息吸って、吐いて、やり過ごす 郁月



 るるる、とコール音が空に響く。
 確か冬の空の方が夏の空に比べて星もよく見えるし、音も鮮やかに響くのだ、といつぞやの講義で教授が言っていたのを思い出した。けれどその理由はそういった物理的なことも勿論ではあるが、それ以外――精神的な影響もあるのだと思う。それは電話をかけている相手のせいなのか、はたまたかけている場所に寄るものなのか――恐らく両方だろう――妙に空気が透き通っていた。
 コール三つで聞こえた、待ち望んでいた声に、郁は顔の筋を緩める。
「起きてる?」
 電話に出るということは起きているに決まってるのに。聞くのなら「起きてた?」だということに気がついたのは電話を切った後だった。
 そんな風に聞きながら、最近郁は優しく笑うようになったよね、と言われたことを思い出す。 自身をそうさせた原因は紛れもなく彼女だと言うのに、その自覚はないらしい。
 無意識に左手で髪に触れた。
 例外はあるものの、過去は振り返らない主義だ、と郁は自認している。今まで身体の距離を密にした女性の多くは、「カッコイイ」と。笑った顔をそう評した。実際それでいいと思っていたのだ。
 今は今であって、未来のことなど分かりやしない。永遠なんて、馬鹿馬鹿しい。患っていた病が悪化するかも知れないし、もしかしたら不幸にも事故に会うかもしれない。それなら我慢しているだけ損で、今を楽しんでいた方が得だと思うのは、別段不思議なことではない。
「こんな時間にどうしたの?」
「んー、ちょっと声が聞きたくて」
 夜空は少しだけ、臆病な心を強くする。多分それは、星が進む先を示してくれているからだ。
「珍しいね、郁から電話してくるなんて」
「何、僕が君に電話しちゃいけないっていうの」
「ううん、そんなことないよ」
 強がり、一。
 ほんとはそんなこと言うつもりは無かったけど、言葉に反応してついうっかり口が開く。またやってしまった、と眉尻を下げながら、郁は欄干にそっと体重をかけた。きっ、と欄干が軋んだ。これ以上体重をかけるのは、強度的に厳しそうだ。
「……郁、もしかして、今外にいる?」
 彼女の問いかけに、見えるはずもないのに頷いた。
「――いるよ。寝苦しくて目が覚めちゃったから外の空気が吸うためにね」
 例年よりも早い梅雨入り宣言は、もれなく初夏を連れてきた。さりげなく見た腕時計の時刻に、郁は口角を上げた。
――あと八分。

 郁はとりとめのない話――大学の教授の話だったり、履修のことだったり。はたまた駅前に出来た店の評だったりをゆるりと口にする。結論や考察を必要としない会話に居心地のよさを覚えるのは、提出期限の迫るレポートのためではない。決して。
 郁は月子の言葉を待ち、月子は月子で郁の言葉を待つ。電話ならではの会話が途切れたその一瞬、次になんの話題をふろうかと思考した郁の隙をついて、月子の言葉が聞こえた。
「ねえ、郁」
「何?」
「今日の講義はどんな感じだったの
?」
 どんな感じだったの、とは。
 要領を得ない月子の言葉に眉を潜めながらも。努めて冷静な言葉を吐く。
「中間テストをやるかも知れない講義があってね。少し憂鬱かな」
「中間テスト?」
 すっとんきょうな台詞に、郁は携帯電話を耳元から少し遠ざけて笑った。笑い声が月子に聞こえると事だ。
「そ。学科によりけりだと思うんだけど、僕の学科は中間テストが多くってね」
「期末テストがあるのは知ってたけど、大学に言っても中間テストってあるんだね……」
「でも教授によりけりだから。月子はそんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「か、過去問取っておいてね!」
 電話口でも分かる月子の焦りに、とらぬ狸の皮算用しないの、と告げれば、大丈夫とやけに自信のある声が聞こえてきた。
「僕の大学に入れるくらい自信があるなら、中間テストなんて軽いと思うけど?」
「そう言うことじゃないの!」
 すっかりと後輩になる気でいる月子にはいはい、と緩く笑った。もしも実際に月子が僕の大学の後輩になるのなら、今のうちに後輩にちょっかいをかけるんじゃないぞと理解させておくべきか。ふと確認した腕時計が示すのは零時三分だった。
 いつの間にか日付を越えていたようだ。つまり、誕生日を迎える瞬間は月子の声を聞けていたと言うことで。
「……」
 音は僕に幸せを伝播させる。もう、これだけで充分だった。
「あ、そうだ」
 電話の切り際、月子は忘れていたようにこう言った。

 郁、誕生日おめでとう。近いうちに郁に会いに行くから。絶対開けて置いてね! また連絡するから! お休み!
 
 つーつー、という温度のない音でさえ、意識を冷却させるのに丁度良い材料にしかならない。
 近いうちっていつなんだろうか。
 もう切れてしまった電波の糸をもう一度繋いでしまおうかと、郁はベランダで一人頭を抱えた。






郁月さんは、「深夜のベランダ」で登場人物が「ときめく」、「永遠」という単語を使ったお話を考えて下さい。
という診断メーカーより。ときめいてないけど。
時期捏造!もじゃおめ!
2013.06.09
 

title by 揺らぎ様



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