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ハーベスト

※何事もなかったハッピーな未来if














 時々不安になる。自分ではどうしようもない恐怖が、纏わりついて動けなくなる感覚。こんなに幸せでいいのだろうか。何不自由ない生活は、時として負の感情を生むものだ。贅沢なんだろう。贅沢なんだ。分かっているけれど、辛い。

「尋乃、調子はどう?」

 アトリエで絵を描いているとひょっこり顔を出したのは、パーフェクトな旦那様、悠仁さん。私はしがない絵描きで、たまに個展を開いたりもしている。得意なのは人形の絵。人工物の瞳が好きだ。本物の人間はいけない。吸い込まれて、消えてしまいそうになる。それは、とても怖い。
 悠仁さんは手に紅茶を持っている。休憩にしよう、と一言。私は頷いて筆を置いた。

「順調?」
「どうだろう。もう少しこう……」
「納得いくまでやればいいよ。尋乃の絵だし」

 優しい旦那様は、自分だって働いているのにこうして私の事を気にかけてくれる。私には平日も休日もないし、悠仁さんも不定休の仕事なので、世間一般の夫婦よりは大分自由な生活をしていると思う。

 優しい優しい旦那様。家事だって分担でも文句ひとつ言わない所か率先してやってくれる。甘えてしまう事も多い。悠仁さんの嫌いな所なんて何も思いつかない。だから、逆に悠仁さんはどうなのだろうと考えてしまう。私と一緒に居て利点なんてあるのだろうか。いつだったかどうして一緒に居てくれるのか質問してみたら「え? 好きだから」とあっけらかんとしながら答えられた事がある。まるでそれが全てだと言わんばかりに、当然だと言わんばかりに。その時は流されてそんなものかと思ったのだが、暫くするとまた同じ疑問がむくむくと沸き上がってくるから不思議だ。きっと私は、一生悩み続けるのだろう。悠仁さんの真っ直ぐさが、時に眩しく感じる。太陽のような人なのだ。

「もう少ししたら俺準備するから。夕飯作っておいたから食べとけな」

 悠仁さんの言葉で私は思考の海から引き戻される。そういえば今日は高校の同級生と久しぶりに集まるのだと言っていたか。前から楽しみにしているのを知っていた。
 それにしてもこんな日までしっかり私の為に夕飯を用意してくれるなんて、まめというか何というか。自分の事に集中してくれていいのに、全くよく頭が回る。
 幾ばくか言葉を交わしながら休憩を終えて、アトリエを出て行く悠仁さんの背中を見送った後、私は再び筆を手にした。夫婦、という割にはこざっぱりしているけれど、一つの関係としてはありだと思っている。私たちはこれで良いのだ。
 集中してどれ位経ったろう。悠仁さんが私の名前を呼ぶ声で入口の方へ振り向いた。

「行ってくるな! 夕飯ちゃんと食べろよ」
「そんなに念をおさなくても食べるよ」
「どうだかなあ。尋乃周りが見えなくなるタイプじゃん?」

 その通りだ。その通りなのだけれど、悠仁さんに心配をかける訳にはいかない。せっかく同級生と会うのだ。思い切り楽しんできて貰いたい。だから私は大丈夫、大丈夫と悠仁さんを送り出した。早めに帰って来る、なんて言うのでいいから日付が変わるまで飲んで来い、と返した。

 悠仁さんが居なくなってから、私は描き途中のキャンバスを入れ替えた。描かれているのは一人の人物。人物画は苦手だけれど、これだけは特別。記憶を辿りながら筆を進めて行く。時間はあっという間で、気が付けば結構な時が経っていた。勿論、途中夕飯はしっかり食べて片付けておいている。悠仁さんは今頃どうしているだろうか。時計を見る。そろそろ日付が変わりそうだ。話に花が咲いているのだろう。良い事だと思いつつキャンバスに視線を戻した所で、放っておいたスマートフォンが着信を告げる。普段は集中を乱されるのが嫌で絵を描いている時は電源を切っているのだけれど、今日は一応連絡出来るようにしておいたのだ。
 もしもし、と電話に出ると、聞こえてきたのは悠仁さんのものとは違う声だった。声の主の男の人は「虎杖の嫁さん?」と若干面倒そうに、けれど申し訳なさそうに切り出した。

“虎杖飲み過ぎて……悪いんだけど迎えに来てくれませんか?”

 後ろの方で至極機嫌の良さそうな、大分酔っているであろう悠仁さんの声が聞こえた。本人では上手く伝わらないだろうと、同級生の方が代わりに電話をしてくれたのだろう。お礼を言いつつ店の場所を聞く。電話を切った後、車の鍵を持って家を出た。

「悠仁さん」
「尋乃だあ」

 店の前には三人の男女。そのうちの一人が、悠仁さんだった。もう一人の男の人はそんなに酔っているようには見えなかったけれど、残る女の人も悠仁さんに負けず劣らず、といった感じだった。名前を呼びながら抱きついてくる悠仁さんを全身で受け止める。

「美人な嫁捕まえやがって、虎杖死ね」
「やめろ釘崎。すみませんええと……尋乃さん?」
「何だよ伏黒だってそう思ってるんだろ?」

 二人は伏黒さんと釘崎さんというらしい。美男美女である。伏黒さんが呆れたような困っているような顔を向けるから、大丈夫ですと笑っておいた。二人を相手にするのは大変そうだ。悠仁さんは「尋乃の名前呼んでいいのは俺だけなの!」と伏黒さんに絡んで行こうとしていて、その言葉にむず痒くなりながらも長くなる前に引き上げる事にする。

「虎杖の嫁も今度一緒に飲もうぜ!」

 そう手を振る釘崎さんと疲れたような顔の伏黒さんに会釈をして、悠仁さんを車に押し込んで家まで連れ帰った。随分な千鳥足だ。相当飲んだのだろう。水を渡しながら楽しかったか聞いてみると「応!」と元気いっぱいの答えが返ってきて何だか嬉しくなる。

「眠い……」
「ソファで寝ちゃだめだよ」

 私の言葉は聞こえたのか聞こえなかったのか、悠仁さんはソファに横たわったままで。そのうち寝息が聞こえてきて、仕方ないなとそっと毛布をかける。

「尋乃……好きだあ……」

 寝言だと分かっていても反応してしまうのは許して欲しい。好き、何度言われても慣れない言葉。

「私も大好きよ」

 不安になる時があっても、辛くなる時があっても、私には手を差し伸べてくれる優しい旦那様が居る。だから大丈夫だ。溺れる事はない。
 眠っている悠仁さんの頬に口づけた。そうして私は立ち上がる。あの絵を仕上げてしまおうと。もう少しで完成する。大好きで、大切な人の絵。見たらどんな反応をするだろう。想像しながら、私はまた筆を持つのだ。


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