しのぶれど、 みずみこ


 華詠のパートナーに向ける敬愛なのか、それとも危うさをはらんだ、相手を求める恋慕なのか、今のみことには分からなかった。ただ一つ確かなのは、しっかりとした形を持ち、胸に居座るトクベツな感情がある。
 互いを互いで高め合えられたら。源は、そこだ。ただその思いだけで、ここまで頑張ろうと思えるのは、きっと、彼だから。
 

 授業は終了し、この後は華遷の練習のために講義室に向かうか、それとも部屋に戻るかと思案しつつも、最終的に中庭へと足を向ける。
 教室をでると、廊下の向こうの方から黄色い声が響いてく来た。思い当たる人物は四人。五光である彼らだが、唐紅に関しては、彼がこの一年生の教室があるところに来るとは考えづらい。残る三人の内、誰なのだろうかと考える暇もなく、男性にしては高めのトーンが響いた。
「みことちゃん、蛟来てたりしてない?」
「あ、姫空木さんお久しぶりです。蛟さんはいらっしゃってないですよ」
 ぺこりと一礼しつつ、いつだったかもこんな風に姫空木が蛟を探しに、みことの元を訪れたことがあるのを思い出した。
「そっか、困ったな……こればっかりは蛟がいないと駄目だからな。みことちゃんのところに来てると思ったんだけど」
 姫空木は困ったように眉尻を下げた。
 切羽詰まっている訳ではなかったが、彼は入り用のようだ。この後、特にこれといった用事はなかったので、みことは「私でよろしければ一緒に探しますよ」と申し出た。他意は、ない。決して。
「ほんと? じゃあお願いしてもいいかな」
「はい、大丈夫です。とりあえず、蛟さんがいそうなところを虱潰しに回ってみませんか?」
「うん、みことちゃんに任せるよ。僕は蛟が見つかればいいし」
 勤勉な彼がいそうなところと言えば、図書館だろうか。そうでなければ、講義室か。庭園ということも考えられる。
「じゃあ、行きましょう」
 本来、姫空木が蛟を探すために校内を回っているのだが、自分が主体となって蛟を探していることに、みとこはまだ気が付いていない。姫空木は懸命な彼女の姿を見て、ふっと笑った。笑われた本人はと言えば、蛟を探すのに一生懸命でそれには気が付かなかった。

