逆さまに落ちる
今日私は、このビルの屋上から飛び降りる。毎日そんな決意をして、私は繰り返しビルの屋上に上る。何故毎日なのか。結局飛び降りるのが怖いのではないか。そう思われるかもしれない。私が毎日同じ行動を繰り返さなければならない原因は。
「香菜、また居た」
この男、迅悠一である。迅は私が屋上に行く度現れる。飛び降りようとした瞬間声をかけてきたり、そもそも私より先に屋上に居る事もある。きっとそれは、迅のサイドエフェクトのせい。迅には、目にした人間の未来が見えるらしい。
私もボーダーの端くれだ。B級ソロ。チームを組まなければランク戦に参加できない。上にもいけない。だからA級になるのは早々に諦めた。野良のB級、声がかかる事はあるけれど、全部断ってきた。だって人間付き合いなんて面倒だ。私はただ最低な死に方をしたくてボーダーに入ったのだから。
そんな中迅に出会って、声をかけられるようになった。サイドエフェクト、最初聞いた時はよく分からなかったが、未来が見えるなんて最悪だろう、自分だったら絶望していると思った。私には何のサイドエフェクトもない。だから持っている人間の何たるかは想像出来ない。想像したいとも思わない。でも、普通と違う力を普通として持っているのは凄いのではないかと思う。ボーダーには他にもサイドエフェクトを持っている隊員は居るが、私には迅のサイドエフェクトが一番面倒そうだと感じた。面倒そう、だと少しニュアンスが違うかもしれない。何というか……迅が平然としていられるのが不思議だった。
「あんたこそ何で居んのよ」
「そりゃ放っておいたら香菜が飛び降りちゃうからでしょ」
口ぶりからして、きっと迅には私がここから落ちる映像が見えているのだろう。だから態々こんな事をするのだ。意地の悪い。本当に、意地の悪い人間だと思う。屋上に行く度会うのだから、放っておいてくれればきっと私は自分の目的を達成できるのだ。それをずっと、止められている。まさに迅の言葉の通りなのだ。飛び降りちゃうから、それ以上でも以下でもない。私は人生を無事終える事が出来て幸せ。世界は私が居なくても回る。ボーダーだって私は真面目な隊員ではないから、居なくなった所で何の問題もない。
「いい加減諦めてよ」
「香菜が諦めなよ」
何の権利があってそんな事を言うのだ、と思ったが聞かない事にした。聞いたって私はきっと納得できない。迅は私の行動の理由を聞かない。それは優しさなのだろうか。迅は何を思って私と話をするのだろう。私と話したって、つまらないだろうに。
萎えてしまった。私はそれ以上話すのをやめて場を立ち去る事にする。結局今日も目的を達成する事ができなかった。迅のせいだ、迅が悪い。そう思ってしまう自分にも嫌気がさす。本当は、迅は何一つ悪い事なんてしていないのに。
「明日は来ない方がいいよ」
帰りがけ、迅に声をかけられたが知らないふりをした。迅の事だ、また何か見えているのだろう。そんな事は私には関係ない。気分が削がれてしまった私は、家に帰る気にもなれなくてボーダー本部に行く事にした。
つい先ほどまで飛び降りるの死ぬの言っていた人間が何をしているのか。笑い話にもならない。けれどおかしいと思わない位、私の感情は麻痺している。ぼうっとしながら道を歩いた。話す人も居ないというのは楽だ。寂しくないの、とすら言われた事はない。そう言ってくる程仲の良い人間が、私には居ない。作ろうとも思わなかった。それなのに。唯一の例外、迅悠一。作ろうとして作った話相手ではない。いつの頃からか話しかけられるようになり、普段はそれなりの会話もする。いつも最後には、私が話を切ってしまうのだけれど。
「香菜ちゃん、珍しいね!」
ラウンジに居たら緑川に話しかけられた。迅を慕っているこの子は、少し苦手だ。人懐っこいのか他の人が声をかけないような私にも物怖じせず接してくる。迅が私に話しかけているのを見ているから余計にかもしれない。迅のせいで人脈が少しずつ増えていっているような気がする。全く迷惑な話だ。
