日和見主義者であれ 円撫


※円撫ちゃんのマフィアパロですご注意下さい

 パン、パンと紙袋を破裂させるような軽い音がすると、撫子は身を堅くして耳をすませる。その音がどの方角から聞こえてきたのか、どのくらいの距離があるのか。
 こんなにも軽い音なのに、それはひとの命を蔑ろにする音だ。今まで積み上げてきたものが、一瞬にして瓦解する。過去も今も、未来も。そして可能性さえもなかったことにしてしまう。
 怒声とガラスが砕ける音がして、慌ててここから逃げなくては、とまともな思考が働いた。今回は思ったよりも近場で起こった事件らしい。

 撫子は今までニ十年余りを生きてきたが、何度か銃声を聞いたことがあった。幸いにも硝煙の香りが漂ってきたりだとか、悲鳴が聞こえるほど近くにいたことはなかった。しかし、それはこの地域で生きる人間にしては珍しいことに違いない。
 ここはいくつかのファミリーが領土争いをしている土地だ。それぞれの縄張りの境界線がいくつも重なり、もう何年もこういった小競り合いを続けている。が、小競り合いと呼べたのも数ヶ月前までのこと。ここ最近は抗争と呼べるレベルにさえなっている。
ただここに住み、あちら側とは関わりなく生きている彼女にしてみれば、誰がここを治めようとそんなことはどうだっていい。命の危険にさらされることなく平和に生きていられればそれで良いからだ。しかし危険要素はどこにでも転がっているもので。
 そう、今この瞬間とか。
 銃声から逃げ出したのに、発砲した人と逃走ルートが被ったようだ。いくつもある路地のうち、たまたまその一本を選んでしまったのはついてないの一言で片付けるには些か大事だ。

 時折聞こえる銃声はどんどん近づいてくるようだった。背後から言葉にならないわめき声が迫る。止まったら男に追いつかれてしまうのは分かってはいたが、足がもつれてよろける。もう動けない。体力の限界だった。
 ぜえぜえと荒い息を吐きながら撫子は、幼馴染の『もう少し体力付けたほうが良いと思うぞ』という言葉を今になって思い出した。
 こんなことになると分かっていたら日頃から積極的に運動をしていたし、なによりもこの路地を選ばなかったに違いない。
(どうしよう。嫌だ、怖い。まだ死にたくないのに)
 頭が真っ白になる。一度思考を停止してしまえば簡単に足は止まった。息は不自然なほど上がり、膝が笑う。走って逃げることはおろか、もう一歩も動けなかった。
 三十メートル後ろには男。拳銃を手に近づいてくる男の目の焦点は合ってはおらず、もう目に映った苛立ちの対象全てに発砲しているようだった。ただただ撫子の背筋は冷えるばかり。話せば分かるとか、そんな悠長なことを言っている場合ではないのが分かる。
 そんな中、撫子に出来ることと言えばただ息を殺して男の視界に入らないようにし、苛立ちの対象にならないことだけ。
 どくりどくりと気持ち悪いくらいに鼓動が音をたて、乾いた呼吸が路地に響く。妙に大きく聞こえるそれは、紛れもないいのちの音だった。
(お願いします、早くどこかに行って。私の視界からも消えて。お願い)
 いつもは存在を気にしたことすらない神に祈る。しかし、虚しくもその祈りは叶わない。
「そこの女!」
 言葉として撫子が聞き取れたのはここまでだった。あとは何を言っているか分からないけれど、この男の意に沿わないことをすれば命の保証はされないことは明白だった。
再び男が叫ぶ。ここに来いということなのだろう。早くしろ、という言葉に急かされておぼつかない足取りで男の元に行くと、抵抗出来ないように腕を掴まれる。
 こんなことされなくたって、恐怖でなんにも出来ないというのに。痛い、と声をあげることすらかなわず、強い憤りと恐怖の声が洩れた。

