ココロのカギ




うちの母さんは、日本でも数少ないカギシだ。



かぎし。
漢字では火の技の師と書く。
火技師の一般への知名度は驚くほど低い。

事実、僕は周りの火技師を知っている人にお目にかかった事は無いし、母さんが火技師で無かったなら僕自身も知らなかったと思う。


因みに火技、は花火のことだ。
つまるとこる花火師なのだが母さんは決して自分の事を花火師とは言わない。
常に、火技師と言うのだ。
僕は何故花火師と自称するのか分からなかったし、特に困ることは無く、どうでも良かった。


まぁ、面倒臭いと言えば友達に母の職業を言うときだろうか。
大抵の奴は火技師と言っても分からないからいちいち火技師とは、というところから説明をするのだから。




昔、母さんに火技師って何するのが仕事なの?花火打ち上げる人とは違うの?と、無邪気にも聞いた事があった。
その時母さんはふっと微笑み、僕の頭を撫でながら、打ち上げるのは花火だけじゃ無いんだよ、もっと凄い物あげてるのと言ったのを今でも鮮明に覚えている。
それももう十年も昔の話だ。




十年の間に僕はいっちょ前に反抗期を迎え、母さんとは一時期全く話さない時があった。
今にして思えばつまんない事で意地張ってたなと思えるのだが、当時は何かといらいらして、話すのも嫌だった。
母さんも多分それを察していたのだろう。必要以上に僕に絡む事はなくなり、あまり家にいなくなった。



多分家にいるとお互いが気まずくなるので、仕事を多量に入れたのだろう。
しかし仕事を休まずしているのに母さん元気だった。家にいるときよりもよっぽど生き生きとしていた。

母さんの僕を見る目は何だか淋しくて悲しかった。
それすらも嫌で、母さんをなお拒絶した。
僕にとってはそれが不思議でならなかった。友達といるのも楽しかったが、学校から帰ると疲労していたからだ。


一体何が母さんを元気にさせるのか。ずっと疑問に思っていた。



何かきっかけがあった訳ではないが、気が付いたら僕は反抗期を終えていた。きっかけは多分、時の流れ。

今は母さんがただの親の一人としてではなく、僕の誇りの母親兼一人の火技師と見ることが出来ているはずだ。




そんな折、同級生の一人が隣町の河原で母さんが何かしている所を見たと言った。
聞いて始めは驚いた。今の時期は冬で、花火を上げているはずではないからだ

というか本来なら、来年の夏に備えて花火弾に火薬を詰めたりしていなくてはならない時期なのではなかろうか。



今だに母さんは僕が反抗期であると思っている。
しかしまぁ、それも終わった(はず)な訳であり、一人の男としても息子としても母さんが、火技師が純粋に気になった。



それから僕はどうにかして母さんを知ろうとした。
同級生に母さんの目撃情報があったらこっちに流してもらったり、家に放ってあるスケジュール帳を見たり。



そうした調査の結果分かったのは二日後の夜九時、友人が見たと言う隣町の河原で花火を数発上げるということだった。



いくら気になるからと言ってもわざわざ夜家を抜け出して隣町の河原まで行くのは億劫だ。
しかし、どうしてこんなにも母さんの仕事が知りたいのか。
それが無性に気になって。
自分の中で整理がつかないままなのが気持ち悪かったから、僕は行くことにした。





冬の水場の近くは「寒い」より、「身を斬るような鋭さ」に違いなかった。
いくら着込んでも鋭さはいっこうに緩くならないし、思ったよりも河原は見晴らしがよくて見つかりそうだと思った。
何せ障害物が橋しか無いのだ。
別に見つかっていけないなんて事は全く無かったが、何となく見付かるのは避けたかった。




河原には一組の男女がいた。
何やら和やかな雰囲気の元、談笑している。
わざわざこんな寒いところで話さなくても、と思うのだが彼らにも彼らなりの都合があってここにいるのだろう。
僕が干渉する立場ではない。

