この世は不思議と偶然に隠れた必然に満ちている ときレス/透主


 彼が辛いものが好きだと言うのは出会って早々に知ったことであり、その辛さの度合いとしても随分と刺激の強いものがお好みらしい、と言うのも同時に知ったことだ。さて、次に彼が来るのは何時だろうかと昼食を終えてからぼんやり考えていると、カランと柔らかな音がして来訪者を告げた。
 このドアベルは、現在は不在であるマスターがこのレストラン創設時に設置したらしい。それなりに年期の入ったものだというが、寧ろ時間が経過すればするほど優しげな音をたてているような気がするのは、恐らく気のせいではない。
「いらっしゃいませー!」
 フロアに声が響く。
「チワッス。新年度早々きたんだけど」
 そんな言葉と共に姿を見せたのは、つい先程まで考えていたその人だった。
「透さん!」
「そ。……俺じゃ不満な訳?」
 不機嫌そうにつり上げた目を見て慌ててそんなことないです、と弁解すれば、
「あっそ」
 気のない返事が返ってくる。その顔も基本的にはポーズだと分かっているが、やはり天下のアイドル様にそんな表情をさせてしまうとやや焦るのは仕方のないことだろう。
 と、透はいつもの席に座る。途中でカウンターに置かれたピッチャーの水をグラスに注いでから持っていくのを忘れない辺りは抜け目がないと言うべきか、常連ならではの行動である。
 お客様にさせて申し訳ないと思いつつも、まあいいかと思うのは、随分と内側に踏み込まれている証拠だ。
……後でコーラを持っていこう。
「じゃーエビチリ。チリソースたっぷりで」
「はーい、畏まりました。少々お待ちください」



 コーラの入っていたグラスも汗をかき始め、二杯目の提供に入ったときだった。
「今日、実はお前に話したいことがあって来たんだけど」
「話したいこと?」
「そ」
 皿に残るチリソースをスプーンで救い上げてぺろりと一舐め。こうして前置きをしてから話すと言うことは、笑って流せる話ではないということか。
なにやら透から感じる不穏な空気に、
「ちょっと待ってて?」
 レストランの看板を裏返して「CLOSE」表示にし、自分の飲む紅茶を手に透の席に戻った。
 さあどんな話でもどんとこいだ。
「お前、俺のことどれくらい知ってんの?」
 具体的に何をどう知っているのかと言われると一概に答えるのは難しい。辛いものが好きだとか、そういうことは知っているけれど、多分彼が聞いているのはそう言うことではない。
「んー、HPに乗ってるプロフィールなら知ってるけど」
「そっか。じゃあきっと今から話すことは知らないことだと思うんだけど。俺の実家って結構田舎にあってさ、××市って言うんだけど聞いたことないだろ?」
 透の口にした土地は、自分の知識にない場所だ。始めて聞く単語に首を傾げれば、捕捉するように○○県の県庁所在地の隣の市だ、と透は言った。
「そこさ、地域密着型っていうの? 地域ごとで纏まってるって言うか、田舎だから歩いてれば誰だか分かるんだよ。人数少ないから」
 私の住んでいた土地は寧ろ都会だから、その話は新鮮だ。
「で、家からちょっと離れたトコに逆さのトンネルってトンネルがあるんだよ」
「逆さのトンネル?」
「そう」
 透曰く、そのトンネルを潜ると文字通り「逆さ」になるらしく、地元では度胸試しの場所として知られているのだという。
「透さん、もしかしてそのトンネルを通ったの?」
「近所のガキに嘗められたままじゃいられないし」
 透の言葉が示すものは肯定だ。
「別ルートでトンネルの向こう側で待ってたあいつらの前に颯爽と出てくのは気持ちよかったなー。みんな俺のこと、尊敬の眼差しで見るし」
 得意気な透に興味本意で何が逆になったの? と問いかければ、返ってきた言葉は酷く重いものだった。
「内蔵」
「えっ?」
「だから内蔵。心臓から肺に腎臓肝臓すい臓大腸小腸盲腸十二指腸に至るまで全部。まるっきり左右逆に入れ替わった」
 思わず聞き返した上に、思いきり驚いてしまう。気を悪くしただろうかと透を見れば気にしていないようで続けた。
「まー俺逆児で産むのも苦労してたらしいし」
 母さんから聞いた話だけど。
 あんまりにも何てことないような口調で言うものだから、寧ろこちらが焦ってしまう。
「大丈夫なの? 身体とかアイドルの資本なんでしょ? もう元に戻らないの」
「まあ大丈夫っちゃ大丈夫なんじゃん? もう何年もこのまんまだから戻るのも難しいだろうし」
「そういう、もんなの……?」
「そういうもんなの。まーそんな感じで逆さのトンネルはまじだった、っていうね」
 でもトンネルって行って帰ってきて、二度潜っちゃえば元通りになるんじゃないの、とか。生まれたときに内蔵が逆の位置にあるならまだしも、トンネルを潜っただけで入れ替わるなんて変じゃないのかな、とか。
 透に言われたことがやっと頭に染み込んできて色んな考えが浮かぶ。
 言いたいことが上手く纏まらずにもごもごとしていると、
「……お前、今日が何の日か知ってる?」
 突然透に投げられた言葉に、咄嗟に頭のなかでカレンダーを繰る。昨日までは三月で、今日から四月だった、ような。
「四月ついた……って、騙したの!?」
 ようやく透の言わんとせんことを理解し、悔しそうに見つめれば可笑しそうにケラケラと笑った。
「声でかいって」
 人がこんなに真剣に聞いているというのに。
 普段ならばこのあと慌ててお騒がせいたしました、と店内の客に言うはずだが、今日に限っては店も既に締めた後だ。
「誰のせいだと思ってるの!」
 感情のままに更に声を上げればそれすらも透にとっては面白いらしく、弾けるように笑った。笑いすぎて、声すらも満足に出せないらしい。
 そのまま呼吸が出来ずに苦しんでしまえ!

