あなたに会う 沖千




「あー極楽極楽」

周りに人がいないのを良いことに、少女にしては似つかわしくない年寄りじみた独り言を千鶴は呟いた。


千鶴がここ、新選組の屯所に半軟禁状態で生活するようになって一年あまりが過ぎた。
現在も半軟禁状態がとかれた訳ではない。
しかし知り合いの幹部隊士に頼めば大抵の望みは叶うようになったから、かたちじょうは軟禁状態でも心持ちが違う。みな千鶴によくしてくれていた。


そんな千鶴が今回土方に要求したのだ。
土方さん、私ゆっくりお風呂に入りたいです、と。

土方は己のせいで千鶴に多くの負担をかけていることを知っていた。寧ろ土方だから気がつかないわけがない。だから、自分が出来うる限りのことでと断りを入れてから千鶴の要求を聞いた。
と言っても新選組を支える土方のことだ。大抵の事は出来る。
なんだそんな小さなことでいいのかと千鶴の願いを聞いた後で土方は若干苦笑しぎみに言ったが、現時点での千鶴の本当の願いがこれだった。

土方は千鶴の要求を快く受け入れた。
そして寛げるかどうかは知らないがゆっくりと入ってくると良いとまで言って。


かくして、千鶴は久々にゆっくりと風呂に浸かっているのであった。
土方がく
れた贈り物だ。千鶴も遠慮をするつもりは毛頭ない。だから長時間入っていた。



十分入っていたからもうそろそろ出ようか、いや、せっかくの機会だからもう少し入っていようかと悩んだ末、出ようと腰を浮かせたときに事は起こった。



まさしく偶然としか言いようがないが、風呂場の扉が開いたのである。
勿論扉がひとりでに開くわけではないから、人が開けたのだ。
だれであろう。

「あれ?」

沖田だった。

「ごめんね。千鶴ちゃん入ってたんだ」

沖田は普段接するのとなんら変わらない口調、雰囲気で話す。
やがて扉はなにごともなかったかのように閉まり、なにごともなかったかのように静寂を取り戻した。
千鶴は咄嗟のことで悲鳴さえも出ず、ぽかんと口を空けていたが漸く自分の状況を把握し、今になって遅すぎる悲鳴を上げた。


数秒後、自分の悲鳴を聞き付けおい何があった、大丈夫かと土方が駆け付けてくる。
え、え、ちょっと待って。呼んだのは私。でも来ないで。お願いだから来ないで。これじゃ沖田さんのときと全く同じ状況になってしまう。
どうすれば体が隠れるかと回りもしない頭で考え、すっぽりとお湯に浸かってしまえば良いのだと原始的なことを思い付
き慌てて湯に口元まで浸かったのと同時に再び扉は開かれた。

「お前…何してんだ?」

千鶴が悲鳴まで上げるものだからなにごとかと息を切らせ慌てた様子で来るも、特に(見た感じは)なにも無かったので安心したように土方は溜め息をついた。


屯所内に誰が土方を悲鳴一つでここまで慌てさせることが出来るだろうか。屯所内だけではなくとも、同じ女性のくくりで土方馴染みの大夫ですら出来ないだろう。
しかしそれが出来てしまうのが千鶴であった。

おもむろに土方が、訝しげに千鶴を見やる。

「一応聞いておく。誰かになにか不埒な真似でもされたのか?」
「お、沖田さ」
「総司?そうか、総司がか」

話途中で土方は遮る。
不機嫌な顔はいつものことだが心なしか土方の額に青筋が浮いているような気がした。
千鶴は今まであまりの怒りのために額に青筋が浮くという場面は実際にお目にかかったことがないため、本当にあるのかと少し驚いた。
だがまぁ見たことが無いというのは当然と言ったら当然のことだし、逆にそんな場面を何度も何度も見ているようでは千鶴は今この場にいないのかも知れない。そう考えると見たことが無いのはある意味幸せでもある。

