彼の中の私は死んだ 撫子と鷹斗とレイン
現在の時刻は恐らく夕方頃だと撫子が推測したのは、見やった外の更地が闇色で覆われつつあったからだ。 王様の執務室で、撫子は王に歯向かっていた。 この世界に連れてこられて数日。壊れた世界の成り立ちと、政府として国民にどんなことを強いているのかを知った撫子は鷹斗の元へと押し掛けた。 「撫子の方から会いに来てくれるなんて嬉しいよ!」 撫子の顔をみた鷹斗は容貌を崩し、顔をほころばせた。しかし、撫子の表情に変化はない。むしろ強ばったと言ってもよかった。 「……そう言ってくれるのは嬉しいけど、今日はそう言うことを言いに来たんじゃないの。真面目な話をしたくて」 「……撫子?」 傍には連れてきたルークが王の忠実な駒として控えている。未来のクイーンとキングのやり取りに口を挟むつもりは最初からないらしく、少し前からは手にした機械を弄っていた。普段ならばその態度に腹をたてることがあれど――いや、彼に関してはそれもまた微妙ではあるが――、今この瞬間に関してはそうしていてくれた方が有難かった。それは、キングの側に付くということでも、撫子の側に付くという訳でもないからだ。当たり障りなく、あくまでも傍観者として、レインはそこに存在していた。 「あなたのそれは、押し付けよ」 撫子の一言が執務室に響く。 「うん、分かってる。それでも、いい。俺の前にいる撫子は、紛れもない撫子だから」 自身の言葉を否定して欲しかった。肯定されれば、どうしていいのか分からなくなる。何と言えばいいのか、これからどう接していけば良いのか分からないのだ。 「分かってるのに、なおもやり続けるの……?」 触れる空気がぴりりと痛む。レインだけが別の場所にいるかのように振る舞っている。 はりつめた空気で互いに動けずにいる中、唯一空気だけが振るえる。撫子の発した声は震えていた。 「俺は、キングだから。この世界においては、俺の命があればなんだってできるんだよ」 勝手だと罵ることも、嫌だと拒否することさえできなかった。これが全くの見ず知らずの人で、そこに悪意しかなければ拒絶することは簡単だっただろう。 けれど、撫子の前にいるのは紛れもない鷹斗であり、そこには悪意どころか自身に対する歪んだ善意しかない。否定することは、出来なかった。 「……あなたは、どんなに酷いことをしようとしているか分かってるの」 悔しくって腹が立って、世界が背を向けているみたいで。もう兎に角全部が全部嫌になる。 そういうような息ができなくなってしまう瞬間が、撫子にはある。肺の辺りをぎゅっと握りしめられているかのような。じわじわと圧力を増す楔なんてなかったことにして、新鮮な空気を力一杯吸い込みたいと思うのだ。 「分かっているよ?」 「……分かってないわ。全然分かってないじゃない。あなたは酷いひとよ」 酸素が欲しい。この世界で、どこかに楽に息をできるところが欲しい。 鷹斗の傍は妙に息苦しいのだ。楽に呼吸ができるようなところが実際にあるとは思わないけれど、思うだけなら自由だ。 「違う。本当に酷いのは世界の方だ」 鷹斗は言いきる。眸には揺らがない光があり、その眸を見ているとこちらの方が折れそうになる。鷹斗には鷹斗なりの信念があり、撫子には撫子なりのやりたいことがある。たまたまそれがぶつかってしまっているだけ。ただそれだけのことなのに、どうしてこんなにも苦しいのだろう。 「撫子もそう思わない?」 撫子は答えない。答えられない。 悲しいのか悔しいのかそれとも緊張し過ぎているからなのか。ただただ泣きそうになるのだ。 それでもここ涙を溢せば負けると思ったから、涙混じり声で告げる。 「……もういいわ。帰るわ、レイン」 多分ここから帰ること自体が負けなのだ。でも、ここで泣くよりかはいい。 泣きそうだなんてこと、レインには勿論鷹斗にだってばれているに違いない。 「じゃー彼女の部屋に戻りますんで。それじゃあ、キング。また後で」 横目でちらりと見た鷹斗は不安げに撫子を見ていた。撫子には、それが尚更悔しくさせた。
