盤を引っくり返す 円撫
この時代のキングのもとを去ってから数ヶ月。円と撫子、そして央はいまだ弛まないキングの捜索の手をかいくぐって各地を点々としていた。円と央のおかげか、今のところ見付からずにすんでいる。とは言ってもキングが本気で、それこそ手段を選ばずに草の根を分けてでも撫子を捜索しているのであれば、恐らくもう見つかっているだろう。いくら識別コードがないと言ってもこの時代を作り上げ、支配している政府の科学力は、キングの科学力なのだから。実際、識別コードを持たない央のことを、キングは見つけていた。
央を探すという、ただそれだけのために政府に居続けた円にはこんな残酷なことを伝えられる訳もなく。撫子の心に留めていたのだが、何となく分かっていたらしい。 キングの元を去ったというのに、いまだ自由に外に出ることはおろか、寧ろ円の許可がなければ外に出られない――円はキングを恐れているからか、そう簡単には許可を出さない――ので、文字通り撫子は囚われのお姫さまだった。 これじゃ、キングのところにいたときと変わらないわ、と言う言葉を何度押し殺しただろうか。今でも時折嘔吐感のようにせり上がってくる。その度に必死になって飲み込むのだ。 キングは自分のことをもう諦めたのだと、撫子は何度も円に伝えていたが、円はそんなことはないと言い張っていた。曰く、何年ぼくがあの人の元で働いてたと思うんですか。彼のことはぼくの方が理解しています。 働いていたのは実際その通りな訳で、撫子には返す言葉もない。たまには外に出ないと気が滅入るだとか何とか理由をつけて円から奪い取った条件は、もし外出するなら必ず円が一緒であることだった。常に自分の目の届くところにいれば安心らしい。 撫子をこの世界に連れてきて、留まるように計らってくれたのも円。最終的に選択したのは撫子自身だが、選択肢を出すところまでをしてくれたのは円だ。だから央も撫子のことについては口を挟まなかった。
いつものように央の作った朝食を食べる。 撫子は、せめてこれくらいはやらせて欲しいと頼んだのだが、こればかりは絶対に駄目と央が譲らなかったのだ。元の世界で、将来は料理人になりたいと言っていたほどのことはあり、実際央の作るものは美味しい。同じ食材、同じ調理方法でも、きっと自分が作ったものと央が作ったものでは味が違って、こんなに美味しくならないだろうと撫子は感じていた。いつだったか、ただ作るんじゃなくて食べてくれる人のことを考えてるんだよ、と央は言っていた。だからなのかも知れない。 手を合わせていただきます、央にはいつもありがとう。それが習慣になりつつあった。 「ねぇ円。外に出たいんだけど」 いつものように撫子は円に零す。 「駄目です。いつキングに見つかるか分かりません」 「それは円も同じよ。鷹斗は私だけじゃなくて円も探してるのよ」 「駄目です」 「……」 いつもならばここでしょうがない、と諦める撫子だったが、この日は違った。 「それでも私は二人のために何かしたいの。何もしないっていうのは性に合わないわ」 「迷惑です」 「……でも、私は何もしないのは嫌なの」 「だからそれが迷惑っていってるんです。あなたは何もしなくていーんです」 その後も撫子はだって、とかでも、とか円に反論しようと口を開くが、言葉になる前に溶けるように消える。「迷惑」という言葉の前には全てが無力な気がした。 ――でもそれじゃあ私の居場所がなくなっちゃうみたいで。 それでも円はなお言葉を続けるものだから、泣きそうだと思う前に視界がぼやける。 「円」 濁った場の空気を変えたのはいつになく険しい顔をしていた央だった。 「円。言い過ぎ。女の子にそんなこと言ってると嫌われちゃうよ」 「別に良いです」 「別に良いってことないでしょう」 ――円にとって私は「別に良い」ですませられる程なんだ。 その言葉がトドメだった。膨らみすぎた風船に、細い針が刺さる。風船は大きな音を立てて割れた。 「そうやって私を外に出さないのも鷹斗のことを必要以上に恐れてるからよ! だけど今、円が私に強いていることは鷹斗と何も変わらないわ! 本人の意思なんて全て無視で。全部自分が正しいと思って! 勝手すぎるわ! いいかげんにして」 「……」 「もういいわ! しばらく一人にさせて」 未だテーブルの上に残る央が作ってくれたご飯があった。撫子はせっかく作ってくれたのにごめんなさいと伝えようとしたけれど、今口を開けばまだ言い足りないことも言ってしまうような気がしたから何も言わなかった。 泣き顔を見られなくて良かったと思ったが、部屋を出る前に見た円は、置いて行かれた子どものような顔をしていた。
