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92.瓦礫の音

 結希は一人街を歩いていた。目的は服の調達だ。硝子を誘おうとしたのだが予定が合わなかった。男共と服を選ぶのは気が引ける。二人はどちらともそれなりに目立つ。気分的に、ゆっくり集中する事が出来ない。
 いくつかの店を眺めながら歩く。これといって服装に拘りはない。動ければいい。故に迷う。結局目についた店に入り、色々物色した。二着程購入して後にする。夕刻、だがまだゆっくりする時間はある。どうしようか。せっかくなのでもう少し待ちを散策する事にした。久しぶりにあの本屋に行ってみようか。店主は元気にしているだろうか。そうと決まれば。結希は次の目的地を設定する。

「こんにちは。神野家の犬」

 その時だ。急に男性の声が聞こえた。反射的に振り返る。声の主は見つけられない。街の中に溶け込んでいる。しかしその声は、はっきりと結希の耳に届いた。立ち止まったまま視線を左右に向ける。神野家の犬、というのは間違いなく結希を対象にした言葉だ。確実に何処からか結希を見ている人間が居る。自然と気が引き締まる。こんなところで戦闘を始めるとは思わないが、用心はしなければならない。

「見えるかい? 神野家の犬」

 居た。見つけた。雑踏に紛れるように、けれど今度ははっきりと分かった。結希の視界が相手を捉える。そこだけがスポットライトを浴びているかのように浮き上がっていた。
 それは何処にでも居るような男。髪は白髪だろうか、ところどころ白くなっている。年齢は、よく分からない。結希より年上なのは確かだろうが、若くも見えるしそこそこの歳のようにも見えた。
 目を凝らす。男は薄く笑っている。気持ち悪い。男と結希の距離は縮まらない。どちらも一歩を踏み出さない。けれど不思議と、声は届いた。周りの音が消える。結希は男の言葉を待つ。

「家が大変だよ?」
「は?」

 この男は何を言っているのか。家が大変、とは。今更神野家がどうなったところで、というのが素直な感想だった。更に男の言葉は曖昧すぎる。大変、だけでは何が起こっているか分からない。分かったところで結希にどうこう出来るのかも謎だ。手を出して事態が好転するのかも分からないし、結局動く事は出来ない。
 男は状況説明をする気はないようだ。結希の短い問いに答えもせず、くるりと踵を返した。待て、とは声にならない。棒立ちの結希だけがその場に残った。
 煮え切らない気持ちの中寮へ戻る。荷物を置いて一息したら、夜蛾から連絡があった。今すぐ教室に来いと言う。何の用かと思いながら向かった先、言われたのは。

「神野家が消滅した」
「……嘘」

 夜蛾がこんな嘘を吐く理由はない。嘘を言っている顔でもない。真剣な顔つきと口調で、その事実を告げるだけ。一方の結希は一時的に思考回路が停止する。神野家とて呪術師としては能力のある家系だ。そんなに簡単に潰れるとは思えない。街中で会ったあの男の嫌な顔が脳裏に浮かんだ。大変、とはこの事だったか。確かに消滅は一大事だ。
 あんな家でもなくなると寂しいか。否、そんな事はない。非情な人間に思えて乾いた笑いが出る。非情にもなるというものだ。結希の中に、神野家が大切だという感情はない。過去の扱いを考えれば当たり前である。

「理由はなんですか」
「まだ調査中だ」

 聞いたのは、ただの好奇心。理由を聞いたところで何も変わらない。消滅した、とは生存者は居ないものだと考える。残ったのは、結希ただ一人。そしてその残った一人は、家を捨てている。そうか、居なくなったのか。清々した筈なのに、何かが気にかかる。結希の中に、家を思う心が残っていたとでもいうのか。そんな事はない。何故神野家が狙われたのか。呪詛師の仕業だろう。一人二人で潰せるわけはないから、何人か徒党を組んで襲撃したに違いない。次に狙われるのは結希だろうか。あの男はもしかして、宣戦布告に来たのか。
 結希は「分かりました」と夜蛾に一礼し背を向けた。真っ直ぐ自室に戻る気分でもなくて、五条を巻き込む事にする。連絡一切なく五条の元へ。居なければ諦めようと思ったのだが、部屋の扉をノックしたら返事があった。何も躊躇わず部屋に入る。

「何かあったか?」
「なくちゃ来ちゃいけない?」

 相変わらず素直じゃねえな、と五条。よく分かっている。結希はベッドに背を預ける形でぺたりと床に座った。そして今日あった事、夜蛾に言われた事を話す。思ったよりすらすらと言葉が出て来て不思議な気分だ。感情は抜きにして、事実のみを話す。その方が伝わりやすいだろうと思っての事だ。五条は黙って聞いている。結希の声だけが響く。一通り話し終わってふう、と一息吐いたところでやっと五条が口を開いた。

「大丈夫か」
「びっくりする程平気なんだよな」

 本音だ。なくなったと言われても動揺はしていない。あんな家。縛られるものがなくなって解き放たれた気分だ。だがあの男が気になるのも事実で。街中で会った、気持ちの悪い笑みを見せたあの男が。おそらくあの男は何らかの関わりを持って、結希に接触してきた。家はどうでもいいが、心の中の靄をこのままにしておくのは気分が悪い。

「私、あいつ探す」

 それは強い意志。五条も否定はしなかった。結希の気持ちを分かっているからだ。どんな未来になるかは予測出来ない。けれど結希の決意は固かった。


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