「手間かけさせないで下さいよ。ぼくにもまだ仕事、残ってるんですからね」

 突然路地に響いた声は随分と硬質なものだった。スーツの上に白いもさもさとしたファーを羽織り、悠然とした態度は現れた男の強さを感じさせる。
 悪いことをしていて、それが親に見つかってしまったような。振動を感じて、撫子は背後にいる男が酷く動揺したのが分かった。目の前にいる男の存在は背後の男にとっては予期しないものであり、そして歓迎すべき事態でもないらしい。背後の男は声にならない叫び声を上げ、ファーを羽織った男に突進していった。
 腕の拘束が外れる。逃げればいいのに、どういうことか逃げられない。それはファーの男が出す得体の知れない雰囲気と路地に漂う緊張感のせいだった。
「あなた、カタギの人に手を出すだけじゃなくて薬もやってたんですか……ほんと、どうしようもない人間ですね」
『じゃー、さようなら』。男はそう告げて、その辺りにいる虫を潰すようにして引き金を引いた。直後、軽い音と共に漂ってくる硝煙の香り。
 どさりと意識をなくした――もう二度と意識を宿らせることのないものが地面に落ちる。呆気にとられ、撫子は悲鳴さえあげられない。それほどまでに男の行動には無駄と呼べる無駄がなく全てが一つの動作のようだった。
 ファーの男はつまらないものを見るような目でそれが動かなくなったことを確認してから、おもむろにポケットから携帯電話を取り出して電話をした。
「ボス、始末は終わりましたけど」
「その様子だと首尾は上々かな?」
「ええ、そのはずです。ただちょっと……向こうの方がですね、一般の方にご迷惑おかけしちゃったみたいで」
「……」
 その一般の方という響きにトゲを感じる。沈黙が妙に長かった。助けてくれたけど、この人は危ない人だ。人の命をなんとも思ってないことくらい分かる。さっきの人はきっとこちら側にいる人ではないし、マトモではなかった。
 けれど。それでも生きているひとだったのに、なんの躊躇もなく、命をなかったことにした。
 ボスと呼ばれる人の采配次第では、現状は好転していないか、寧ろも悪い状況に陥っているのかもしれなかった。
「それは困ったものだね」
 携帯越しに漏れる声は、驚くほど穏やかで。底知れぬものを秘めているような気がして恐ろしかった。私はこれからどうなってしまうんだろう、と撫子は今更ながら思った。
「いいよ、それについては君の好きなようにするといい」
「……了解」
「じゃあ行きますよ」
 撫子がへたりこんでいると、男は携帯を切ってから強引に腕を引いて立たせた。助けてくれたことには変わりないが、自分を助けてくれたのは組織のためだ。当然と言えば当然なのだが、気持ちが昂っているからかなんだか思考回路がおかしい。
「行くってどこに」
「どこでも良いですけどとりあえずここじゃないとこに」
 どこかに置いてきてしまった恐怖以外の感情がようやく追い付いてくる。
 もう一体なんなの。私は何も悪くないのにいきなり巻き込まれるし。命の危機が去ったと思ったら今度は勝手に付いてこいって。あまりにも強引すぎる。全くもって意味が分からない。
 衝撃が怒りにシフトしていく。撫子は差し出された手を払った。そんなものはいらない、とでも言うように。
「放してよ! あなたも今の男と同じなんでしょ! 触らないで」
「……別にそれでも良いですけど。でもあなた、こんなところにいたらあらぬ誤解を受けるかもしてませんよ」
 見やったのは倒れ込んでいる男。
「これ以上厄介事に巻き込まれたくなかったら大人しくぼくに付いてくるのが得策かと思いますが」
 ここにいて、もしも何かがあって面倒なことになる場合と、この男の言う通り付いていくのとどちらの方がより厄介だろう。少し考えてから撫子は立ち上がる。男の手は握らなかった。
「あなた、面白いですね」
 男は口角を上げ、笑みを浮かべていた。
 
