ただいま 沖千
春の暖かい陽気を全身に浴びながらそういえば、と己の腕の中にいる千鶴を抱きしめつつふと沖田は思った。
「ねぇ千鶴。そういえば、千鶴にとっていつからここが「帰る」場所になったの?」 「?」
きょとんと何のこと?という顔をしてこちらを見上げている。まぁそれもそうだろう。何の脈絡もなく唐突に問い掛けたのだから。
「まだ屯所にいた頃、近藤さんが話してくれたこと覚えてる?」
一瞬頭を右に傾けた後にぴくりと千鶴の身体が震えた。 仕種が小動物みたいで可愛いと咄嗟に思う。
「えーと……。あ、はい、思い出しました。それって確か総司さんが道場から逃げたときの話しですよね?」 「……なんで君はそういう不本意な覚え方をしてるかな……。まぁそれは置いておいて」
いつからなのさ?と沖田が問えば、千鶴は途端困った顔をした。
「え……と……。あまり意識したことがなくて……。でも強いて言うならお千ちゃんが私を迎えに来たときくらいだと思います」 「それって君が新選組に来てからどれくらいかな?」 「多分……三年か四年くらいたってるんじゃないでしょ 、か」
三年か四年。長いようで短くて、色々なことがありすぎた。 喜んだこと。怒ったこと。哀しかったこと。楽しかったこと。辛かったこと。 どれも今の自分が存在するにあたってなくてはならないことだった。 それでも。ごくたまに、過去を悔やんだりすることがある。 もし、あのときこうしていれば、こうはならなかったんじゃないかなんてことも思う。
「総司さんの、」 「うん?」 「帰る場所は、今でも近藤さんのところですか?」 「そうだね……」
千鶴は沖田の顔が見えないけれど、どんな顔をしているのかは容易に想像出来た。 多分、昔を懐かしみながらも泣きそうな顔。 あ、でも今は千鶴の隣も帰る場所だけどね。と沖田は慌てて付け加える。
「大丈夫ですよ、そんなに繕わなくても」
だって帰る場所が今隣にいる人のところではなく他にもあるのは私も同じなのだから。 そう自覚すると何だか目がやけに潤って景色がぼやけていて、あぁ、泣きそうだと思うと同時に、沖田が抱きしめる力が強くなる。 痛いくらいなはずなのに、それが嬉しくて安心出来た。
「そうそう、帰る場所で今思い出したんだけどさ、昔近藤さんと土方さんが話してくれた奴に続き……って言 うかもうひとつ裏があってね」 「そんなことがあったんですか?でも土方さんはそんなことは一言もおっしゃってないですけど」 「うん。土方さん的には不名誉なことだったからね。体裁保ちたくて黙ってたんでしょ」
沖田はにやりと笑う。あ、これは屯所にいたときによくしていた良くない笑いだ、と千鶴は本能的に察する。 千鶴がそんな風に感じたのを知ってか知らずか、楽しそうに話し出した。
*
「最初は凄く嫌だったの。って言うか気にくわなかったの。 だってさ、僕が河原にいることがさも分かってました、って顔してたんだよ。嫌にならないでいられる?」 「でも総司さんを心配して土方さんは探しに来て」 「嫌になるでしょ?」
口は笑っているののに、目が笑っていない。その上、反論を許さないような視線。
「……なんだか少し分かるような気がします」
いかにも無理矢理言いました、な言い方だったが、沖田は納得したようで笑みを浮かべる。そして爆弾ひとつ落としていった。
「でしょ?だから一回逃げたの」
……え?この人は今一体何を。
「わざわざ土方さんが探しに来て下さったのに、総司さん逃げちゃったんですか?」 「うん。気にくわなくて。それ で僕が逃げたら土方さん拳固作ってさ。頭を本気で殴ったの」
もー痛いのなんのって。多分少し頭へこんでると思うよ、ときらきらと笑いながら言うが、千鶴には土方が不憫でならなかった。 と同時にやはり昔からこの人の起こす面倒事に巻き込まれるのは変わっていなかったのか、と認識する。
「だからね、僕もやり返してね。蹴ったり引っ掻いたりかじったりしてさ」
こうして沖田と婚姻を結んだ関係ではあるが、それでも、ごくたまにではあるが、何でこの人を好きになってしまったのだろうかと思うことが多々ある。 好きになったほうが負け、と言う言葉を聞いたことがあるが、正しくその通りだと思う。 もがけばもがくほど深みに嵌まっていく罠の一種だと。
「で、僕も力一杯やったから土方さんもちょっと怪我してね」 「……それはなんだか土方さんが可哀相です……」 「えー。千鶴ちゃん土方さんの味方なの?」 「いや、そういう訳じゃないんですけど……」
もはや可哀相を通り越して哀れで、とばっちりをくらい過ぎだろう。 まぁいいや。沖田は呟いた。
「でもね、本当は少しだけ嬉しかったの」 「嬉しかった……?」 「そう。始めて手をあげられたから」
千鶴は思わず驚いた顔をする。 殴られるのが嬉しかったって……。長い間一緒にいたのにそんなところがあるなんて知りませんでした。でも総司さんすみません。私には総司さんにあげることができません。 千鶴がぼそぼそと独り言を呟くと、沖田が珍しく怪訝な表情を全面に滲ませていた。
「……千鶴ちゃん、なんか君は大きな勘違いをしてないかい? そうじゃなくってさ。 近藤さんも土方さんもその時まで僕に手を挙げたことって無かったの。周りの子は何か出来ないことがあったらがんがん手をあげられてたのに」 「でもそれって総司さんが大切にされていたからじゃ」 「うん。今から思えばそれが直ぐに分かるんだけど、幼き頃の僕はそれが分からなくてね。近藤さんも土方さんも遠慮してるから……とでも思ってたのかな?」
遠慮、というよりも認められていなかったみたいでさ。殴られてから始めて認められたと思ったの。
時折目をつむり、昔を懐かしみながら沖田は話した。 沖田がにこやかに笑っているのはいつもと何も変わらないのに、何処か淋しげだった。 纏うものもそれと同じで、何処かはかない。 だから沖田に抱きついたのは自然だった。力を込めれば込めるほどほっとする。千鶴も、沖田も。
「ありがとね、千鶴」 「?総司さん何か言いました?」 「ううん、何も言ってない。 それよりも千鶴も、昔話聞かせてよ」 「私ですか?総司さんが聞いても面白くないと思いますよ」 「良いからさ」
えーと、とつまりながら話す千鶴を見る沖田の眼差しは春の光のように柔らかくて優しいものだった。
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おかえりの続き、ただいまです。 おかえりの裏話みたいな感じです。が、たいして裏話って感じじゃないですね。 なかなか書けなかった気がしますけど、書きあがって良かったです。 土方が不憫で可哀相な立ち位置で……。ごめんトシ。
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