それじゃあ行ってくるから留守番よろしくね、と央は円と連れだって情報収集のために外出する。あの後、央も円も撫子の言った通り気持ちが落ち着くまでそっとしておいてくれた。 しばらく一人にしてくれと言ったのだから追ってこないのは当然のことだが、心のどこかで追って来て欲しい思う撫子もいて。 ――あんなに冷たくあしらわれたのにどこかでまだ円に期待してる。 円はやると決めたらどんなことでもやる人間だということをよく知っているではないか。自分の女々しい気持ちを消してしまいたくなった。 「ええ。いってらっしゃい。ここで待ってるわ」 撫子も、本当のことを言えば円と央について行きたかった。只でさえお荷物になっているのだからそういうところで少しでも力になりたかったというのは些か言い過ぎだが、兎に角足手まといとは思われたくなかった。 というのは建前で、本当はそんなことをいって円と央に迷惑をかけたくないのが一番の理由だった。彼らに聞き分けのない人だと思われることが嫌だった。 それも先ほどまでのことであって、円に言いたいことをぶちまけてしまった今となっては、全てがどうでも良かったが。 しかし一度見送ったはずの央が再びドアを開ける。 「あー円、先に行っててくれる? 忘れ物しちゃったっぽい」 「大丈夫ですか。先に行ってますので早く来てくださいね」 「うん、見つけたらすぐ行くね」 玄関先での会話が撫子の耳にも入る。何か目に見える忘れ物をしただろうか。ぱっと見、何も足りないものはないから、話し合いで使う書類でも忘れたのかと考える。 しかし央は撫子に向かってまっすぐ歩いてくる。 「あら? 央、何を忘れたの?」 「撫子ちゃん。いつもいつもほんとにごめんね」 「央……?」 「僕はいつでも連れて行ってあげたいんだけど」 円がね、と続けた央は苦笑していた。 「ねえ、ほんとに円のこと嫌いになっちゃった? もう一緒にいたくないってくらい嫌? もしそうなら、僕らと別れて暮らすこともできるよ? 選んで良いんだよ、撫子ちゃんは」 「ちょっ、ちょっと待って央」 矢継ぎ早にされる問いに、撫子は頭が真っ白になる。真剣なものが見え隠れする央の瞳が見えて、今思ったよりも重大な岐路に立たせれているのかも知れないと感じた。 「いいよ、ゆっくりでいいから。焦らないでもいいからしっかり考えて答えて」 そう撫子に問いかける央は温かくて、今更ながら彼は円のお兄ちゃんなのだと実感する。 「嫌いになんかなれる訳がないわ。寧ろなれたら楽なのに、でも喧嘩しても、意地悪なことをされても、私はきっと。円のことが嫌いにはなれないわ」 そっか、とどことなく安堵したようにも見える央は撫子の頭に手を置き、くしゃりとなでた。その体温が暖かくて、自然とぬくい水がこぼれ落ちる。 「円も意地っ張りだからね。まぁ、撫子ちゃんもちょっと意思が強いけどね」 央はくすりと笑った。ほんの少し口角を上げて笑うところは、円に似ていた。 ――ほら、こうやって円に似たところを無意識に探してる。やっぱり嫌いになんてなれないのね。 「でも円もここまで来たから、もう引けないんだよ。きっと。我弟ながら駄目な奴だよね」 「そうね。それも知ってる」 円の良いところも、悪いところも。撫子は知っている。 円のことを、自分が正しいと思っていて、勝手だと言ったが、実のところ自己中心的な人物であるどころか、機微には敏感な人物であろう。しかしながら、相手のことを分かってないように振る舞うのは、ある種自己を独立させるための行為の一つなのだ。円が円であるためのことのひとつなのだ。 「本当に仕方ないなって思うけど、それも含めてやっぱり円なのよね。そう思ったら、何だか意地をはってたのが馬鹿みたいだわ。円はそうやって二十年ちょっとを生きてきて、私は……ちょっと特殊な事情があるけど、円ほど長くは生きていないのは確かね。だから今更円に生き方を変えろ、なんて言うのは無理な話なのね」 「撫子ちゃんは強いね」 ま、不肖の弟ですが宜しくお願いしますね、と央は撫子に言う。 その台詞を見計らったかのようにタイミングよくドアが開く。 「央。遅いです。忘れ物は何ですか。ぼくも探します」 そこにいたのは待ちきれなかったのか、しかめっ面をした円で。そんな円を見て央と撫子はふっと笑い出す。何で二人が笑っているのか分からず、ただそこに立ち尽くす円がいた。 「忘れ物? もう大丈夫。ちゃんととってきたから」 頬にうっすらと涙のあとを残しながらも、撫子は笑いながら答えた。 「宜しくお願いされました」
120624のラヴコレで配付させていただいた冊子に乗せたお話その1
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