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空の飛び方

「何してんの」
「空を飛ぼうと思って」

 廃ビルの屋上、縁に片足をかけながら、その女は歌うように口にした。

 任務後、見つけたのは偶々。別に関わる必要もないし、見逃してもよかったのだけれど、気づいたら声をかけていた。女はどこかうっとりとした表情で、顔はこちらに向けてはいたが俺の事は見ていないように感じられた。それが無性に腹立たしくて、ゆっくりと女の傍まで歩を進める。そうして広がる景色を見下ろした。ここから飛べば、死ぬ確率もそこそこ高いだろう。しかし女は飛び降りたいとは言っていない。空を飛びたいと言ったのだ。それは、全く違う意味だと思う。
 どうして飛びたいのか、どうやって飛ぼうと思うのか、理解が及ばない。

「こっから飛ぶの」

 結局出てきたのは当たり障りのない言葉だった。こんな事を聞いて何になるのか。どうしようというのか。何も考えていない。

「そう、飛ぶの。気持ち良いんだろうなあ。空を飛ぶって、夢があると思わない?」

 全く思わない。現実的に考えて、人間が何の力も借りず空を飛ぶなんて無理だ。ふと、五条先生なら出来るかもしれないなと考えて、あの人は規格外だからと思考を振り払った。空を飛ぶ術式を持つ者も居てもおかしくない。だが目の前の女は呪術師ではないのだ。おそらく、だが。

「アンタは飛び方を知ってんの」
「尋乃」
「は?」

 唐突に出てきた人名に俺は間抜けな声を出した。十中八九この女の名前だろう。俺に教えて何になるというんだ。だが名乗ったという事は、会話をする気があるという事なのだろう。少しだけ、興味を持った。

「尋乃は飛び方を知ってんの」

 質問し直す。そうしたら今度は「名前」と尋ねられたので、恵だと名乗った。尋乃は、女の子みたいな名前だとクスクス笑う。いつの間にか、縁にかけられた足はこちら側に収まっている。一旦飛ぶのをやめたようだ。まるで遊んでいるようで、尋乃の真意が分からない。結局何がしたいのだろう。俺は質問の答えを待った。
 向けられた視線に目を細めながら、尋乃はやっぱり歌うように話し出す。

「見当もつかないよ。恵くんは飛び方を知ってる? 知ってたら教えて欲しいな」

 馴れ馴れしい。だがこれが尋乃の通常なのかもしれない。残念ながら俺も飛べる方法なんて知らない。正直にそう言うと、尋乃は「残念」と笑った。言葉の割には悔しそうな素振りは見せていない。どちらでも良いのかもしれない。飛べても、飛べなくても、意味なんて何も。

 気づかないうちに引き込まれていた。尋乃という偶々会っただけの人間の事を、理解してみたいと思ってしまっている。自分にないものを持っている人間には惹かれるものだ。新しい世界は、少なからず刺激になる。この女とのやり取りが何の糧になるのかと聞かれたら、答えに詰まってしまうだろうけど。日常は刺激に溢れている。このやりとりも、その一つだと考えればいい。

 そしてやっぱり、尋乃は呪術師ではないのだろう。少し前から尋乃の後ろに呪霊が群がっているが、気づく気配もない。呪霊はどうやら尋乃が飛ぶのを手伝おうとしているようだ。と、言えば聞こえはいいかもしれないが、ただ屋上から落とそうとしているにすぎない。もしかしたらここは呪霊が集まりやすい場所なのかもしれない。尋乃は呼ばれたのだろうか。それともやっぱり、これも偶々なのか。何にせよ呪霊は祓った方が良さそうだ。

「尋乃。少し目、閉じてろ」

 そう言うと尋乃は首を傾げつつも素直に従った。尋乃の目がしっかり閉じられているのを確認してから、俺は呪霊を一掃する。どいつもこいつも低級ばかりで、祓うのは簡単だった。

「開けていいぞ」
「何があったの?」

 尋乃の疑問に答える事は出来ない。見えないものは説明しようがないのだ。ただ尋乃にも感じるものはあるようで。

「何だか体が軽くなった気がするけれど、これは恵くんの力なの?」

 纏わりついていた呪霊はもう居ない。この状況なら、尋乃でなくても俺が何かしたのだと思い至るだろう。だから変に隠したりもしない。そんな所だと曖昧に頷いておいた。尋乃は凄い凄いとはしゃいでいる。最初に声をかけた時より、少し幼くなった気がした。どちらが本性なのかは俺には分からない。分かってみたいなんて思ってもいる。尋乃を見つけたのも、話しかけたのも、もしかしたら必然だったのかもしれない。

「これなら飛べるんじゃないかな?」
「やめておけ」

 また縁に足をかけた尋乃の手を引っ張る。尋乃がやろうとしているのはただの自殺行為だ。目の前で飛び降りられるなんてたまったものではない。全く、こんな展開になるなんて思ってもみなかった。出来る事なら頭の中を覗いてみたい。

「じゃあいいや。恵くん話し相手になってよ」

 尋乃はスマートフォンをチラつかせる。どうやら連絡先を交換しようとしているらしい。俺は一つ、溜息を落とす。本当に、どうしてこうなったのだろう。一方で、別に嫌だとも思わない自分も居る。

「飛びたくなったら連絡してこい」

 そう言って自分のスマートフォンを取り出した。

 夕焼け空に、俺たちの姿も赤く染まっていた。


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