同じ思い 斎千
椿。 この花は、他の花とは違う。枯れることは無く、萎れることもない。 散り行くとき、咲き誇っていたときの姿のまま花弁から上を切り落として、逝く。 惨めな姿なんてかけらも見せずに死に行くときは懍とした姿のまま、美しく孤独に。
千鶴は時折思う。それは武士の姿に似ていると。 潔く、を良しとする武士にとってまずは萎びてそれから枯れていくのは往生際が悪いというか、武士らしくないと思う。 お前に武士としての何が分かるのかと言われたら恐らく答えられない。ただ何となく思っただけなのだから。
斗南はいつも寒い。それこそ京にいたころとは比べものにならないくらいくらい。それでも、その寒さはあまり気にらなかった。 そう言うと若干の嘘が含まれるが、たいして問題ではない。
斎藤さんがいてくださるから。 ただ一言寒いと言えば何をしてくれるだろうか。きっと手を握って暖めて、首巻を私にかけて、それから寒いから早く帰ろうなんて言いながら耳を真っ赤にして抱きしめてくれるのだろうか。 こうして一緒にいられることが本当に幸せで、ただ一つの願いでもある。 この幸せがいつまで続くのかは分からない。明日かも知れないし、半年程後かも知れないし、もっともっと後かも知れない。いつ、その命の使用期限が、電池が切れてしまうか分からない。だからこそこの限りある時間を有意義に使いたいと思うのだ。
随分と前に土方は桜だと例えたが、それだとしたら斎藤は椿だ。 なんて目の前にある椿を見ながら千鶴は思う。斎藤は自分があんなに目立つ花では無いと言うだろう。毒々しいまでに見事な色は怖さすらも感じる。刺すような、血のような深紅。 赤い椿はまるで白い椿を血で染めた色のような気がする。不謹慎にもそう思う。 けれどそれは今まで斬ってきた人達の色なのだと言われれば、なんとなくではあるがそれも理解出来る。その人達があった上での今がある。
そんな椿椿に千鶴は無意識の内に惹かれていた。そして、どこかで斎藤と重ねていたのだろう。 一枝手折り、家へと持って帰ったのである。
持って帰った椿は、花瓶に入れても萎れることもなく、枯れることもなく花を落とすこともなく育っていった。 暇さえあれば、手入れをしていた。こまめに水を与え、土を変え、葉の手入れをする。大切に大切に、傷さえも付かないように育てていく。それはもう、斎藤がいる時にも気にかけていた。 殺風景な部屋に、花が少しあるだけで大分印象が違う。心が落ち着くというか、和むというか、見ているだけで嬉しくなる。 千鶴は斎藤と重ねて見ているからなおさらである。
「千鶴、あの花はなんだ?」 「椿です。あまりにも綺麗だったので一枝いただいてきたんですよ」
そうか、と言って斎藤は黙ってしまった。相変わらずその顔からは表情が読めない。 が、何となくではあるが斎藤も花を見て嬉しいような気がする。目元がほんの少しだけ緩んだからだ。
斎藤と千鶴は夫婦として契りを結んで決して短くない時を過ごした。その間に新選組として過ごしていた頃には分からなかった多くのことを知った。 ちょっとした癖。何て言えば斎藤が喜んでくれるのか。逆に何て言えば悲しむのか。 そう、数えていけばきりが無いくらいに。 嬉しくなると目元が柔らかく綻ぶ。これもその間に知った癖だ。 なんて考えるとやはり幸せなんだなぁと千鶴は改めて感じる。
「椿の花言葉は控えめな優しさ、なんですって。誇り、とか気取らない魅力って言うのもあるみたいですよ。何となくなんですけど斎藤さんみたいです」
そう笑いながら言えば、斎藤は少しだけ怪訝な表情をする。
「俺が椿なのか?」 「はい。だから傷も付かないように大切に育ててるんですよ。斎藤さんにも傷付いてほしくないですから」
そうにこりと笑って言えば、斎藤目を見開き、声をかける。
「千鶴、ちょっとこちらに来てくれるか」 「はい、」
と返事をして斎藤の近くに行けばくるりと視界が暗転する。見ているのが斎藤と言う点では変わらないのだが端正な顔が近付き、背が床になる。 斎藤は確実に欲を孕んだ目でこちらを見ている。 押し倒されているという状況である。
「えと…斎藤さん?」
千鶴としてはこのような状況になるように望んだ訳では無いし、そうなるように動いた訳ではない。 故に何故斎藤がこのように動くのか分からなかった。
「斎藤さん、私何かしたでしょうか。何か足りていないところがあるならおっしゃって下さい」