部屋に帰れば、扉を閉めた瞬間、緊張の糸が切れたかのように涙が溢れてきた。鷹斗が居ないのだから泣いてたまるものかと我慢させるものもなかったし、何よりも撫子自身が我慢する気がなかった。 レインもいるというのにみっともなく声をあげて泣く自身は幼子のようだ。それでも、レインは何も言わずに傍にいてくれる。それどころか、『紅茶、いれましょうか』なんて。結構よと断る隙もなく、問答無用とばかりにテーブルに紅茶を置かれれば、素直に手を伸ばす選択肢しか残されていなかった。 「おやおやー、目を腫らして。うさぎさんみたいじゃないですかー」 「……鷹斗って、いつもあんな感じなの?」 冷ますのと立ち上る湯気を払うようにカップに息を吹きかける。猫舌というほどではないけれど、熱いのはどことなく苦手だ。十分に飲める温度になったのを確認してから撫子はカップに口を付けた。 「あんな感じってのがちょっと分かりませんけど、まぁいつも通りだと思いますねー」 部屋に帰ってきて先程のことを改めて思い出す。今更ながらぞくりとした。 鷹斗があんなにも冷たい眼をするなんて知らなかった。と同時に、普段どれだけ自身が庇護の対象であったのかを思い知る。鷹斗があんなにも穏やかで、儚げで、優しい眸で自分を見るのは『撫子』であるからという理由だけなのだ。 「キングを説得させられなくて傷ついているんですかー?」 レインの声が聞こえる。どきりと心臓が跳ねたのが分かった。 確かに、キングを説得することは出来なかったし、寧ろ自分がなにも出来ないことを痛感しただけだ。 けれど。 「……違うわ」 傷ついている部分もあるけれど、抱く痛みの全てが、鷹斗によるものではない。確かに鷹斗が『キング』を全うしていて怖かったけれど。どこか、痛々しかった。 「見返してやろうって思ったの」 レインにそう言うけれど、本当は強がりで。きっとそれはレインにも分かっている筈なのに、ただ『そうですか』とだけ言った。 「もうキングなんかには負けないもの」 頬に残った涙の欠片を手の甲で拭う。ぼそりと呟いた言葉が部屋に響いた。 「ところで、レインって泣き虫な同級生とか……それから弟か妹でもいたの?」 「……突然どうしたっていうんです?」 「なんだか、泣き出したときの対応が手馴れてたから。前にもやったことがなければ、こんな風にはできないだろうって思ったから」 どうなの?と解答を促すように目を向ければ、一度合った目線が反らされた。意図的だった。 「レイン?」 「妹がいました、けど」 レインの口から出る『妹』という単語に寂しさを感じた。それは撫子が元の、まだ壊れていなかった世界に置いてきたものに対するものと同じような気がしたから。言葉を続けた。 「どんな感じの子だったの? レインに似てた?」 「撫子くん」 「レイン……?」 「これ以上踏み込んでこようとするなら、……いくら君でも冗談じゃ済まされませんよ」 レインの目は笑っていなかった。紛れもない拒絶、だった。レインの踏み込んではならない部分に立ち入ってしまったのだと遅ればせながら理解する。 「あ、えっと……ごめんなさい」 「いえ、別に。分かってくれたなら構いません」 ここで何かをするにあたって当面の障害は鷹斗だと、そう思っていたけれど。どうやらそれだけではないのだ。そう、この目の前にいる親しげに接するくせに、その実全然心を開いていない彼も障害の一つなのだ。 「じゃーボクキングのところに報告に行ってくるんで」 「え、ええ。行ってらっしゃい」 こちら側の障害にも負けてたまるものか、と。撫子は睨みつけるように、レインが消えた扉の方を見つめていた。
