極彩色の彩りに眩む 円撫


 自分が関わらないことには心を振るわせずに、悲しみも喜びも感じないようなひとでありたかった。
 それは人としてはしんでいるのかも知れないけれど、ぼくはそれでもいい。ぼくのいきる意味は、英家の央の弟であることと同じだ。
 どうでもいいことには無関心で、必要だと思うことには気を微にして。
 大きすぎれば溢れてしまうから、世界は小さなままでも良い。ぼくと央とそれから家族。
 ただこれだけのことに心を砕いていれば安息が与えられると思っていたのに、いつからそうではなくなってしまったんだろう。
 ずっと前から気がついてはいたのかも知れない。けれど、それを無視し続けていたのはぼく。そうすることが正しいのだと、そうあることが自分の形を明確にしてくれているのだと眼を覆っていた。外の世界を見てはいけなかった。
 きっと、外の世界を見てしまえば、ぼくは形を失い、壊れてしまうだろうとそんな予感がしていたのだ。

 ぼくを形作るものはいつだってぼく自身じゃなくて、ぼくを取り囲むものだった。それの大半は央であり、央がいることでしかぼくは自分の形を保つことができないのだと、そう思っていた。多分、そうであって欲しいと望んでいたのだ。その望みは央自身の手で砕かれる。
 いつからだろう。記憶の引き出しを開けたとき、案外すぐに見つかるそれは課題をしていたときだから、小学校五年生のときのもの。
 協調性を学ぶためとかなんとか。そんな訳の分からない理由で不条理に集められ、課題をこなし、過ごしたほんの数週間で確実に央は変わった。
 きっとそれは良い方向へ、なんだろう。けれど、ぼくにとっては知ってる央から知らない央に変化することでもあった。知ってることもこわい。だけど、知らないことの方がもっとこわかった。
 要するに、ぼくは臆病者なのだ。
 あるとき、央言った。
「円は円のためにいきていいんだよ」
「……それはどういうことですか」
 央の言うことの真意を測りかねて――いや、聞き返せばぼく自身がそれを見ずに済むと思ったからだ。
「それくらいのこと、僕が言わなくても円なら分かるでしょ。いいよ、分かんないならこの話は終わりー! 帰ろっ! 今日も見たいアニメあるからそれまでに帰らなきゃ!」
 央は悲しそうな顔をしていた。どうして、そんな表情をするんですか、と聞こうとしたけれども、それは言葉にはならない。口の中で転がした言葉は、やがて霧散した。
 本当は、ぼくだって分かっていたのだ。
「央は、」
「いいよ、僕は待ってるから。円が追いついてくれるまで待ってるから焦らないでいいよ」
 それが、本質的なこととしてぼくの兄なのだとそう実感した瞬間。あれほどぼくは央の弟だと言っていたのに、理解していないのはぼくだった。

 例えるなら、それは目隠しだ。見たくないものを意識からシャットアウト。見たいと思うものしかない世界だ。
 けれど。きっと、央には強固な目隠しが見えていたのだ。ぼくが世界を直視していないことが分かっていたのだ。
 猛烈に恥ずかしくて、自分が酷く汚いもののように思えて。自己嫌悪が胸の内をじわりじわりと侵食したけれど、ぼくに出来るのはやっぱり央の弟であることだった。
 目隠しは、ときおり央の気まぐれにとって外された。きっと央にしてみれば、頑ななぼくが気にかかってつついただけなのだろうけれど。
 始めて見た世界は大きくて、恐ろしかった。行っても行っても果てが無くて、どこに進めば良いのか分からない。何故、みんなは目隠しもせずにこんな恐ろしいところに平然といられるのだろう。きっと、ぼくと違って強いからなのだ。
 慌てて外された目隠しを元に戻した。暗くて狭いことぼくの世界に安心感を覚えた。
「円の回りには素敵なもので溢れているのに、それを見ようとしないのは、凄く勿体ないことだわ」
 あるとき彼女はそう言った。
「お節介です。あなたに関係のあることではありません」
 ぼくの世界はぼくだけのものだ。ほかの人が、入ってきていいはずがないのだ。
「いいえ、関係はあるわ。だって、一緒に課題をクリアした仲間じゃない。円はこれがどうして関係ないって言えるの?」
「……どうして、こんなにも――」
 ぼくのことを気にかけるのだろう、と思わずにはいられない。央はぼくの兄なのだから、そうする必要があってぼくに関わっているのだろうけれど、彼女は。撫子さんは。自分に関係ないことなのに。そうする必要性はないのに。

 ぼくに世界があることを教えたのは央だったけれど、世界に彩りを与えたのは撫子さんだった。こんなにも意固地なぼくに飽きもせずに話かけて、と何度思っただろうか。今思えば、感謝する他ないけれど。
 自分のことには強くあって、ぼくの受けた傷には酷く傷ついた顔をする。
 そうして他の人のことにいちいち心を揺らして、自分のことのように傷ついて、彼女は疲れないのだろうか。ぼくには、きっとそんなことは出来ない。してはいけないと分かっている。
 だけど、彼女の世界はどんなふうなんだろう。絶対にできないと分かっていたから、少しだけ彼女の世界を覗いてみたいと思った。
「まどか、」
 ぼくをそう柔らかに呼ぶだけで、世界は変わる。
 もう怯えなくても良いのよ、って手を差し伸べてくれる。彼女には、ぼくの全てが見えるんだろうか。どうして分かるの?
 彼女がぼくを呼ぶ度に目隠しの向こう側では淡く色づいているのが分かる。だって、名前を呼ぶだけでこんなにもあったかい気持ちになる。
 少しだけ気にかかったから、怖いもの見たさでちらりと目隠しをずらしてみた。すぐに戻せるように、目隠しは手に握ったまま。
 その目の端で捉えたその世界のなんという鮮やかなことか!
 世界は広くて、眩しくて。あれほど恐ろしかった世界のはずなのに、どうしてこうも変わってしまったのだろうと思えるほどに、変貌していた。
 勿論世界は変わったけれど、ここまで大きく変わったのは世界ではなく、きっと自分だ。
 あまりの眩しさで目は眩んで。一回閉じて、もう一度開いて見ても世界はやっぱり眩しいままだ。それでも優しく光るから、目を離すことは出来なかった。
「ほら、やっぱりね」
「不本意ながら、ぼくは認めざるを得ないようです。どうも、あなたの言う通りです」
 可笑しそうに、彼女は笑った。
「ね、」
 これが、こんなにも多くの色で溢れている世界が、彼女の見る世界なんだろうか。
 今なら彼女が傷つけられても、自分のことのように感じることが出来るだろうか。痛みも喜びも一緒に感じることができるだろうか。彼女がぼくにしてくれたように、彼女のことで心を振るわすことができるだろうか。
 今までなら無理だろうと即答していただろうけれど、今なら。ほんの少しだけ、できる気がする。
「どうして、こんなにも――」
 彼女と見るものは美しいのだろう。
 覗いた世界は、極彩色の彩りをしていた。ぼくの新しい世界だった。




121118
円の世界を変えたのが撫子でありますように



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -