泣いたのは誰のせいで レイ撫(企画)
少しだけ、淋しい。 ここには淋しいわと愚痴をこぼせる家政婦さんもいなければ、頻繁に会うことはできないけれど無償の愛をくれる両親も、そして何より自分の知る彼らはいない。 どうしてだろう、とかなんでだろう、とか。 考えれば考えるほど深みにはまっていく。さながらそれはぐずぐずに溶けている苺を更に鍋で煮続けるような。ぐるぐるかき混ぜて、原形が分からないのにまだ煮続ける。 甘いのに。甘いから、吐き気を催すほど密な匂いが立ちこめる。 少し、気持ち悪い。香りに酔ったみたいな感覚。この世界のあり方に疑問を持たない彼らと、それからこの異常に馴染み始めている自分と両方に。どうにも腹が立つ。 こんなところにずっといたら、どうにかなってしまいそうだ。 それでも、私にはここから逃れる術はない。私のプライベートエリアとも呼べるこの一部屋。ここだけが、今私が信用できるスペースだ。もっとも、レインをはじめとして円や鷹斗も時折ここを覗きに来るから、本当の意味でのプライベートエリアはないのだろうけれど。 自分の正体は、近似値の世界ではあるけれど、あなたの知る英円の十年後なんですよと言われた。それを聞いて以降ふとした瞬間に、円や鷹斗の面影を見つけてしまう時がある。なんだかんだ非情になりきれないところとか、じっとものを見つめる癖とか。 そうやって、元の世界へ繋がる糸を見つけては泣きそうになる。もしかしたら。この糸を辿れば戻れるんじゃないのかと。そう思ってしまう。 だって仕方ないじゃない。冷めていた私の世界は、温もりをくれる家族と、それから色を与えてくれたCZの課題メンバーだけで構成されているのだから。 「静か。で、こんなにも静かだとちょっと嫌になるわね」 ため息をひとつ。さっきまで賑やかなところにいたから尚更そう感じるのだろう。 毎度のように顔を合わせれば「お茶会しない?」。断る方が面倒だと気がついて以来、毎回お茶会(という名の鷹斗が私を眺めながらお喋りする時間)に参加せざるを得なくなっている。しかし、同時に危惧しているのはこれ以上心を寄せてほだされてしまうこと。彼らに親しみを感じてしまえば、反感感情を持てなくなってしまう。 彼らを知りたい気持ちと、これ以上知ってはいけないという気持ちと。もうどうすれば良いのかさえ分からなくなってくる。 こういうとき、この訳の分からない感情を涙にして外に押し出してしまえれば楽なのに、そうもいかない。泣くと負けてしまったような気がするから。泣いて気持ちに整理をつけてしまえばきっとこの世界を肯定し、前向きに生きようとしてしまうから。 「撫子君いますよねー」 入りますねすら言わずレインが勝手に部屋に入ってくる。勝手知ったる、という感じ。いや実際知っているのだろうけど。 「どうしたの? 検査の時間じゃないわよね」 「これ、忘れ物ですー」 「鷹斗じゃないのね。珍しい」 「ええ、仕事が溜まってるから勘弁してくれってビショップに泣き付かれてましたから。それにちょっと早いですけどついでに検査もしちゃおうかなーとも思いますし」 そう言って手渡されたのはうさぎのレイン。元の世界では色々な意味でお世話になったなぁと思う。これがここに来てしまった元凶ではあるけれど、どうにも放っておく気にはなれないから受け取りはしたけれど。 「……別にもう必要ないと思うけど」 「そうなんですけどねー。ま、一応キングがあなたにあげたものですから。あなたが持ってるほうが良いと思いますし」 「そう」 「安心してください、もうこれで何かを企んでるって訳じゃないんで」 これも考えようによっては元の世界と繋がる欠片の一つではあるのだ。今ならそこに温度があるような気がして。ウサギのレインをそっと胸元に引き寄せた。 「おやおや元の世界のことでも思い出してるんですかー?」 「……悪いかしら」 「いえー。もしそれが悪いことであったとしても、僕には止める術がありませんから」 手に持つ機械をタッチしながら答える。そうは言うけれど、まるで思い出すことを推奨しているような口ぶりだ。掴めそうで掴めない。勝手に近寄ってくる癖に、こっちが近寄ろうとすると逃げていく。本当に訳が分からない人。 背もたれを抱えるようにしてレインは椅子に座った。 想いの断片をレインになら見せても良いだろうかとは思わなかった。けれど、一人でいるのが寂しいと思ってしまったから。無性に人恋しくなったから。さっきまではほだされないと決めていたのに、そんな思いは簡単に揺らぐ。 