誰かが自分の部屋に来るときは、足音を聞けば誰が来たのか分かる。鷹斗のときはこつりこつりと刻むような正確な音がするし、レインのときはきゅっきゅとゴムが擦れる音、円だったらすたすたとやや早足の刻み。 きっと自分の足音も分かりやすいだろうと思考する。CZ政府の廊下はヒールのある靴で歩くと音が響くから。 これからすることを考えれば、心のどこにも余裕は見つからないはずなのに。不思議とその瞬間が迫ってくると頭がクリアになってゆく。眼前のただひっそりと、けれど確かな存在感を纏う扉の前で深呼吸した。
真面目な話をしましょうと、鷹斗が日頃執務をしている部屋に押し掛けてみれば、せわしなく動かしていた手を止めて柔らかく微笑んだ。昨日ぶり――逃げ帰ったときと同じように。 「どうしたの、外に出るための交渉をしにきたの? それとも、他の要望を言いに来た?」 纏う雰囲気はどこまでも柔らかく、けれど潜む棘は酷く鋭い。進む道を塞がれる感覚はいつまでたっても慣れない。けれど、今日の進む道はいつもとは違う。あのままでは駄目なのだと気がついたから。 「いいえ。もう、そんな小手先の策を弄するのはやめたの」 「どちらでもない、とすれば……?」 「何だろうと思う?」 鷹斗のように、思っていることを悟られないように。それ以外の可能性はないものとして扱うように。ただただ強気に見えるようにと、半ば睨むような力で微笑んだ。 それを受けて一瞬だけ、キングの仮面が剥がれる。鷹斗はおや、という顔をした。 そうだ、これでいい。これでいいのだ。とりあえず今は。 「そうだね。どっちでもないとすれば……俺と話をして色々と知ろうとしてる、ってところかな」 「そうね。ハズレではないけれど、当たりでもないかしら」 鷹斗の中の私は、きっとお行儀良くて甘ったるくて、世界に彩りを作った女神みたいなカタチをしてるに違いない。そんな女神になんてなれる訳がないけれど、鷹斗の求める“九楼撫子”はそういうやわらかさを含んだそれ。 その存在も、最初は小さなものだったのだろう。しかし、鷹斗の傲慢さに根を張るようにして、肥大する。 取り返しがつかなくなってしまったそれは、今や、存在そのものがこの世界の礎になっている。 その事実に鷹斗自身気がついていないに違いない。つまり、私でない九楼撫子が、鷹斗の中には存在するということ。 円やレインでさえも、真実に気がついているだろうが、口にはしない。口にしてしまえば壊れた世界が正しい世界に戻るかもしれないとでも思っているのか。 重なる視線に、重ならない想い。鷹斗の中の“撫子”がいる限り、撫子は自由にはなれない。 だから。 鷹斗の中の“撫子”を、揺るがせてヒビを入れて。壊してしまえれば。 「面白いな、今日の撫子は」 「その言い方だと、今までの私は面白くないみたいじゃない」 「そんなことはないさ」 単純で子どもらしい手だ。こんな小さな反抗なんて、鷹斗からしてみれば反抗にすらならないのだろうけれど。 それでも撫子にできる精一杯の反抗だった。壊れてしまった世界に馴染まないことが唯一の抗う方法だなんて、馬鹿げているけれど。 そう、これは道理を通した遅めの反抗期なのだ。それくらいは許されるだろう。何せ自分はそうあるだけの時間も奪われたのだから。 「いいよ。話をしよう」 「ええ」 「じゃあ、優雅にお茶会とでも洒落こもうか」 そういう鷹斗はキングの眼をしていた。ひとつ、深呼吸。 これから戦いが始まるのだ。 そう心したとき、傍に控えているルークがほくえんでいたことを、撫子は知らない。 「さて、これはまた見物。クイーンとキング、チェックをかけるのはどちらでしょうかねー」 そう呟いたことも知らなかった。
130314 ついったで涼風ちゃんのバレンタインリクエスト、「いくら君でも、これ以上は冗談ではすまされませんよ」でした。レイ撫だったはずなのにどうしてこうなった……
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