 男に連れてこられたのは落ち着いた雰囲気のバーだった。どうも、とマスターに声をかければ久しぶりだとマスターはにこりと笑う。いきなり奥の席に通された。
 きょろきょろしてはいけないとは分かっていつつも、始めて来るような場所だから好奇心がうずく。撫子は店内を見回していた。
「いつもので」
「はいよ。今日の連れは今までと随分雰囲気が違うねぇ。新しいコレ?」
 マスターは小指をたてる。
「はいはい、そんなことどうだっていいでしょ。この人にはアルコール入ってないのでお願いします」
 かしこまりました、とマスターは引っ込んだ。腕はいいから良い奴なのだが、こうして客に踏み込んで来るところがある。しかしこのバーは単に飲食物を提供するだけではなく、情報も売買されている一面もあるから仕方のないことだ。
 実際、男もここの情報に世話になることも多いだけに何も言えなかった。
「さて、と」
 男の仕事はまだ残っていた。撫子をじっと監察するように見てから『今さらですけどなんであんなとこにいたんです』、と男は撫子に問いかけた。なんでと言われてもただ巻き込まれただけなので返答に困る。
「……」
 口を引き結んだままでいると、男は呆れたように息を付き、
「円です。ぼくの名前」
 と言った。今ごろになって少し興味が出てきたからとか、とりあえず一緒にいるからとかそんな理由でこんな風に気遣われるのが気に障る。
 普段ならそうは思わないのだろうが、今の撫子の精神状態は平生ではない。既に一度は死にかけた身だと思えば怖くない。もうどうにでもなれだった。
「なんでいきなりそうやって扱うのよ。あなたもさっきの人たちと同じ枠組みの中にいるくせに。今度は何か理由でもつけて誘拐でもしようとしてる訳?」
「誘拐、ですか。本当にやろうと思ったならこんなところには来てないでしょうね。あとあなたのご想像のとおり、ぼくは一般人じゃありません。そうですね、マフィア、というのをご存知ですか」
「……あなたとか、さっきの人もなんでしょう」
「ええ、そうです。まあ、それなりに酷いことはしてるとは思いますよ。でも、世の中にはどうしたって必要悪というものが存在するんです。……あなたは分からなくて良いと思いますけど」
「別に分かりたいとも思わないもの」
「ええ、あなたみたいな世間知らずのお子様はそれで良いと思います。あなたは、そちら側の人間なんですから」
 円と名乗った男の言葉には冷たいものがあったが、それでもこの人の全てが悪だとは思えなくなっていた。確かに側面としてはそういったところもあるかも知れないが、その一面が全てではない。
(彼の組織のトップが私を殺せと言えば、きっと彼はそのとおりにするわ)
 そう思うのもまた事実だ。
 『自分は悪の中にある』と言う男に対して存在を否定できないと思えたのはこの男の目には後悔と、それから悲しみの色を宿していたからだろう。
「撫子。私の名前は世間知らずのお子様なんかじゃないわ」
「そうですか」
 円の目元は柔らかなものを湛えていた。
 優しくできるひとなのに、なんでこのひとはマフィアなんてものをしてるのかしら、と撫子は疑問を抱いた。