「ねぇレイン」 「はいはい何ですかー」 「ちょっとお喋りしない?」 「珍しいですねー。僕に話すってことは大方キングに言えないことですかー?」 レインは楽しそうに笑って、興味深そうに――実験対象を見るように私を見つめた。 「別にそんなことないわよ、多分。今たまたまここにいるのがレインだからってだけ」 「誰でも良かったってことですねー。まぁ良いですけど、そろそろ時間なんで検査しながらでも良いですかね」 「ええ」 ベッドに腰掛けてレインに言う。検査の為になにやら器具をがしゃがしゃといじっていたが、気にしない。 「今まで円とか鷹斗は、なんで十年間でこんな風になっちゃったんだろうってずっと思ってたの。中身は違うし、レインはびっくりするかもしれないけど、円にいたっては外見も全然違うのよ」 「知ってますよー。見たことありますから」 「なら、笑っちゃうでしょ?」 「あんな純真そうな子がどうしてこうなっちゃったんだ、って感じですよねー。本人は不本意らしいですけど」 楽しそうに言うから、それにつられて私も思わず笑ってしまう。 「だけどもしかしたら。私が知らないだけで、私に知ってるみんなも十年したらあんな風になるのかなって。そう考えたら、おかしいのは成長してしまった彼らじゃなくて、変わらない私なのね」 「おやおや。ついこの間までは私の知るあなたじゃないって全否定してたらしいですけど。随分な成長ですね。なんの心境の変化ですか」 「……その話、円から聞いたの」 「違いますよー。歩いてたらたまたま聞こえただけで」 レインはぷーっと頬を膨らませた。そんな幼いこと、私でもやらないって言うのに、どう見ても年上のレインがやって違和感を感じないのは一体どういうことなのだろうか。童顔だから、なんてレベルではない。 「まず間違いなくそれはないわね。まぁ良いけど。だから、元の世界とここは近似値だから、元の世界のみんなが成長したら、あんな風になるのかも知れないってことなのかなって。その人が、その人であるために生を受けたんだもの。本人とか他人がなんて言ってもそうそう変わらないはずよ」 「……」 「そう考えると記憶を共有してるかはまた別の話だけど、やっぱりみんなはみんななのよ。円も、鷹斗も。根本的なところはきっと変わってないの。きっと、レインもね」 「……そんな考え方もあるんですね」 機械をいじっていたレインの手はいつの間にか止まっていた。その目にあるのは興味とはまた違った感情のようだった。 「円とか鷹斗とか、あとトラもかしら。この世界のときも元の世界のときも知ってるけど、レインはこの世界しか知らないじゃない?」 「そう、ですね」 「元の世界のレインを知りたかったなって最近思うの。あと、ここじゃない世界ではあなたに会えれば良かったのにって。レインって、案外面倒見が良いから良いお兄ちゃんになってたかも知れないのね。ちょっと残念」 どう、ですかね。世の中結構世知辛いですから。そう簡単にはいきませんよ、きっと。 聞きたくないもの聞いてしまったようにも、見たくなかったものを見てしまったようにも見える。癒えない傷をそっと撫でるように。確かな痛みを伴うような顔をして。溢れそうな何かを押さえ込むように、口角を上げた。そんな無理して笑わないでも良いのに。 実際には涙なんて見えないけれど、私にはレインが泣きたいように見えて。掛ける言葉は見つからないから、咄嗟にレインの頭を撫でた。 いつもならどういうことですか、とか子ども扱いですか、なんて冗談めかしに言うだろうに、それすらも無くて調子が狂う。 「キングがあなたに執着するのがちょっと分かった気がします」 「もう勘弁して欲しいわ」 掌に移るレインの温度があったかくて、どうしようもなく泣きたくなる。だけど、泣いては駄目だ。この世界のことには心を揺らさないって決めたから。クイーンにはならないのだから。 「君はなに泣きそうな顔してるんですか」 「そんなことないわよ。気のせいでしょ。大体なんで私が泣かなくちゃいけないの」 「……君がそう言うならそういうことにしといてあげます」 だから、やめないで下さい。 そう言うレインの声が弱々しかったから、私はその手を離せない。そういえば、レインのことをあまり知らないのだと唐突に思った。
120811 泣いたのは誰のせいで様に提出させていただきましたレイ撫です 主催者様、素敵な企画をありがとうございます!
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