自分の手の中で汚れなき純粋な目をしばたかせる。他人を疑うことなど知らないであろう彼女。千鶴のどこがどのように好きか、愛しているか愛おしいかなんて、言うことが出来ない。 けれど、どうしようもなく愛おしいのだ。言葉に出来ないほどに。 ふと、斎藤は感じる。 自分だけを見て欲しい。自分以外のものに心奪われて欲しくない。願わくば、ずっとこうして手の中に閉じ込めていたいと。 そうすれば自分以外を見ることはなくなる。 同時にこんなに汚い感情が自分の中にあったのか、と自嘲的なため息をつく。けれど、抑え切れないのだ。この気持ちが。 抑えよう抑えようと意識をすればするほど溢れてくる。 千鶴が愛おしいという気持ちが。
「千鶴、椿ばかり見るな。俺が…淋しい」
聞いた千鶴は顔を真っ赤に染める。口をぱくぱくと動かすが、声になっていない。 酸素を求める金魚のようだ、と斎藤は思う。でも、可愛いのだ。いつになっても初々しい反応をする千鶴が。
次の瞬間、斎藤は千鶴に覆いかぶさる。きゃ、と言う千鶴の悲鳴が上がるたが、無視をする。斎藤は千鶴が抵抗出来ないように乗りかかりながら千鶴の首元に顔を埋め、首筋に舌を這わす。首にあたる斎藤の髪が千鶴を擽り、時折艶っぽい声を出す。 そして手で服の襟部分をくつろげる。 幾分かすると、千鶴の首筋には赤い華が咲いた。 ここで漸く千鶴は抵抗らしい抵抗をする。斎藤の肩に触れ、少し力任せにこちらを向かせる。そんな千鶴は珍しかった。 閉じているだろうと思われた目は、しっかりと開かれていた。 そして、斎藤の目を見て話す。
「さ、斎藤さん、駄目です…」 「何故だ」 「今はまだ暗くないですし、椿の、他の花言葉は、高潔な理性です」
斎藤の目を見てこの状況で千鶴は真っ直ぐに言う。 強い意思を感じた。揺るがない意思を。斎藤を拒絶はしていない。しかしこのままを是とは言わない、先に進ませないような瞳。 だがこの瞳は少し間違えれば、この行為を更に進めてしまう。とても脆い剣だ。斎藤を信頼しているからこそ、このような目で見られる。それに頭を石で殴りつけられたかのような衝撃を覚える。 斎藤は負けた、と素直に思った。
江戸の女はこれだから怖いのだ。というよりもこの場合は江戸の女ではなく千鶴が、だろうか。何をされようと絶対に曲げない芯があるから。 諦めて千鶴の上から身をひけば、千鶴は途端安心したような顔をする。先程のような強い意思を称えた瞳ではなかった。
「…すまなかった」
斎藤はぼそりと呟き、目を閉じた。
*
あれから何日がたった。斎藤は別段いつもと変わらなかった。ただ一つの点を除いては。いつものように斎藤が帰った時に玄関まで迎えに行けば、手に花を持つ斎藤がいた。
「お帰りなさい」
千鶴が花のことを聞く前に斎藤が答える。
「鷺草、だそうだ」 「鷺草ですか…。 話には聞いたことがあったんですけど、実際に見るのは始めてで…。本当に鷺が羽を開いているみたいな形をしているんですね」
白い一つ一つの花の大きさは一寸程で豪華さは感じないものの、小さく素朴で可愛らしいという印象を受ける花だ。
鷺草については、こんな話がある。 昔、城の姫が助けを求めるために白鷺の足に手紙を付けて飛ばした。しかしその白鷺は打ち落とされてしまう。その白鷺の落ちた場所に咲いたのがこの鷺草である。 託したのに、届けられなかった思い。綺麗の中に儚さを含んだ花だ。
「鷺草、可愛いですね。とても綺麗です」 「そう言ってくれると嬉しい」
斎藤にしては珍しくにこりと微笑む。そしてそんな斎藤を見て千鶴も微笑む。
「おまえが俺を椿として育てているなら、俺もこの鷺草として育てたいと思った。花言葉は、発展。それに芯の強さ」 「芯の強さ…」 「まさしくおまえだろう」
と斎藤は再び笑う。 普段は斎藤をたてるが、いざという時はなにがあってもひかない。 それは世間一般的には夫をたてないとか、頑固と捉えられるのかもしれない。けれど、斎藤にとってはそうではなかった。 千鶴のおかげで随分と救われた、と斎藤は思う。行く先が見えなくなったとき。信じるものがなくなり迷ったとき。負けそうになったとき。 身も心もぼろぼろになったとき、千鶴の心は、言葉は心の支えだった。千鶴がいたから頑張ることが出来たし、生きてこられた。 そんな千鶴が好きだった。傍にいて欲しかった。
「もうひとつ花言葉がある」 「何ですか?」
無邪気にも千鶴が返すものだから、ほんの少しだけ虐めたい気持ちになった。 今亡き総司が千鶴に付き纏って虐めると言うのはこんな感じだったのかと今更ながら斎藤は理解する。これなら確かに辞めろと言われても続けてしまう。 だから、声にたっぷりと艶を乗せて答えた。
「夢でもあなたを思う」
千鶴は顔を赤くする。耳までも赤い。この時点ではまさか自分も千鶴ように顔を赤らめるとは思いもしなかった答えが返って来るまであと少し。
同じ思い
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