砂粒よりも多くの 円撫



 にやりと笑って、相手してほしーんですか?なんて言うのはいつものことで、恥ずかしがりながら別にそんなんじゃないわ、と撫子が答えるのがいつものことだった。恥ずかしがるのは、じゃあ少しだけといったときに、円が撫子の相手をするのに言葉に通り「少しだけ」になったことはないからである。では「少し」の代わりに何が行われていたのかと言えばその辺りは押して知るべし。
 そんなやりとりが何度あったことか。流石に片手で数えることが出来なくなった辺りから撫子も学習する。これは、この話になったところで既に円のペースになっているということを。
 普段ならば少しだけ、だとか寂しくないことも無いわ、だとか、円にとって色良い返事があるはずだ。しかし、人間にはどうにも機嫌の悪いときがあるもので。
「別に。私も忙しいからそんな時間ないの」
 暗に、もう話しかけるなとでも言うように撫子は正面にいる円に返す。拒絶するような響きを敏感に感じ取った円は、撫子がこんなにきっぱりと拒否するのはそうないことだと思いながらも拒否されたこと自体は面白くない、と眉をしかめた。
 表情には出さないけれど寧ろ面白くないのは撫子の方だった。
 円は年下なのに、いつでもそんなことは既に予想していたとでも言うように余裕たっぷりだ。更に元々の質も手伝って、そう頻繁に表情を変えることはない。だから、珍しいこともあって自分は余裕のない円を見るのが好きなのかも知れないと撫子は感じていた。
 円の怒りではない、真っ直ぐな苛立ちを感じた表情はそんなに嫌いではない。怒りに関してはその不満の矛先は撫子自身に向かって来ることもあるから出来れば避けたい、と思うけれど苛立ちに関しては身体の中を巡るなんとも言えぬ感情の波を必死に押し殺しているのが分かる。円をそうさせているのが撫子自身であるというのが分かるから尚更である。
 そして不機嫌な円には近寄りたくないとみんながみんな口を揃えて言うけれど、撫子自身は嫌いではなく、円が撫子の怒った顔が好きらしいのでおあいこだとすら感じていた。円も悪趣味だ、と思うけれど、それならば撫子も十分悪趣味だ。
けれど、今日ばかりはいくら円が不機嫌であっても、それ以上に撫子自身が不機嫌であった。
「言いたいことがあれば言えばいーんじゃないんですか」
「別に円に言いたいことなんて何も無いわ」
 円の膝の上には一匹の白猫。居心地よさそうに円の膝で寛ぐこの存在こそが、撫子が不機嫌な理由であった。


 ことの始まりは円が情報収集だとかで外に行き、帰って来たらこの猫を連れて来たところからだ。
 因みに、あの撫子が央に感情を露にした一件以来、円も少し考え直したらしく――「鷹斗と何も変わらない」の一言が効いたらしい――撫子は外出できるようになった。と言っても、やはりいい顔はされないが。それでも、あれはいいガス抜きになったらしく、不思議と円も撫子も雰囲気を和やかになった。そんな訳で、今回撫子が隠れ家に残っているのは自らの意思である。
 撫子はいつものように隠れ家で調査したことを簡単に纏めたりと自分のやるべきことをしていると、ふらりと円が帰って来た。
 曰く、今日は珍しいものが見られると思いますよ、と。
 腕には自身の髪と同じような白を抱えていた。



 犬が苦手――本人に言わせれば得意じゃないだけ、なのかも知れないが兎に角親しみを覚える対象ではないのは確かで。生き物とは不思議なもので、自分が相手を好けば、相手もそれを感じ取ってこちらに好意を抱くらしい。犬が苦手だからイコールで猫が好き、という訳ではないだろうが、円は猫とは相性が良いらしい。こうしてこの家に付いてきてしまう程度には。
「あら、猫……珍しいわね」