そのあとゆらーりぃ
という効果音よろしく土方は動き始める。
多分沖田を見付けるために。

「千鶴、ちょっと待ってろ。今すぐ総司を引っ捕らえてきてやるから」
「え、」
「そうしたら二人で話し合って色々と決めろ」

そう言うとぴしゃりと戸を閉め姿を消した。
あの土方がなにか盛大な勘違いしている。土方が盛大な勘違いをすることそれ自体は面白いのだが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
土方は沖田に何らかの制裁を加えるのであろう。しかし千鶴はそれを止めなければならなかった。
だがその間違いを正す暇もなく土方は立ち去ってしまった。
千鶴としては土方の後を追い説明することは出来たが、それでは沖田を追っている土方に申し訳ない気もする上に、本末転倒だ。


沖田さんごめんなさい、私が土方さんに説明出来なかったばかりにあらぬ疑いをかけられて。お風呂から上がったら直ぐに茶菓子とともに謝りに行きますので少しだけ待ってて下さい。
千鶴は心の中でそう呟き早く出られるように温まることに専念した。



そもそも今回の件は沖田が悪い訳でも、千鶴が悪い訳でもない。強いて言うなら悪いのは間だ。
偶然千鶴が体を出しているときに、偶然沖田が入って来てしまった、偶然の積み重ねが生み出した偶然の産物。
…のはずだ。と言うのも失礼だが沖田なら偶然を装って入って来られるような気がするからだ。沖田総司とはそういう男だ。
考えてみれば、沖田さんに、その…馴染みの方がいるのは聞いたことがないしな、と千鶴は思った。

しかし土方の乱入があったからうやむやになっていた上に何も言わなかったが、沖田にはしっかりと見られていたはずだ。

とすれば私はお嫁に行けない体…?
え、じゃあ私の将来の旦那様は沖田さん?
でも沖田さんがこれの責任をとらなかったら私は一生独り身のまま…?

風呂での少女の思考は普段からは想像もつかない程ぶっ飛んでいた。多分長らく湯に浸かり逆上せているからだろう。
しかしそれを差し引いても少女の顔は赤かった。


じゃあ、やっぱり沖田さんは私を見るために狙って入ってきたとたいうことか。と、少女の考えはいつしか想像になり、妄想になり、暴走し始める。
それは若干己に対する意識が過剰すぎやしないか。とまともな考えをするものはこの場にはいなかった。
唯一いる人間も、回らない頭をかかえているのだから仕方ないだろう。


*


「うー…」

千鶴は口元まで浸かっているため、時折水がぶくぶくと音をたてる。
風呂上がり、沖田にからかわれることを想像して千鶴は顔を赤くする。
自分の体を見られるなど、長い間綱道と暮らしていた千鶴にとって勿論のことながら始めてであった。そうそうある経験ではない。
まぁ、そんなにあったらあったで問題だが。



どうも自分は長いこと湯に浸かりすぎて本格的に逆上せている、と千鶴が気がついたのは湯上がり、どうしようもない倦怠感に襲われてからだ。しまったと思ったときにはもう遅かった。
体が怠くて濡れた髪を乾かすのも億劫で、まだ雫が滴っている。そしてそのせいで廊下も濡れてしまっている。
あとで、濡れちゃった廊下をちゃんと拭いておこう…。頭の片隅でぼーっと考える。ここで、今すぐに、でないところがいつもの千鶴らしくない点であった。
それにしても何もしたくないし、何も考えたくない。自分から頼んでまでやったというのに、なんだこのざまは。

早く土方を探しに行かなくては、と思うのに霞がかったように思考が薄らいでいく。
恐らくよく冷えた水でも飲めばある程度倦怠感はなくなり、意識もしゃっきりしてくるのだろうが、今の千鶴に
はそれを取りに行くのさえ面倒臭い。というよりも体を動かすことが辛い。
筋肉痛とはまた違った倦怠感で、慣れていない。

幸い屯所内で土方の怒声や誰かが走っている音は聞こえない。
なら、きっと土方さんを探すのはまだ大丈夫。だから。
千鶴は涼しいところを求めて足を動かした。




千鶴が向かったそこは、中庭が見える縁側であった。微かにだが、月も出ているため明かりをつけずともよく、千鶴は柱に寄り掛かった。
柱に全体重を預ければ、だいぶ楽になる。
普通の夜であれば眠気もやって来ていい頃なのに、どういう訳か今日はそれがやって来てはくれない。多分、身体の内に熱がこもってしまっているのだろう。

