配になってきました。
 千鶴はどうやってあんな美しい布を織っているのかも気になりましたが、日に日に声も元気がなくなっているようで……ついに我慢できず、部屋の障子を開けたのです。
 千鶴の姿があるはずのそこには、一羽の鶴がいました。鶴は自分の羽毛を抜いて糸の間に織り込み、煌びやかな布を作っていたのです。もう羽毛の大部分が抜かれて、鶴は哀れな姿になっていました。
 驚いている歳三の前に、機織りを終えた鶴が来て言いました。

「私……以前、歳三さんに助けてもらった鶴なんです」
 その声は確かに聞き慣れた千鶴の声でした。
「このまま歳三さんのお嫁さんでいたかったんですが……」
 真っ直ぐ歳三を見つめる瞳は、哀しみに揺れているようでした。
「覗かないで下さいと言ったのに……こんな姿を見られたからにはお側にいられません」
「覗かなかったらお前は羽根が全部なくなるまで織っていたのか?」
 やっと出た歳三の声は低く、鋭いもので。聡い千鶴に、歳三が本気で怒っていると伝えるには充分でした。
「……はい」
 もう嘘はつきたくありません。一番の秘密がバレてしまった今、隠し事はしたくなかったのです。
「そんな恩返しなんていらねぇよ」
 顔をしかめ、吐き捨てるように言い放ちます。
「……これしか私にはできません」
 堪えていた涙が、千鶴の目からはらはらと零れ落ちました。あの優しい背中を見つめた時の思いが、鮮明に甦えります。
 真っ白い雪の中、一人立ち去っていく背中。白い羽を広げ、そっと包みたいと願いました。

「もっと自分を大事にしろ!」
「!?」
 懇願するような大きな声。
「俺は……お前が傍にいてくれりゃいいんだ」
 広い胸が千鶴を力一杯包み込みました。
 羽根の大半を失った千鶴には、歳三の温もりが直接伝わってきて……何よりも温かく感じました。
「歳三さん…」 
「千鶴。お前が何だろうと関係ねぇ。……そばにいてくれ」
「……っ!」
 千鶴は震える羽で彼を抱き返しました。
「私も……歳三さんのお側にいたいです!でも……もうダメなんです」
 実は、機織りを始めた頃から、千鶴は人の姿を保てなくなってきていました。時折、千鶴の意思とは関係なく、いきなり鶴に戻りそうになるのです。
「私、あの日……助けてもらった日にもう一度、もう一度だけ歳三さんに会いたいと思いました。会ったらもっと一緒にいたいと願ってしまいました。幸せすぎたんです」
 言いながら涙が後から後から溢れてきます。
「人の姿を保てなくなったのは……お別れの兆しだったのかもしれません」
 羽根を失い肌に赤い傷のついた千鶴。
「話は後だ」
 彼女の痛々しさにとりあえず歳三は石田散薬を取り出します。
「私、歳三さんにたくさんたくさん幸せを頂きました」
 別れを覚悟した千鶴は泣きながら続けます。自分のことなどもうどうでもよかったのです。
「……勝手に終わらすんじゃねぇよ」
 歳三は持っていた石田散薬を口に含み、そのまま千鶴に口付けました。
「っ……」
 少し苦味のある薬をコクンと千鶴が飲み込んだ瞬間。
 温かな光が彼女を包み……体が熱くなり……そして……。
「と、歳三さん…!」
「千鶴…」
 普段二人が暮らしていた、小柄な大きな瞳の人間の姿の千鶴になったのです。
「…こいつが原因だったのか」
 歳三は握っていた石田散薬を凝視します。
 千鶴は足を怪我していました。だからこの家に来てからずっと石田散薬を飲んでいました。けれど足が治るのに合わせて、だんだんと石田散薬は飲まなくなっていました。
「贅沢はさせてやれねぇが…」
 驚きで言葉を失っている千鶴に、歳三は優しく笑い掛けて言います。
 桜の模様のついた髪留めを千鶴の手に握らせ、その小さな手を大きな手で包みました。
「お前は、これからも俺のそばにいろ。例え鶴だろうと離さねぇから覚悟しとけ」
「……歳三さんっ!」
 千鶴は勢いよく目の前の旦那様に抱きついたのでした。


 その後も千鶴は夫を立て、誰もが羨む嫁として歳三と仲良く暮らしました。
 彼女の不思議な正体は、今も夫婦だけが知っている秘密です。

 めでたしめでたし。







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石田散薬は万能薬!









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