 それから数分して落ち着いた透は、私をにべもなく一蹴した。
「つーかんなもん、騙される方が悪いっつーの。悔しかったらお前も何か嘘ついてみなよ」
 どうにかしてこの人を騙せないものかとうんうん唸りながら、頭を回転させるが、いきなりそんな嘘は出てこない。
 そもそもこんなことを言えば、これから嘘をつくと言っているようなものなんじゃ、と考えた時に、更に止めの一言。
「そうやって俺に嘘つこうと考えてるみたいだけどさ、嘘つくんなら午前中じゃないと駄目なんだけど、知ってた?」
 そう意地悪そうに口角をあげて言う透にバカッっと短く切り返す。
「はー、可愛いコックさん怒らせちゃったから今日のところは帰るとしますか」
「……ありがとうございました! またのお越しをお待ちしております!」
 お決まりと言えばお決まりの言葉を告げて暗に退出を促す。残りのコーラを吸い上げて、透は立ち上がった。抜け目ない人だ。
「じゃ、またな。次は……行けたら明後日の夜かな?」
 ドアに手をかけて途中まで引けばカランと音が響く。
「はーい。またね」
 ドアが閉まり、透は見えなくなった。時計を見れば、もうディナーの仕込みをしないと間に合わない時刻だ。
 エプロンをもう一度きちんとしめなおし、そしてはたと気がつく。
「透さんがさっきの話をしたのって午後だよね……?」
 透の言葉通りなら、嘘をついてもいいのは午前中だけということになる。
「……」
 嘘だったのだろうか、あの話全部が。しかし嘘だとすると、午後は嘘をついてはいけないのことと矛盾する。
 先程までの透を思い出す。
 真剣な眼差しで自信を見つめる彼の口調には、嘘が含まれているとは考え難い。嘘でないなら演技なのかもしれないけれど。
「や、でも透さんってあんま嘘はつかなそうだよね……」
 どちらにせよ、「真実」が分からなくなってしまったのだ。透が次に来るのは明後日の夜だと言っていた。
 妙に長い二日間が始まりそうだった。
 透の真実を、探す。








title by揺らぎ様



 生まれたときから内蔵逆位なんだけど、自分はそのトンネルを通ってしまったから逆位になってしまったと思い込んでる透、とか。逆さのトンネルは前に読んだミステリーからちょろっと拝借してみた。



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