考えればあの日もこうして月が出ている夜だった。逃げて、逃げて、最悪を想定したときに彼等は現れた。
色濃い血の香りに狂わされ、酔いにも似た嘔吐感とが絡まって気持ち悪かったのに、彼等を見入っているうちに嘔吐感は消えていた。
どうしようもなく月が綺麗だった。
月に照らされて刃が煌めき、目の前でおこっていることが人事のように感じられた。それくらい現実味が無かった。
彼等が纏う浅黄色に、光る銀色。耳を塞ぎたくなるような肉をえぐるような
音と共に飛ぶ毒々しい赤。そして月の黄色。
その光景は不思議と一枚の美しい絵を彷彿とさせ、千鶴にとって印象的で。忘れたくても忘れられない思い出となって今も焼き付いている。


「雪村か…?そこでなにをしている」
「斎藤さん…」

振り返れば斎藤が佇んでいた。足音一つたてずに近付いていた。

「お風呂に入ったらどうも逆上せちゃったみたいで。屯所内で一番涼しそうなところがここだったので…」
「逆上せたのか。だから髪もろくに乾かさなかったんだな」

千鶴が後ろをみれば、確かに床板が濡れている。

「すみません…。寝る前にきちんと拭いておくので」
「いや、いい。ほおっておけば乾く」

それより、女子が身体を冷やすな。
と、斎藤は羽織っていた羽織りをを千鶴にかける。直前まで斎藤が着ていたからだろう、体温が残って暖かい。
千鶴は自分の身体が夜風にあたり、思っていたより冷えていたことに気が付いた。

「明日にひびく。夜更かしもほどほどにな」
「ありがとうございます。もう少し月を見たら寝ます」

そうか、と斎藤は納得したようで自室に戻ったようだった。
結局土方さんは見つからなかったなぁ、とため息をついた。と言っても見つける、というよりも土方が通り掛かるのを待っていたのだが。
それと共に沖田も見つからない。彼の場合、自ら進んで会いに行きたい訳ではない。特に今はなおさら。
そろそろ、もどらなくちゃな…と思い始めたその時。

「あれ、千鶴ちゃん?」

先程のときと同じ言葉をかけ、同じように唐突に沖田は現れた。あまり会いたくないと言っていたそばからこれだ。

「こんなとこでどうしたのさ。…その羽織り誰の?」
「お風呂に長々と入っていたら逆上せてしまって涼んでるんです。羽織りは斎藤さんのです」
「そう、斎藤君がね」

沖田は聞こえるか聞こえないかの音量でぽそりと呟いた。風呂でのことを急に思い出し、千鶴は思わず顔を背ける。
沖田の目を見るのが恥ずかしい。千鶴は夜で良かったと思った。顔がいくら赤くなっても暗闇のおかげで沖田にばれないし、いくらでもごまかせる。

「なんだか気に入らないな」
「何がですか?」
「千鶴ちゃんその羽織り脱いで」

えっ、と千鶴は肩を震わせた。沖田は一体何を言い出すのだろう。千鶴は嫌でも変な想像をしてしまう。

「あの…どういうことですか?」
「どうにもこうにもそういう意味だけど。何?変な勘違いしないでよ」

思っていたことを沖田に指摘され、一瞬どきりとする。
その羽織りちょうだいよと沖田は執拗に何度も言うので、千鶴も諦めて沖田に斎藤の羽織りを渡した。



羽織りを脱ぐと涼しいどころか肌寒いとも言える空気が千鶴を包み込む。温もりを奪われ、一気に身体が冷えたような気がした。
逆上せたのとは逆に今度は夜風に当たりすぎ身体を冷やし過ぎたたようだ。

「そのかわりにはい。これ着て」

沖田に羽織りを手渡される。

「え、でも斎藤さんのですし…」
「いいよ。僕が斎藤君に責任とって渡しておくから」

いいでしょ?と言われれば千鶴には断る理由が無かった。沖田から手渡された羽織りを羽織る。
斎藤の羽織りでさえも大きくてぶかぶかだったのに、斎藤のよりも少し大きい沖田の羽織りはぶかぶかを通り過ぎてだぼだぼだった。
それでも何故か羽織りは斎藤のよりも暖かいような気がした。
沖田を見れば、仕掛けた悪戯が失敗したかのようなつまらなさそうな、残念そうな顔をしていた。