私はこの世界とさよならをしたいのである。無駄な人脈は不要だ。重荷だ。独りでいい。独りで、いいのに。
「悪いけど、ソロはしないよ。見てるだけだから」
そう言えば緑川はつまらない、と口を尖がらせた。緑川はA級の隊の隊員だ。B級の私と戦ったって、結果は目に見えている。自分から醜態を見せに行く必要はない。それこそ迅にでも相手をしてもらえばいいのに。こういう時に限って居ないのだ。嫌な男。置き去りにせずに迅もひっぱってボーダーに来れば良かったと、私は少し後悔した。
それから適当に暇を潰して、満足した私は帰路についた。家族は三門市には住んでいないので、私のねぐらはワンルームの安いアパートだ。食べて寝るだけ出来れば十分なので問題なく生活を送っている。考えてみれば明日は休日だった。何をしよう、考える。答えは一つだった。あのビルへ、明日も行こう。迅の言葉など聞く必要はないのだ。生きるのは私の意志、ならば死ぬのも私の意志だ。誰に邪魔される事もない。
そうだ、今から行ってみようか。私は急に思い立った。早いか遅いかなんて関係ない、意のままに行動する。その楽しさを、私は知っている。果てに待ち受ける結果がどうであれ。
「やっぱり来た」
「……迅」
夜だろうと関係ないらしい。そこには迅が居た。流石に私も驚いて、足が止まってしまった。ずっとここに居たなんて事はないだろうから、きっとまた未来が見えていて再度やってきたのだろう。本当に厄介なサイドエフェクトを持つ人間に目を付けられてしまった。そう思ったら、何だか馬鹿らしくなって。
きっと私はこれからも迅に止められるのだろう。ならばいくら屋上に通ったって、場所を変えたって駄目だ。私にとっての迅は、最強の妨害者なのだ。
「見えてた?」
「見えてた」
そっか、と呟いた声は、迅に届いただろうか。死んでしまいたかった。色んな事を試した。いつも失敗した。ボーダーに入っても死線をくぐるような出来事はなかった。上に行ったら、少しは違ったのかもしれないけれど、それを拒否したのは自分自身だ。そのうち迅が話しかけてくれるようになって、本当は少し嬉しかったのかもしれない。これは決して口にしてはいけない。もしかしたら、気づかれてしまっているかもしれないけれど。
「ねえ、迅はさ」
勇気のいる質問だった。言っていいものか、随分悩んだ。でももう言ってしまおうと思った。迅ならきっと、受け止めてくれるのではないかと思ったのだ。
「これからも、私が死のうとしたら止めてくれる?」
「いや、正直もう疲れた」
だからこの迅の言葉に、私は至極落胆した。ああもう、迅にさえ見放されてしまった。まさに今飛び降りてしまいたい衝動にかられる。でも迅の次の言葉が、私のそんな思考をかき消した。
「大丈夫、死にたがりの香菜は今日で居なくなるから」
「どういう意味?」
本気で分からなかったので聞いたのだが、迅は笑っていて。そして「これから意味を探していくんだよ」と答えた。探せるだろうか。今まで探そうなんて思ってもみなかったから、私には不安しかなかった。生き方を変えるのは難しい。私はいつまで経っても死にたがりの香菜だ。だが迅は違うという。
「おれが居るでしょ」
迅は言った。おれが一緒に探すから、と。そんなのは迅に悪い。迷惑でしかないじゃないか。そう返したら「おれが探したいからいいの」とよく分からない返答が返ってきた。でも、そうか。私は実は独りではなかったのかもしれない。今だって、隣に迅が居る。今は、少しだけ生きてみようと思っている自分が居て、こんな風に思う事もあるんだなと心の中で驚いていた。
「いつか余裕が出来たら、伝えたい事もあるしね」
また迅は分からない事を言う。何を、と聞いたら今は内緒、と返ってきた。ならばそれを聞くまで生きてみよう。迅の思惑通りになって癪だが、半分安心していたりもして。
明日私は、ここには来ない。
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