 この世界においては、管理されている動物はまだしも、野生の動物は珍しい。それが真っ白な子猫とあって、尚更だった。
「ええ。帰ろうと思って歩いてたら着いてきてましてね。近くに親猫もいなくてはぐれてしまったんじゃないですかね」
「円を親だと思っているのかしら」
 撫子がそう言うと、円は細い目をなおいっそう細めた。不機嫌にも見えるがこの表情は、まんざらでもない顔だということを知っている。
「まぁここまで懐くなら可愛いですからね」
 素直じゃない誰かさんと違って、と呟いた円の声は撫子の耳に届いていたようで、撫子は素直じゃなくて悪かったわねと心の中で言う。けれど素直じゃないのは円の方だ、と内心思う。口に出さなかったのは、出してしまえば何となく円の思うがままな気がして、癪に障るからだ。
「珍しいのもあるのかも知れないけど本当に可愛いのね。それに大人しいわ」
 ちょっと抱いてもいいかと円に問えば、多分無理ですよと返ってくる。駄目、ではなく無理とはどういうことだろうか。それでも、まぁいいですけど、と円は撫子に猫を近づける。
 撫子は手にしていたペンを机に置くと円に向かって手を伸ばした。
 人間で言う脇の部分に手を突っ込んで相手に渡すのが一般的なのだろうが、そうするとびろんと縦に伸びる。堪えきれずに撫子はくすりと笑った。
「この状態の猫って、なんか不思議よね。着ぐるみを着てるみたいで可愛いっていうよりもちょっと間抜けな感じ」
「そうですね。足が地に付いてないから大人しいんですよ」
 ぷらんぷらんと腕を前後に振ってやれば、ワンテンポ遅れて猫の足がその軌跡を辿る。そのなんでもないことがどうしようもなく面白かった。
「どうぞ」
 円の手から離れた猫は撫子の腕の中でごそごそと動き、しっくりくる体制を探していたようだが上手に見つけられなかったらしく、次の瞬間には居心地悪い小さな腕を飛び出して白いモフモフしたコートにダイブするも、重力に従って円の足元に落ちる。どうやら、ふわふわとしたコートが気に入ったらしい。
「ほら」
 言ったとおりでしょ?と円は満足気に笑う。
「……狡いわ。円にはほんとになついているのね」
「ええ。どうやらそうみたいですね。」
 円は足元に纏わりつく猫を抱き上げながらそう言った。どことなく嬉しそうに見えた
触り心地が良いのだろう。円は真っ白な毛の中に指を埋めると、触られている方も気持ち良いのかごろごろと機嫌よさそうに鳴いていた。
「ほんと、触ってて気持ちいーですね。猫は犬に比べて気まぐれって言いますけど、ここまで従順なのは珍しい」
 円は品定めするように目を細めていた。よく撫子に向かってする目。
 それが撫子には何となく面白くない。あんなに無造作に触らせてもらえる円が狡い。けれどこればかりは円に何かを言ったところで解決する訳でもなし。私も触りたかったなぁ、という呟きは声にならないで消える。彼は触らせてくれないようだし、まだやることも残っている。
 ベッドに腰掛け、すっかりくつろぎ体制に入った円を尻目に撫子はするべきことの続きをするのであった。


 ふう、と首を傾けて固まった筋肉をほぐしながら撫子は一息付く。お茶でも淹れようかと思っていると、ふと猫はどうなったのか気になった。円を見ると、探した白の塊はここは自分のものだとでも言うように円の膝の上を陣取っている。猫は警戒心の強い生き物らしいが、こんなに無防備でいいのだろうかと撫子が思うのも当然のことで、お腹を向けて熟睡しているのだった。気持ちよさそうにしていて少しだけ羨ましい。確かに、円の膝は案外寝心地が良いけれど。何となく、狡いと思う。
 そこでふと我にかえる。
 ――羨ましいって、何が? 無防備な姿を間近で見られる円が? それとも円の膝で寝られる猫が?