「うーん。もうちょっとくるかなとか思ってたけどあんまりこないね」
「なにがですか?」
「いや、こっちの話。気にしないでいいよ」

沖田はその後もぶつぶつと何かを呟いたが、千鶴には聞こえなかった。千鶴も色々と聞きたい点もあったが、はぁ…と首を傾げながらも頷いた。彼の性質上突っ込んで聞いても、良くないような気がしたからだ。
聞いておいて困るのは間違いなく千鶴だ。
と、沖田を見れば、残念そうな顔はどこへ行ったのか、楽しそうに目を輝かせながら笑っていた。

「それにしてもさ、やっぱり千鶴ちゃんって、小さいよね」

意味深な表情でそんなことをいわれれば、考えるのは風呂でのことだった。そこで、小さい。
え、それは何の話ですか私の身体のことですか沖田さん。と千鶴は顔を赤くする。
何も人が気にしてるところをわざわざ言わなくてもいいのに、と頭では冷静なことを思いつつも顔はいっこうに戻らない。

「千鶴ちゃんなんで顔、そんなに赤いの?僕身長のことを言ったんだけどなぁー」

心底楽しそうに沖田は言ったが、千鶴にとってはそれは意地悪としかとれなかった。

後々顔が赤いのなんて暗いからたいして見えないと考えられたが、今の千鶴にはそんな余裕はかけらも無かった。羞恥のために赤かった顔をさらに赤くするばかりである。もう頬が熱を持っている。
またもや逆上せていたときくらい顔を赤らめると、むしろようやく頭がまわってきた。

沖田さんがそういうふうに言えば、それらしく聞こえちゃうじゃないですか。と反論しようとするも千鶴ちゃん何考えてたの?はしたないよと言わ
れればその通りで否定する言葉が出て来なかったので千鶴は何も言わなかった。
と言うよりも言えなかった。

黙っていると、沖田も少し千鶴を不憫に思ったのか、謝ってきた。

「ごめんね、ちょっとからかい過ぎた。でも、身長がちっちゃいって思ったのは本当のことだからね」
「そうですか?沢山食べてるつもりなんですけど…」

だって見てごらんよ、と沖田は笑いながら言った。
確かに見てみれば、本来肩の部分が肘に近い二の腕のところにきているし、沖田にとって本当に羽織る程度のものであったが千鶴には寝るときにかける布のようであった。

「確かにそうかもしれないですけど、沖田さんも大きいですよ」
「そんなことないさ」

沖田は千鶴に言った。千鶴が座っていて、沖田が立っていることを差し引いても沖田は大きかった。



「さてと。もう子供はいい加減寝る時間じゃないのかな?部屋まで送っていってあげようか?」

胡散臭い笑いをした。
沖田は千鶴の手を引いて立ち上がらせる。手は、大きかった。そして温かかった。

「大丈夫です」
「本当に?」
「はい、大丈夫ですって。ちゃんと寝ますから」
「そう」
「おやすみなさい沖田さん」
「お休み、千鶴ちゃん」

ペこりと挨拶をし、沖田に手を振り、角を曲がってから千鶴は沖田に羽織りを返していないのを思い出した。
慌てて、曲がった角を振り返っても、沖田は見当たらなかった。音をたてずに歩くなんてまるで忍者とか、猫だと思った。
優しいんだか優しくないんだか気まぐれでどうにも分からない。だけど、それが千鶴の知る沖田総司と言う男だった。

それにしてもさっきの沖田さんは妙に優しかった気がする。どういう風のふきまわしだろうか。
千鶴は少しだけ変に思いながらも、いまだ羽織りに残る温もりを掻き寄せた。









あなたに会う









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割りとありがちな感じです。
お風呂に入っていたら誰かと遭遇して、っていう。
沖田の小さいね、は勿論両方の意味です。このあとことあるごとに、千鶴にからかい、千鶴は屯所内を逃げる鬼ごっこ的なものが繰り広げられそうです。
土方への誤解は次の日に解きました。飽きれ顔な気がします。











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