ローズィーワールド 伊達主/ときレス


 かくれんぼのようだ、と柄にもなく思った。からん、ドアベルが鳴るのを確認しながら店内を見やる。剣人程ではないけれど、透よりかは高い身長に感謝する。この背の高さのお陰で、店内を見渡すことは容易だ。店内は、普段の喧騒からは想像出来ない程、無音がその場を支配していた。
 いらっしゃいませー、と悪い子ちゃんの声だけが空間に浮かび上がる。『CLOSED』にしてもなおこうして店に入ってくるのは常連だけだから、と安心している節があるのだろう。実際その通りだから何も言えない。
 とは言え、彼女に会いに来たのが目的なので――会えなければ、閉店中のレストランに来る意味はないと言って良いだろう。自身の腹具合を探れば、空腹を訴えている訳ではない。
「おー。どこにいんのー?」
「あ、その声は京也さんですね! ちょっと待っててください!」
 店のどこかから声が聞こえるものの、場所の特定にまでは至らない。声の遠さからして、恐らく奥まったところにいるのだろう。つまるところ、それはまだ京也が足を踏み入れたことのない所だ。
「……」
 悪戯心が首をもたげる。まだ知らない場所に、気になる彼女はいるのだ。
 そう思えば、知らず脚は動いていた。即ち彼女のいるところへと。
 彼女の場所は、程なくして見つかる。作業音が発されているところに向かえば良いのだ。店内のカウンターの奥に、その扉はあった。営業中は固く閉ざされ決して開くことのない扉は、恐らく彼女の公私を分けるものだろう。
 聞けば、彼女はこのレストランに住み込みで働いているのだと言う。ならば店の奥には彼女の居住スペースが、店の裏側が、見えるはずだ。そう、料理人としての彼女ではなく、ただ一人の女の子としての彼女の顔が。
 扉に手をかけ、押せば簡単に開いた。開けた視界の先には廊下が伸び、その先の部屋の灯りは煌々としていた。彼女は、そこにいた。大きな冷蔵庫から食材を取り出しているように見えた。
「明日の準備?」
 j自身がここにいるのだと示すために発された声は、彼女を酷く驚かせた。びくりと肩を振るわせ、同様が如実に見てとれた。目に浮かぶ色は焦りだ。
 確かにここに来て後ろから声はかけたが、そんなに驚かれるようなことをしたのだろうか、俺は。
「京也さん! どっ、どうしてここにいるんですか!」
 いつもの彼女にしては珍しく動揺している、と思う。彼女そのものがそういう性質か、料理人として在るために後天的に身に付けたのか――彼女は極めて冷静で自己を客観的に見ることができる人物だ、というのが京也の素直な評である。
 しかし、言葉と共に振り返った彼女の表情は、今まで京也が見たことのないもので。本能的に、これは踏み込んではならない領域に侵入してしまったのだ、と朧気に感じた。
「……ごめんね」
 故に口をついて出たのは謝罪だった。
「……大丈夫です。え、と。取りあえずコーヒーでも出すので店に戻りませんか」
 まるでこの場から早く出すように。そうすることが、今は一番良いのだろう。京也は彼女の後ろへつき、店へと向かう。ぱたり、扉が閉まった。

 出されたコーヒーの味が何時もよりも少しだけ呆けているのは、きっと気のせいではない。彼女が店に来て、一番最初に作った料理がコーヒーだと聞いた。それは同時に一番作りなれたメニューだと言えた。
 個々の好みの差はあれど、万人が『美味しい』と言うはずのそれだったが、少なくとも今はその味が出ているとは到底思えなかった。
「……なんか、いつもよりも少しだけ苦いね」
「ほんとう、ですか……?」
 それを聞いて、彼女はふー、と少しだけコーヒーを冷ましてからカップに口を付けた。一口飲んで一言、「そうですね」。
「こんな物、到底お客さんに出せませんね」
 自嘲気味に呟く。そこに悪意は無かったらしい。先程の発言も彼女の動揺を煽るだけになってしまった、と悔いる。
「ん、でも俺はこれ好き」
「……あ、はい。ありがとうございます」
 今更気休め程度のフォローなど意味はないのだ、と思えば先程の動揺の正体を探らなければならなかった。彼女の中の優しい部分を壊してしまわないように、触れる。
「どうしてあんなにびっくりしてたの?」
「え、と。後ろから声かけられたのもあったんですけど、あそこは絶対に自分以外はいれないように、って決めてたから。よりによって、お店閉まった後だったから……」
 店が閉まった後だと何故悪いのか。未だ原因が理解できず、首を捻れば彼女は言葉を続けた。
「……閉めた後は、翌日の準備も勿論なんですけど、その日の後片付けとかもしてて。え、と。だから……」
 伝えたいのに、けれど酷く言いづらそうに眉を寄せた。言葉が喉元まででかかっているのが分かる。けれどそれを発してしまえば、何かが崩れてしまいそうなそんな予感がしたのか。なかなか出てこない。
 彼女の言葉をじっと待つように瞳を見れば、ようやく音になった。
「残飯とか、そういうのを全部あそこに置いてるんです。次の日には捨てるんですけど。臭いとかも全部移っちゃうし……。だから……」
 残飯、という言葉がやたらと重く聞こえる。ついついレストランの食べ物を提供する、という側面しか見えていなかったけれど、現実はそうではない。そういうことも、起こるのだ。
 それをはなからないかのように、意識の外に出していたのは京也自身だ。
「だから、嫌だったの?」
 こくり、と首肯。
「ここは、みんなに元気を与える場所だから。そういうところ、みんなに夢を与える京也さんには見られたくなかった」
「そういう姿を見られると幻滅されるって思ったから?」
 すっと、視線を下げた。その行動が表すものは肯定だ。どうしてその一面を見ただけで彼女を嫌になると思えよう。
「俺は悪い子ちゃんのどんな姿も見たいって思うよ」
「……」
 カップを持ったままの手に触れれば、先ほどと同じようにびくりと振動が伝わってきた。もう、手を引いてなるものか。
「どんなに手が汚れていたとしても、俺は悪い子ちゃんの手が好きだ」
 傷がいくつもある彼女の手をそっと握った。
「……そんなに綺麗じゃないです」
「綺麗じゃなくても、色んなことをいっぱい知ってる手なんだよ」
 うっすらと残る線は、きっと切ってしまった痕で。女の子にしては少しだけ厚め皮は、火傷をしてしまったためになってしまったものだ。
「魔法の手だ」
「……」
「他の奴がどう言おうと、俺は好きだよ」
 彼女が彼女である証を、嫌いになんてなれる訳がない。ね、と問いかければ、その言葉は否定することが出来なかったようで。じゃあそういうことにしときます、と笑った。
 ああ、俺はその顔が見たかったのだ。 





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -