ドーナツの穴問題についての見解 レイ撫



「日本人って、つくづく不思議な文化持ってるなーって思うんですよねー」
 手に持ったドーナツをしげしげと眺めながら、唐突にレインは言った。
 柔らかな陽射しが当たる平日の午後。周囲には親子連れがおり、朗らかな空気が流れる広場で、撫子とレインは購入したドーナツを食べていた。
 このスペースには簡易的な椅子とテーブル、それに付属したパラソルがあるわけだが、ここにいる自分とレインは回りからどう見られているのだろうか。
 パラソルが独立した空気を醸し出しているが、その場に合っていないという意味ならレインだって負けていないと思う。片や、白衣を着ていて、頭がツートンカラー――しかも、ビビットピンクと金――の男性。片や、かっちりとしたワンピースを来ている自分と。どう考えたって人目を引く二人組だ。恐らく奇異の目で見られているに違いないが、レインと連れ立ってどこかに出かけるのも数回目となれば、それだって慣れる。
「レインが外に出てるなんて珍しいわね」
「ちょうど研究が煮詰まってしまって。気分転換ですよ」
「まさか校門のところで待ってるとは思ってなかったわ」
 授業も終わり、もう一度研究室に寄ってから帰るか、と思案しているときにある会話が耳に入ってきたのだ。
『見た見たー?』『うん、門のところに立ってた人でしょ?』『凄かったわよね!』『頭をピンクと金に染めてる人なんて始めて見たんだもん!』『いや、そこじゃなくて顔見たでしょ。すっごくかっこよかったじゃない!』『髪と白衣のインパクトが大きくて顔まで見てなかったの』
 白衣を着ていて、なおかつ髪を奇抜な色にしている。そんなような人を知っている。まさかとは思いつつも、撫子は校門へと足を向ければ。
「こんにちはー」
「……やっぱりレインだったのね」
「呼ばれて飛び出てなんとやら、ですー」
 にこりと笑えば、確かに「かっこいい」になるのだろう、この憎めない顔は。
「そんなこと言っても私は呼んでないわよ」
「そうですねー。今日もボクが勝手に押しかけただけですし。ところで撫子君、この後に何か予定はありますか?」
「別に入ってないけど」
「それじゃあちょっとお茶でもしませんか?」
 断る理由もとくにないので頷く。こうして冒頭の会話に繋がる訳だが。
 一つ目のドーナツを食べ終え、二つ目のドーナツに手を出すか考えていると、おもむろに横から手が伸びてきた。レインはもう一つ食べるらしい。こっちはカロリーを気にして食べているというのに、この男ときたら。ドーナツひとつ当たりのカロリーを考えてるのを知っているくせに、そんなもの知ったこっちゃないとでも言うように悠然と食べるのだから苛立ちを感じるというものだ。
 最もそれを指摘すれば、『頭を使ったから脳がブドウ糖を欲してるからいいんですよー』なんて言葉が返ってきそうだ。
「あら、私からしたら、あなただって不思議な文化をもってると思うわ。……まぁ、あなたをアメリカの文化という括りにするのは悩むところだけれど」
「いえいえー、ボクが言いたいのはですね。日本の文化とアメリカの文化という分け方ではなくて、日本の文化とその他の国の文化、ということです」
『いや、文化というよりも宗教感覚になるんですかね、これ』とレインは付け加えた。
 宗教とか、文化とか。そういったものはレインから一番遠いところにあるといっても過言ではないと思っていた。なんとなく、レインは別の時間軸に生きているというか、そんなような――俗世との関わりがないような気がしていたので、その手の類の言葉がレインの口からでてきたことに驚いた。
「どういうことなの?」
「まあふと思ったことなんで適当に聞き流していただいても結構なんですけど。撫子君は偶像崇拝という言葉を聞いたことはありますか?」
「失礼ね、いくらなんでも聞いたことあるわよ。えっと確か……神様とか、そういう形ないものを目に見える形にして拝むってことじゃなかったかしら?」
 あまり自信がないものの、頭の片隅にある知識を言葉にすれば、レインは手元にあったジュースのストローを銜えて内容物を吸い上げる。その動作は、まるでクイズ番組の答えをコマーシャルで引き伸ばすもののようで。我が家では見なかったけれど、答えの知りたい視聴者はこんな気持ちだったのだろうか、なんて思う。
「ええ、正解です。大方の考え方はあっています」
 けれど、一体それがどうしたというのだ。
「神様は目に見えない高尚な存在ですけど、どうにかそれを目に見える形にしてそれを崇めたい。その結果、偶像を信仰の対象として崇め始めたってのが始まりですね」
「えっと……レインはどこかの宗教を信仰しているの?」
「いえ、生憎ボクは何も信じていませんから。見たところ君も無宗教ですよねー?」
 特別なにかを信仰している訳ではないのでこくりと頷く。
「ボクがここにきて驚いたのは、ここの国のひとは無宗教のようでいて、実際はそうではないところでした。この国に来て、もう数年がたちますけど今もよく分かりませんしー」
 日本は無宗教のひとが多いというのは知っていたが、そうではないというのはどういうことなのだろうか。
「無宗教とは言いつつも、クリスマスはキリストの生誕祭として祝うし、正月に、お盆、果てにはハロウィンまでも祝いますよね? イースターだって祝う人もいますが……こっちは単純に認知度が低いってだけしょう。それに祝うって言うよりも、お祭り騒ぎなだけかも知れないですけど」
 確かに、クリスマスはクリスマスで父親の関係で、九楼財閥の令嬢としてパーティーに出席したし、正月は親戚の家に挨拶回りに行った。お盆はお墓参りに行ったような記憶もある。撫子自身も、またこの国ではごく当たり前のこととしていたが、それは外国から来たレインにとっては驚くべきことだったらしい。
「とまあ、色んな文化のお祭りを引っ張ってきてごっちゃになってますけど、それ以上に驚いたのは神様が沢山いるってことでした」
 例えば、とレインは道の向かいにある店を指した。
「あそこでは、簡易的なご飯が食べられますね。そう、白米とか」
 レインが指したお店は撫子も知る店で、確かそこではパンをはじめとして、手軽に白米が食べられた。
「お米の一粒には神様が七人宿っている、という話、聞いたことありますよね?」
「ええ」
 だからお米は残さずにきちんと食べなさいと言われたものだ。
「そういうとことか、あとは『八百万の神』って言葉があるように、兎に角沢山の神様がいて、色んな物に宿ってるって考えられているんですよ、この国は。使い終わって放置されてたものにまで神様って宿るんでしたよね」
 神様がどんだけ飽和状態なのかって感じですけどー、言ってからレインはまた一口ジュースを飲んだ。
「で、ここからがボクが一番言いたいことなんですけど。日本人は、何にでも神様が宿っているから、人間が犯してはいけない領域があると思ってる」
 分かりやすく言えば自然とかがそうですね、と付け足した。
「どんどん手を加えて便利にしようとしているくせに、ある一定のところまで進むと手を入れるのをやめてしまう。なぜならば、そこには神……いえ、人間が犯してはいけない領域がある、と思ってるからですねー」
「でも、それは少し分かるわ。なんて言うのか分からないけれど、それでもあえて言葉にするなら、『根源に近づき過ぎて怖い』のかしら」
 それに吸い込まれてしまうような気がして。
「そうそう、そういう感覚ですー。つまり、日本人は、形ないものに意味を求めているんですよー」
「……どういうこと?」
「このドーナツだとしたら、この内側に意味を求めているってことです」
「この内側って……穴のことよね?」
 そうです、とレインは頷く。
「君はここがなんだと思いますか?」
 レインの言っていることは少し難しくてよく分からない。どう答えたものかと首をひねっていれば、『ああ、すみません』と付け加えてから、先ほどの言葉に付け足すようにして言った。
「このドーナツの穴は、空間なんですかね。それとも存在なんですかね」
「それは……」
 ドーナツには穴がなければそれはドーナツとは言えない。穴がなければ、それはただの菓子パンになってしまう。その穴があることで、ドーナツはドーナツでいられるのだ、と撫子は思う。
「何もないところに意味を求めてるってのはそういうことです」
 おかしなことだとでも言うようにレインは笑った。それは、何も信じていない者の目だった。
「日本人は、このドーナツの穴を極限まで広げている。逆に偶像崇拝しているひとたちは、この穴そのものに意味を求めている。面白い、ですよねー」
 レインはにやりと笑い、口の横に付いていたチョコの欠片をぺろりと舌で舐めとった。
「じゃあ、レインはどうなのよ」
 口角を釣り上げて笑う様は、まるで猫のようだ、と撫子はふと思った。
「ボクですか? そんなもの決まってるじゃないですかー。ドーナツはいっぱい食べられる方がいいってことですよー」






121118
宗教でも有名なドーナツの穴問題。レインならこういうネタに詳しそうだなって思ったので



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