涙そうそう | ナノ
大切にしたいものが多すぎて。
何一つ失くしたくなくて。
忘れたくなくて。
きっとずっと、
私は抱え続けて生きていく。
【涙そうそう】
「お、今年も来たね。千鶴ちゃん」
「はい。今年も…よろしくお願いします」
待ち構えていたように笑顔で声を掛ける店主に、千鶴は柔らかく微笑んで、胸に抱える荷物を手渡した。
使い古した菫色の布に包まれた細長いそれは、明治の世になりあまり見かけることはなくなった物だ。
廃刀令が布かれ、持ち歩くことが禁止されている大小二つのそれを、千鶴のような婦女子が持っていること、ましてこうして手入れを頼むことを店主は咎めはしなかった。
「こんな名刀、千鶴ちゃんみたいな女の子が持ってきた時は驚いたが…今じゃこんなにしっくりくるんだからなぁ」
「しっくり…ですか?」
「俺達みたいな刀剣商は知らない者はいねぇ業物だ。しかもかなり実践を潜り抜けた強靭なもんだと思うぜ。それでいて刀身の美しさは他のもんとは比べ物にならねぇ」
店主の長刀へと向ける眼差しは熱い。
「っと、話がズレたな。そんな名刀を、初めはどうしてこんな女の子が…と思ったんだ。でもな、千鶴ちゃんのあの時の顔、そしてこうして毎年会う時の顔を見てるとな」
大事なもんなんだろ、と穏やかに云う。
「…はい」
「任せろ。今年もいつでも使える代物に仕上げてやるぜ」
「ありがとうございます」
使うことはもうないけれど。
それも悟った上で声を掛けてくれる店主に、千鶴は心からの感謝を述べるのだった。
持ち主を失った刀が、使われることは二度とないと分かっている。他の者に使わせることは…千鶴がしたくない。
それでも毎年、『兼定』を手入れに持っていく。
刀剣商が手入れの為に預かっている間は、何かが欠けてしまったように心細く感じることもあるのだが、それでもあの頃と同じように維持しておきたかった。
*
町から少し離れた家に帰りついた千鶴は、箪笥の中の整理を始めた。
大きな家ではないが、庭に力強く佇む桜は道行く人の目を引く立派なものだ。毎年綺麗な花を咲かせてくれる。
その桜が咲き始める前に、千鶴は毎年家の中の整理をする。
整理といっても、家具等は普段から丁寧に使っているので特別片付けや掃除をする必要はないのだが、箪笥の中の普段使わない着物や小物を出して春の日差しに当てたり、痛んでいないか確認して繕ったりする。
一番上に仕舞っていた紫紺の着物は、生地もしっかりしていて特に痛みもなかったので、そのまま日干しにする。
一度千鶴が強く握りすぎて、皺をつけてしまった名残りがあるだけだ。
その後に出てきた菫色の着物は、所々破れを繕った跡がある。
以前千鶴が施した物だが、裁縫の腕は今の方が上かもしれない、と思い微笑する。それでも丁寧に一針一針心を込めて縫った。
きっと着物もたくさん持っていたわけではない。だから、斬り合いになって破れたり汚れたりする度に「頼む」と繕いを求めてきたのだ。
千鶴が今住むこの家に来るまでに、長い転戦をしてきた。転戦の頃には洋装をしていた彼が、出来るだけ少なく纏めた荷物の中に、この着物を入れていてくれたことは嬉しい。
その洋装も、菫色の着物の下から出てくる。
襟付きの烏賊胸、ズボン、袖無しの上着、外套。
初めて見た時は驚いたが、異国の服装も似合う彼の姿に見惚れてしまった。
そして、一番下に折り畳んで仕舞ってある…浅葱色の羽織り。
晴れ渡る空のような鮮やかさは、あの頃から全く色褪せない。
「…っ…」
思わず強く抱きしめていた。
これを羽織った彼を、彼らの背中を千鶴はずっと追いかけてきた。
誠の武士として、志を掲げた彼らを。
この家で二人で過ごすようになって、持ち物の整理をする時に、これを見つけて一度彼に尋ねたことがある。
『着てみませんか?』
両手で広げて彼に見せる。懐かしい彼の姿を見たいというちょっとした好奇心だった。
『いや、やめておく』
眉を少し下げて、困ったように微笑んだ。
『どうしてですか?』
『…新撰組は俺一人のもんじゃねぇからな』
羽織りごと優しく千鶴を抱きしめて、そう囁いた。
『お前こそ、たまにはこっちもいいんじゃねぇか?』
『ひゃ…』
すっぽり腕の中に収まった千鶴の髪止めを解き、以前のような高めの位置で彼の手がまとめる。
広い胸から見上げる彼の表情は、楽しそうな笑顔に変わっていた。
些細な日常の中に、新撰組副長としての彼の想いが息づいていて。
一つ一つ、思い出す度に胸が締め付けられる。
家の中をゆっくり確認しているうちに、静かに日が暮れていった。
*
一通り整理を終えてから、桜の花弁の柄が入った大小二つの湯呑にお茶を入れる。
まだ寒さの残る夜の縁側に運んで、一人座り込んだ。
今夜は綺麗な朧月がゆらゆらと、膨らみ始めた桜の蕾を照らす。
一緒に居た期間は、きっと普通の夫婦よりも短いけれど。
千鶴にとってはとても色濃い時間だ。
追いかけて、追いかけて、辿り着いた先。
「大切な、かけがえのない時間を…本当にありがとうございます」
千鶴を優しく見守るように根付いた桜に向かって、呟いていた。
呟きながら、目頭が熱くなる。
きっと彼の命は、戦の終わりと共に散るはずだった。
誰よりも誇り高き武士を目指した彼だから、武士として、戦いの中に身を置いて死ぬつもりだったはずだ。
それでも千鶴は彼に生きてほしかった。
それは彼をよく知る人達に託された想いでもあった。
だから、何があっても彼の傍に居たいと願った。
そんな千鶴にとって、一緒にいられた時間はかけがえのないもので。
自分はこれ以上ないほどの倖せ者なのだと自負している。
それでも、毎年綺麗な桜が咲いて。
はらり、はらりと散るのを見ると。
一人さみしくなる。
会いたくて。
会いたくて。
こうして彼がいた証に触れて。
心いっぱい、埋め尽くす。
私の涙を拭うのは、貴方の役目だから。
また、会えますよね。
目を閉じれば、
『当たり前だ』
と笑う彼の姿が浮かぶ。
「歳三さん」
声に出すと同時に、熱い涙が頬を伝った。
信じて、私は生きていきます。
*****
友達に『涙そうそう』で薄桜鬼小説を…と言われたのでエンドレスリピートしながら書いてみました。
未亡人千鶴ちゃんです。SSLに続く!土方さんが儚くなられてからの話は、全部転生SSLに続くって私は思ってます!!
書いてて甘くてラブラブイッチャイッチャな土千が恋しくなりました。ひじちづ幸せになれ!!