 浮かんだ疑問を一瞬で打ち消す。今、自分が思ったのは、明らかに円ではなく猫が狡いということ。どうしてそんなことを思ったのだろうかと原因を考えれば、それは円が好きで仕方ないからだという結論に至った。だけど、きっと、そんなことは多分ない。
好意を抱いていることを否定する訳ではないけれど、こんな些細なことで感情が揺れ動いてしまう程ではない。円は自分に対して何でもないようにみえるのに、自分だけが心動かされているのが何となく悔しい。
 感情の湖に放り投げた小石は大きな波紋を生み出す。放り込んだ方も予想しなかった程のものを。
 その波に名前を付けるのならば、動揺。
「さっきから何なんです。ぼくを見たりこの子を見たり。面白い顔してますよ」
 寝ていると思っていた円は目を瞑っていただけのようだった。その瞳はささくれだった撫子の気持ちを見透かしているようで、更に苛立つ。
 ――私がこんなに機嫌が悪いのは円が原因なのに、円はきっと分かってない。
「円ばっかりずるいわ。それにその言い方だと私の顔が面白いみたいじゃない。この顔は生まれつきよ」
「別にぼくはそんなことは言ってません。百面相してて面白いなと思っただけですよ」
 責められているのかと思ってかみついてしまったが、そんなことはなかったらしい。しかし、撫子の動揺が円に露呈する。
「……そんなに変だったかしら」
「ええ。何をそんなにむきになっているのか知りませんけど相当面白かったですよ。ぼくがあなたの顔見てるのに気がつかないし。その時の顔、鏡持ってきて見せてあげたいくらいでしたよ」
 円のにやりとした表情は意味深で、何を考えているか分からない。逆にいえば、色々なことを考えているようで。二つの紫水晶は何でも見えて、撫子は自身の思考を読まれているようにさえ感じた。
「見てたの?」
「ええ。ぼくのことなんて目もくれずにいとおしそうに猫を見る撫子さんをずっと見てました」
 それなのに全然気がつかないし、と円は心の中で思う。
 ――こんな言い方をする円は意地悪だ。
 日常的に円が優しい訳ではないけれど、こんなにも悪意が見えることはそう多くはない。
 いつもなら円もこのように、毛を逆立てている猫のような撫子には面白半分であえて触れに行くこともあるのだが、この時に限っては何となく意地悪を言ってみたくなったのだ。それもただの気まぐれだ。わざと撫子を暴くような言い方をしたのも。
悪意がある言い方をすれば、当然撫子もわかる。
「鏡? 持ってこれるなら持ってきてみればいいじゃない。膝に猫がいるなら無理でしょう?」
「そうですね、無理です。でも別にいーです。その時の顔はばっちり見ましたし、何よりこの子の眠りを妨げてまではいいですし」
 どちらかが口を開くたびに、糸を撚るように空気が細く、ぴんと張っていくのか肌で分かる。初めはいつものやり取りのように冗談まじりだったのに、それが変わったのは自分が意地を張ってしまったところからだ。意地をはっているからいけないのだと円も撫子も頭では分かっている。けれど、素直にはなれないのだ。
「そんなにその子が大切な訳?」
「ええ、そりゃ可愛いものは好きですし。それより何です? 今日はやけに突っかかってくるじゃないですか。この子にばっかり集中してるから気にかかるんですか」
「論点をすり替えないで」
 まるで売り言葉に買い言葉で、口だけがどんどん加速してゆく。気持ちは置いてけぼりだ。
「べつにすり替えてるつもりはありませんよ。そんなにぼくのことが気になるんですか。そうならそうときちんと言った方がいーですよ」
「そんな訳ないじゃないし、素直になれなんて円にこそ言われたくないわ」
「今日撫子さんが機嫌悪いのもこの子のせいですよね? 嫉妬ですか」
「何いってるのよ。自惚れないで」
 そう言った撫子ではあったが、円の言葉の一部がざらりと引っかかった。
 ――これが嫉妬、というものなのかしら。
 円は素直ではないし独占欲が丸出しだけれども瞳はいつも撫子のことを追いかけていたから、その瞳が他のものを移していて狡いと感じることはなかった。だから、こんな気持ちになるのは始めてで、一体なんなのか分からない。
 嫉妬、なんて感情、言葉では理解しているけれど、実際に抱いたことはない。もしかしてと思って、一度は否定したことだが、改めて円の口からそう言われると、飲み込めてしまう。認めたくないけれど、そうなのかも知れない。