今だ、目をこらして辺りを見ても母さんは見つけられていない。
どこにいるのだろうか。




八時五十五分。
時計の針の進みが異様に遅いと感じるのは僕だけだろうか。
先程から三十秒おきに時計を見ている気がする。
まだ何のかわりもない。

吐く息は白く、手袋をしているのに指先の感覚は冷えて無くなってきた。
水面は時折微風によってさざめく。




九時になった。何度時計を見ても九時を過ぎている。
だが何も起こらない。まだか。

もうそろそろ帰ろうかな…寒いもんな。そう思い、俯いている時だった。

笛の形状のラムネ菓子が発する様なひゅるー、と言う聞き慣れた音を聞いたのは。


慌てて顔を上げれば、炎と音が弾けた様なまばゆい光。
実際の光はすぐに消えて落下してしまうが、僕の網膜には消えずに焼き付
いている。

その直後に響く体の芯まで染み入る太鼓のような心地好い轟音。


光と音の波がこちらに押し寄せるが、その波を避ける術を僕は知らない。だから、なすがまま。



総てが一瞬の内に起こり、あぁ花火だと実感したのは数発打ち上がってからだった。

それと同時にあの花火の下に、あの花火を打ち上げているのが母さんなのだとも思った。



花火大会のように何発も何発も息付く間もなく上がる訳ではない。
一発打って、暫くしてから二発目が打ち上がる。
そんなに沢山上げているのではないから、物理的に暖かくなる訳ではないけれども僕にとっては鋭さが緩くなった様な気がした。


それにきっと、多くの人は何だか物足りないと感じるだろう。
けれど僕にとってはこれくらいが丁度良かった。


夏にばんばん上げる花火も良いが、冬に数発上げる花火もなかなか粋な物だ。

どん、どんと花火が上がるスピードが徐々に早まる。

もうこの幻のような夢の時間は終わりらしい。なんだか淋しく様な気持ちになる。

最後に一際大きい花が音を伴って夜空に咲き、消えていった。




ぱらぱらと拍手が聞こえる。
河原の近くの近隣の住人と先程の男女の物だった。思わず僕も拍手を重ねる。


母さんの上げた花火も見終えた事だし、帰ろう。そう思って駅へと続く道に歩きはじめた時、今一度ひゅるーと花火が上がる音がする。


終わりじゃなかったのか!?

慌てて振り返れば、空に咲いたのは丸ではなくハート形の花だった。








やっと全て打ち上げ終わった。

最後の一番大切な花火はきちんと上がるか不安だったが、上手くいった。

冬場の夜なのに額から滴り落ちる汗を拭う。
ほてった体に冬の夜の空気はどこまでも優しい。すぐに汗は引いていくことだろう。

正直、とても疲れた。けれども自分の中では達成感が満ちている。

今日、彼らはこのまま帰るだろうがまた近いうちに何かしらの報告をしに来るだろう。
その時の顔が楽しみで楽しみで。

私は他の人の笑顔の為だけに何かが出来るほど、出来た人間じゃない。

けれど、感謝されたり笑ってくれたら嬉しいとは思う。
少し余裕があるなら、もう少しだけ頑張ろうとも考える。
上げた花火の残骸を見て、少しげんなりする。
これを全部片付けるのは骨が折れる。もう少し、人手が欲しい所だ。と言っても無理な話だが。



