春の月 | ナノ





霞がかかって潤んだ朧月。

それはまるで、

桜の隣ですぐに涙を流す誰かのような…。



【春の月】




「歳三さん」
呼ばれて振り向いた土方に、お茶が入りました、と千鶴がお盆に二つ湯飲みを持って歩いてくる。

「おう」
縁側で物思いに耽っていた土方は、悪いな、と言って湯飲みを1つ受け取る。両手で持つと気付かないうちに冷えていた手には丁度よく、温もりが心地良かった。
雪はすっかり溶け去り、昼間は長閑な陽気を感じたのだが、やはり蝦夷の夜はまだ随分と冷える。

「…歳三さんは本当に春の月がお好きですね」
土方の隣に座り込み、少しでも温まるよう身体を近付けて、千鶴も桜と春の夜空を見上げた。

「妬いてんのか?」
「い、いえっ!」
口角を上げて悪戯っぽく尋ねてみれば、顔を真っ赤にして初々しい反応が返ってくる。

「春の月は…お前みたいだからな」
小さく微笑んで、彼女の細い肩を掴んで引き寄せた。

「歳三さんはそう言って下さいますが…本当に私には勿体ないです」
優しい腕に従い、頭を彼の肩に預けながら訴える。
こんなに綺麗な春の月だなんて。いつまでも慣れない。恐縮してしまう。

「……千鶴」
そんな千鶴を真っ直ぐ見詰めながら、彼は優しく呼び掛けた。

「はい」
「人を導くように道を照らす春の月の話は…ガキの頃からずっとこの世で一番美しいものは春の月だと信じてた話はしたよな?」
「…はい」
返事をしながら、思い出して頬を染める。
忘れるわけがない。その話と同時に、春の月みたいな女だと言われた。

「お前と此処で暮らし出してから、もう1つ春の月を特別に思う理由が出来た」
「私と暮らし出してから…ですか?」
「ああ」
千鶴にそれが何か考える間を与えるかのように、土方は手元のお茶をゆっくりと啜る。
懸命に思い当たる節を探してみるが、全く思い付かない。

「春の月がどうして淡く霞んで見えるか知っているか?」
「いえ」
「暖かくなって水分を多く含むようになった空気で、淡く霞んで見える」
だから春の月は朧月って言われるんだとよ、と続ける。

「まぁ理屈はどうだっていいんだが…潤んだお月さんが時々泣きそうに見えてな」
「……」
「泣きそうになりながら…いや、泣きながらでも、何処に行ったって桜と俺達を照してる」
菫色の瞳を細めて、彼は千鶴の頬に優しく手を寄せた。

「誰かさんみてぇだと思わねぇか?」
真っ直ぐ千鶴の瞳を見詰めて、問い掛けてくる。

「世の中が、人が、新撰組が…変わっても」
彼の言おうとすることがだんだんと分かってきた。

「何もかも失って、鬼になったとしても」
それと同時に、熱い涙か頬を伝っていく。

「ほらな」
お前はすぐに泣く、と呟きながら長い指が千鶴の目尻の涙を拭う。

「泣きながらでも…道を照らして支えてくれる」
「歳三さん…」
「だから月と向き合って改めて、その涙の責任をとらなきゃなんねぇと思う」

もうだめだった。
しゃくり上げて泣いてしまいそうだった。

彼の思いに触れて、幸せすぎて切ない。
こんなにこんなに貴方が愛しいです。

「私は、土方さんが、歳三さんが大好きです」
どちらも愛しい。厳しく律する眉間の皺もたくさんのものを背負った背中も、こうして向き合った優しい瞳も。

「ずっとずっと大好きです。だから歳三さんの責任は…とても重いんです」
「俺は重いものを背負ってばかりだな」
性分か?と困ったように穏やかに笑う。

「…きっと歳三さんが重石が必要な人だから、です」
小さく鼻を啜りながら訴える。何より、その重いものを背負えるだけの優しい人だと知っている。だから、背負って…生きて。

「てめぇ、言うようになったじゃねぇか」少し意外そうに、でも嬉しそうに千鶴の頭をクシャクシャと撫でる。

「妻ですから」
目線を反らして言う。表情は平静を装っているが千鶴の耳は赤い。
それに気付いて、堪らなくなる。

「ああ、お前は本当に愛しい妻だよ」
「きゃ…」
千鶴を抱え上げて膝に乗せた。いきなりの出来事でバランスを崩しそうになった千鶴は、土方の首に手を回す。

「ほら、そっくりだ」
慌てる千鶴の肩越しには麗しい月が輝いていた。
「千鶴…」
少し掠れた声に、歳三さん、と熱を帯びた声で返す。

「やっと手に入れた、俺の春の月」
甘い囁きに導かれるように、どちらからともなく唇を重ねる。

蝦夷の寒さも少しずつ和らぐ春の夜。
穏やかな月が薄紅に色付いた桜の間から二人を照らしていた。









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