*

 撫子は円に自宅まで送られていた。曰く、『なんだかちょっと嫌な感じがしますね』。ここまできたならもうどうでも良い。だが、本当はそれだけではない。せっかく『合った』縁を解いてしまうのは勿体ないかもしれない、もう会えなくなるのは惜しい、と少しでも思ってしまった。
「この先は一本道だからもう平気よ」
「いえ、ここまで来たんですから最後までやらないといけないような気がするんで」
「そうは言ったって……あなたに自宅を教えても良いと思うほど親しいとは思わないわ」
「どうせすぐに忘れますから安心して下さい」
「円!」
 そういう問題じゃない。円はそんなに愚かではない、というのは少し話しただけで分かるのだ。だから自分が言っていることも分かるはずだ。それなのにどうして退かないのだろう。何か理由でも、と考えていると突然名前を呼ばれて思考の海から引き上げられる。
「撫子さん!」
 円は撫子を強引に抱き寄せた。何するのよ、と思わず出た言葉も、円の鋭い声によって遮られる。その日何度目かとなる発砲音。そして複数人の大声。
「嫌な予感が当たっちゃったようで……困りましたね」
 チッと舌打ちが聞こえたけれど、本当に舌打ちしたいのは撫子の方だった。こうしてまた、巻き込まれてゆく。
「なにぼーっと突っ立ってるんですか。あなた死にたいんですか。ほら、逃げますよ」
「えっ、あ、」
 撫子の腕を引いて、円は走り出した。愛の逃避行とでも洒落込むことができれば良かったのだろうが、生憎これは違う。
 右に折れて、次は左に。行き先も分からぬまま円に連れられて撫子はただ脚を動かすだけだ。何度も角を曲がり、路地に入るものだから徐々にと何処にいるのか分からなくなる。頭の中に地図を作るのを諦めてからもう少し走り続けると、円はいきなり立ち止まった。
 呟いた一言は『袋小路、ですか』だった。いたぞ、という声が響いて慌てて振り返ればそこには五、六人の男。新手はさっきの人の仲間だったらしい。いくら円が強いといえども、これはどうしようもない。
「……どの程度盾になるかは分かりませんがぼくの後ろに隠れてて下さい」
 撫子を庇うように円は男たちに対面する。その背中の大きさに今更ながら驚いた。
「何故ぼくだと?」
「愚問だな。この領土争いでまだ生き残ってるのはお前らのところだろう。他はもう大して戦力もない。放っておけば、そのうち勝手に自滅する」
 円が動いていることと大方どの辺りに行ったのかは、立ち寄ったバーからの情報のようだった。
「……あの人だけじゃなかったんですか」
「そりゃあ、な。オレらのファミリーはな、お前らとは違って個々の繋がりが強いんだよ。だから誰かが死ねば、その報復に大勢の奴が動く。残念だったな、オレらじゃなければお前もこうなることはなかっただろうがな。残念だったなぁ、お前もここまでらしい」
 撫子から円の顔は直接見えないから断定はできないが、円はきっと不敵に笑みを浮かべている。何故そんなに余裕があるのだろう。もう他に手はないはずなのに。いうなればそう、絶体絶命なのに。
「それはどうでしょうか。後ろ、見たらどうですか」
 その言葉が気になった撫子は円の背中から顔を出す。
「形成逆転ですね。レインさん、遅いですよ」
「そんなこと言われたって僕も困りますよー。これでも急いで来たんですから文句言わないでくださいよー」
 多勢に無勢とはこのこと。そこには円の仲間と思われる小さな青年が、数十人の男を引き連れて佇んでいた。




 って言うような寸劇考えたんだけどどう思いますかね?と言った円に、私は呆れたような眼差しを向けるしかない。いきなりそんなこと考えてどうしたんだろうと思えば、仕事なんですと円は言った。心なしか、げっそりとしているように見えた。
「知りませんよ。どうせまたキングのどうでもいい催しですよ。あなたを喜ばせるための、って名目で好き勝手やってるんでほんと、いい迷惑です。……あなたからキングに言ってやってくださいよ。こんな馬鹿げたことはやめろって。あなたからならキングも少しは聞くでしょうし」
「残念だけど円、私が鷹斗のこういった催しを止められたことがあったかしら」
「……ないですね」
 諦めたほうがきっと良いわよ、と伝えればため息をついた。
「で、どうです?」
「円にはこういう才能がないってことはよく分かったわ」
「そんなことくらい、ぼくにも分かります。仕事じゃなきゃこんなことしません。こういうことならよっぽどレインさんの方が向いてるでしょ。あの人、頭とかファンタジーの世界に生きてそうですし」
 あの髪のあたり?という言葉言わなかったが、それは確かに否定できなかった。
「……あなたって案外苦労してるのね」






title by水葬様
キングからの命令ですって円に言わせれば何でもいいと思ってるのがまるわかりですね!あとなんでこんな長くなってしまったのか。
お前ら君と壊れた世界を生きるAVGしろよ!



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