花火の余韻に浸る間もなく、下ろした腰を片付ける為に上げる。


残骸の八分の一くらいを処理し終えた時に、声をかけられた。






相変わらず寒く、見るものも見たので帰ろうと思っていた。

しかし帰路を歩んでいると意図せず後片付けをしている母さんを見つけてしまった。

仕事終わりだというのにやはり楽しくて、嬉しそうだ。顔が笑っている。


少し前に思ったなるべくなら見つかりたくないと言う気持ちはどこにいったのか。
声をかける事に悩みもせず、僕は片付けをしている母さんに声をかけた。


「母さん、こんなとこで何してんの?」

「あれ?カオル…?一応仕事でここにいるんだけど。何であんたこそこんなとこにいるの?」


母さんは本気で驚いているみたいだったし、何で僕がここにいるのか疑問に思ったみたいだった。
それもそうだ。


「えと…たまたま通りかかったから声かけただけ。だからもう帰るよ」

「そうなの?ここの近くに何も無いけど…。まぁ良いわ」


それに対して僕はありきたりな事しか答えることが出来なかった。




何だか体の中にずきりと鈍痛が走って少し心苦しい。
ここ暫くあまり話していなかったが、今まで母さんに嘘を付くなんてよくあったのに。
何でなんだろう。


「カオル、もう帰ってたら?これ片付けるの時間かかるし見てても面白くないわよ。それに体冷えるし」


そう面白くないなんて言いながらも母さんは笑顔だった。悦びを感じているとでも言うのか。

それに長袖の服を捲ってせかせかと動いている。どうも相当暑いらしい。
まぁ体を動かしているから当然と言ったら当然なのだが。


「ん…」


僕はそんな母さんを大変だなぁなんて思いながらも何もせずに見ていた。
暗い為、細かい数は分からないが片付ける物はまだ沢山あるように感じる。大変そうだ。

母さんも僕も普段は割りと饒舌だが今は二人とも喋らないので、静かだ。
普段ならば五月蝿くなくて良いやとも思うのだが今に限ってはそうでもなく、何だか淋しいような悲しいような気持ちになった。

こんな感覚を覚えたことが無いからこの気持ちに何て名前を付ければ良いのか分からない。

けれど、あえて言葉にするのならば母さんが僕とは違って大きく見えて遠い存在みたい、だ。
いつも背中がすぐ近くにあって手が届いていたのに届くどころか後ろ影すら見えない。


そこで僕は唐突に、しかも漠然としているが母さんは、彼女は僕とは違って「大人」なのだと気がついた。というよりも実感せざるを得なか
った。
仕事中の彼女を見てしまったから。


今まで仕事中の彼女を見たことが無い訳ではなかったが、それを見たのは随分と前。
記憶になんか残ってやしない。

僕は反抗期と称してどんなに大人ぶっていてもそれは本当の大人では無かった。やっぱり子供だ。
母さんは母さんだけれど同時に大人で、それに一人の職人でもあった。

そう気が付いた途端に母さんは僕とは全然違う存在に見えて嫌だった。
勿論そんなことは無いのだが、何だか僕の母さんであるとは言えなくなってしまう様な気がした。

僕はいつも母さん母さん言ってる訳でも無いし、所謂マザコンの覚えも無い。
それにマザコンなんて言葉で片付けられるほど親と子の関係は薄っぺらく無い。
自分を零から作り上げ、ここまで育ててきてくれた。そういう意味での「親」。


「カオル?どうしたの?ぼーっとして。帰らなくていいの?」


こちらを見ている母さんと目が合う。が、僕は目線を下げて背けてしまった。
あ、目を逸らしてしまったとあわてて母さんを見れば少しだけ悲しそうな顔をしていた。


「ごめん」
と、言ったがその音は声にならずに暗闇の中に消えた。

再び音が無くなる。

帰らなくていいの?は母さんなりの気遣いなのだろうと思うのだが、僕にとってはいささか辛かった。
僕が子供だからという配慮のもとに言われたような気がしたから。


「ねぇカオル。どうせ見てるならこれ、持っててくれる?汚れるの嫌だからさ」


と言ったが早いか、上着を投げてよこした。
汚れるのが嫌ならわざわざこれを着て来ることも無いのに、と思ったが何も言わずに受け取った。

するとポッケの中からしゃらり、と金属同士が擦れ合う音がした様な気がした。

硬貨でも入っているのだろうかと思ってポッケを開けて見てみれば、銀色に鈍く光るお世辞にも高価だとは言い難いネックレスが入っていた。
忘れもしない、そのネックレス。


幼き頃、僕が母さんに誕生日プレゼントとしてあげたプレゼントだった。小さかったから高価な物は買うことができなくて。
それでも持っていたお金全部を使って買ったのがこのネックレスだった。