「……蛟さん、いらっしゃいませんね」
 校内を散策すること十数分。二人の探し人の姿は見つからなかった。
「うーん、さっきあげたところのどこかだと思ってたんだけど」
 蛟のいそうなところから、人の多そうなところへと探す場所を変更する。宛もなく漫然とうろうろとしていれば、『ミューズ、どこへ向かっているんです?』と知った声が聞こえた。振り返れば予想した通り、鮮やかな桃色の髪をふわりと揺らした彼女がいた。
「百歳さん! あの、蛟さんを探してるんですけど、見かけてないですか?」
「蛟? ごめんなさいね、今日はまだ見かけておりませんの」
「そうですか……」
 残念だとあからさまに顔にでたみことを見て、申し訳なさそうに百歳は言う。
「あら、でも蛟を探しているのは姫空木ではなくて?」
「どうです。蛟さんを探しているのは姫空木さんですよ」
「……そんなに必死になって探して可愛らしいこと。そう思いません?」
 ね、と百歳は姫空木に同意を求めたが、何を言っているのか今一つぴんと来ない。確かに一生懸命に探しているけれど、それだって姫空木の手助けをしているからにすぎないというのに。
「そうですね」
 同意した姫空木の、にやりとした笑みがやけに楽しそうに見える。そして、その雰囲気が百歳にも伝染したのか実際のところは分からないが、同じようににやりとした笑みを浮かべて、百歳は言った。
「で、ミューズがお慕いしているのは誰なんですの?」
 百歳からはからかう色が見えたのも一瞬のことで、すぐにいつものように優しげな笑みを浮かべる。
「え? ええと、……」
 百歳が言ったことを反芻する。私の、慕う人。
 彼女の言う「慕う」というのは、どういうことなんだろうか。好意を抱いているという意味なら、確かに抱いてはいるけれど、それだってどの種類のものなのかは判別できていない。泉姫候補とパートナーとしてなのか、それともそれとは別の情。 
「言わなくても分かりますわ。ミューズの頭に浮かぶのは一人だけ、なのですね」
「あ、」
 言われてようやく気が付く。思い浮かべていたのはただ一人だったということに。その事実を自覚すると、酷く恥ずかしく思う。顔が火照る感覚がした。
「しのぶれど、」
 ぽつりと百歳は呟く。
「え?」
「しのぶれど、ですわね。それなのに気が付かない蛟も蛟だわ」
 思い浮かべていた人物の名前を出され、お見通しだったのかと今更ながらに思う。生き生きとした、百歳の顔が目の前にあった。『しのぶれどって何ですか?』と問いかけようとする前に、姫空木が言葉を紡いだ。
「『しのぶれど 色に出でにけり わが恋いは ものや思ふと 人の問ふまで』ですか。らしいですね」
「でしょう?」
「気が付かないのは仕方ないですよ。なんてったって蛟ですから。和歌で言うなら僕は『恋すてふ』かなと思ったけど」
 先ほどの姫空木と同じように、独特の韻を踏みながら百歳は『恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思いそめしか』と口にした。柔らかな、音がした。
「でも『人知れずこそ』ではなくてよ。だって、ばればれですもの」
 打てば響くような、とはまさにこのことだった。最も、和歌ということは分かっても内容そのものは分からない。
 みことはこんな風なやりとりを知っていた。最近、授業でも扱ったような。記憶の引き出しを探れば、求めていた情報はすぐに見つかった。
 枕草子の一節。香炉峰の雪を見たいと言った中宮定子に、御簾をあげて返事をした清少納言が浮かぶ。まるで、それだった。
「確かにそうかも知れないですけど」
「でしょう? もっとも、これは歌合わせではないから、優劣もありませんけれど」
 百歳と姫空木の会話を、分からないなりに聞いていたみことだったが、視界の端に、あるものを捉える。
「あ、」
 それはずっとずっと探していたみずちの姿だった。
「みずちさん!」
 そう言うが早く、百歳と姫空木の存在を放って、みことはみずちの元へと駆けだした。早く引き留めなければ、彼はまたどこかへ行ってしまう。
「ああ、みこと君か。丁度君を捜していたところなんだ」
「私も探してたんです」
「君が? 珍しい。課題で上手く纏まらない箇所でもあったのか?」
「いえ、そうではなくてですね、元々は姫空木さんが」
「しかし、ここに姫はいないようだが」
 みことは慌てて百歳と姫空木の方を見た。

 残された二人は二人で、みことが急にいなくなってしまったのを良いことに、このような会話がされていた。
「いいんですか、和歌の意味を教えてあげなくても」
「きっとミューズは本気で知りたいと思えばご自分で調べるでしょう? 若しくは蛟に聞くことだって出来ますし」
「蛟は分かっていても、きっと答えられないと思いますよ。だって、『秘めてきた恋なのに、顔や表情にでてしまって、「恋の想いごとしてるの」、なんて人に尋ねられるほどになってしまった』なんてこと、みことちゃんに言えると思います?」
「それは厳しいかもしれませんけど」
「他人から見たら、想いの方向はばればれですけど。だからこそ、『ものや思うと 人の問ふまで』なんですけどね」
 ええ、と百歳は笑った。姫空木もつられて笑った。
 みことが和歌の意味を蛟に聞くまで、あと数分。その答えを、赤面しつつもみことに答えるまで、あと。



121220
書いてみたかった、「しのぶれど」なみずみこでした。
途中、ちょこちょこっと和歌のこととかあると思いますが、かなーり脚色してます。
元は、天徳内裏歌合わせでの、20番目の歌と逸話からです。恐らくとても有名なので、知っているかと思われますが、ここにリンクを貼っておくので宜しければどうぞ→天徳内裏歌合わせ



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