 ぼくは嫉妬深いんです、といつだったか円は言っていた。撫子は自分の性格が一般的に「冷めている」から、そこまで入れこまないだろうと頭では思っていたのだ。
 けれど、これはもう言い訳出来ない。
 円に抱いていた不思議な感情に、名前がつく。猫に嫉妬してるなんて、そんな馬鹿なことがあるだろうかと思うけれど、狡いと思ったのは紛れもない事実だ。言葉は偽ることが出来ても、心の動きまでは偽ることが出来ない。
 もう、これはどうしようもなく、しょうがないことなのだ。
「それなら、仕方ないのね」
「は?」
「なんか……もうどうでも良くなっちゃったわ」
 円にしてみれば面白くない顔だが、ある種すっきりとした表情で撫子はあっけらかんと言い放つ。
「一体なんなんです。何がいいんです。言ってくれなきゃ分かりません」
「円相手に意地張っててもしょうがないんだって、そう思ったのよ」
「何があって、その結論に行き着いたんですか」
「別に何もないわよ。それに私の中でもう完結したから良いわ。強いて言うなら、負けな気がしてただけ」
「負け? 一体あなた何と戦ってるんですか」
 話の筋が読めないながらも、円は撫子の言っていることをなんとか理解しようと問いかける。
「何って……言葉には出来ないけど。それでも言葉にするなら多分円にだわ」
「ぼくと?」
 円としては別段撫子と戦っているつもりはないから驚いたように言った。
「ちょ、ちょっと待ってください。話が読めません」
 たまには素直になってみるのもいいだろう、とため息を一つ付いてから撫子は円にぽつりぽつりと零す。そして全てを聞いてから、円は一言、呆れたように言った。
「ほんと、あなたはぼくの思いも寄らないところでぐちぐちしてるんですね」
「そうね。自分でもこんなに女々しい奴だったなんて思ってもみなかったわ。もっと冷静で、冷めてると思ってたのに」
「まぁ、あなたをそういうふうにしたのがぼくだとしたらそれは面白いですね」
 やっぱり円は悪趣味だ、と思う。
「なんだか嫌な奴の台詞に聞こえるわ」
「素直になるんじゃなかったんですか?」
「素直に言ったわ」
 わざとらしく言う円はやっぱりいつも通りで。普段と何ら変わりない。
「それに別に、これから素直になるっていう宣言だった訳じゃないもの」
「だから意地っ張りって言われるんですよ」
 円の言葉に、否定出来るところが見つからない。もう、と嘆息すると円は楽しそうにしていた。
「ほら、そんなに気にかかるならどーぞ。来ればいーじゃないですか」
 膝に載せていた猫を無理矢理起こしスペースをつくる。ははんと笑って円は撫子に手を伸ばした。
「その子の眠りを妨げないんじゃなかったの」
「気分が変わりました」
 伸ばされた手を撫子はまじまじと見る。この手を取るのがどうにも癪に触る、と思うからきっといけないのだ。取らないという選択肢は無いし、最後はきっとこの手を取るのだろう。しかし、最初の一歩を踏み出すことが出来ない。
 どうしようと思っていると強引に手をひかれる。バランスを崩した撫子は先ほどの猫宜しく、円の元にダイブすることになった。
「……あれほど可愛がってた猫はもういいの?」
 結局、円は撫子のことを理解して、強引に背を押して受け止めてくれる。だから、力を抜いて円に身をあずけられる。
「ええ、別に僕は可愛いだけのものが好みじゃないですし。いつもは頑固で意地っ張りなのにたまに素直になったりしてぼくを楽しませてくれるものが好みなようで」
「そう。でもたまには円も素直になってみたら?」
 撫子がそう問えば、あなたが素直になったら考えて上げてもいいですと答えた。
「それならきっと一生素直にならないわね」
 ぼくが面白ければそれでいいです。そう答えた円は、どことなく、先ほどまでの猫に似ていた。考えてみれば、気まぐれで知っている人以外には警戒心が強いのは、円もだった。きっと、あの猫が異様なまでに円に懐いていたのは、ひとえに自分の仲間だと思っていたからかも知れない、と何となく思った。
「あなたは素直じゃないのではなく、ひねくれてるんですね」
「それはお互い様よ」
 ふたりしてくすりと笑う。強引に起こされた上に居場所を失った白猫は二人を尻目に退室した。






ラヴコレの無配冊子の中の話のその2



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