あんなに昔にあげた物なのに、ずっと身につけていてくれたのだろうか。今ここから出て来るということはそうに違いない。

ふわっと、胸が暖かくなる。凍えそうなくらい寒かった時に温かなココアをたっぷりと飲む
ような感じ。それにずっと刺さっていた氷の氷柱が溶けていく気がした。


大人だし、職人だけれどもやっぱり母さんは母さんだった。
ちゃんと魂での繋がりがあった。

そう考えれば大人とか子供とかでぐだぐだしていた自分がどうしようもなく小さいことにこだわっていた様に思える。
大人と子供の差なんて目には見えない、曖昧なものなんだから。
また、すっと気持ちが落ち着いた。


あぁ、なんだ――
僕はこんなことに捕われていたのか。
捕われていると思い込んでいた檻の鍵は実は閉まっていなかったようなものだ。
鍵は僕が持っていたのだから。というよりも自分自身で心に鍵を掛けてしまっていた。
僕が外に出ようと鍵を探せばせば直ぐに見つかったはずだった。
それなのに鍵が無いことを言い訳にして外に出ようとする努力をしなかったのは紛れも無く僕自身。

我ながら馬鹿だなぁ、なんて思ってみたり。



母さんが花火師と言わない理由が朧げにわかった。
花火師が打ち上げるのは花火だけだが、火技師は花火だけではないのだ。
何て言うか、もっと他のもの。笑顔、や人と人を繋がりを強めたり、みたいなそんな感じ。


それに母さんが仕事なのに頑張れる理由がほんの少しだけ分かった気がした。
自分の中でももやもやして纏まらないし、上手く言葉には出来ないけれど、多分ありがとうと言われたいから。

そんな形無い不明確な物のためだけに頑張れるかどうかと言われたら多分難しい。
けれど、何かの為に一生懸命になるのは良いと思う。
考えてみれば、自分はここ最近何かに対して本気に、一生懸
命になったことがあっただろうか。今思いつく限りでは無い。



母さんを見れば相変わらずいそいそと片付けをしている。
この調子だとまだ相当時間がかかる事だろう。

少し協力したほうが良いのかな。僕達は家族なんだから、と柄にも無いことを思った。


近いうちにさっき会った彼らにもう一度会うと思う。もし会うのだったら母さんに言って僕も同席させて貰おう。
彼らの笑顔を自分も見たい。


だから僕は声をかけた。


「母さん、手伝うよ。どれを運べばいいの?」


母さんは少し驚いた顔をした。けれどすぐに頬を上げながら嬉しそうに言った。


「そう。じゃあの機材とこの機材を頼むわ」

「了解」


そう言って僕は立ち上がる。
もう一度しゃらりと音がした上着を置く


鋭いだけだった寒さは和らいだ。それどころか不思議と胸の辺りは暖かかった。
この暖かさは何なのだろうか。しかし暖かさの正体を考えることをしなかった。

おもむろに母さんを見れば、笑っている顔が見えた。つられて僕も微笑む。

僕は言った。


「母さん、任せてくれてありがとう」

と。
その音もやはり声にならずに闇夜に吸い込まれて、やがて消えた。

あのネックレスの入った上着を一瞬見て、僕は前へと歩き出した。












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ようやく終わった長かった。
多分過去最長。

カギ→火技
変換でやったら上手いこと
カギ→鍵
になって良かった良かった。

丁度より子のココロの鍵(というか薄桜鬼MADの曲)が来てたので、それとも絡められてさらに良かった。
タイトルも頂きました。

ココロの鍵是非聞いてみて。







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