扉の向こう側の世界




その噂はある都市でまことしやかに囁かれていた。どこから出たのか分からないが、ある日ぽっと出た噂は急激に広まったのではなくて、まるで水のように緩やかに緩やかに人々の間に浸透していった。
いまや噂は、都市伝説と言って良いほどの規模で、年代も性別に隔たりが無く皆が知っているものだ。

どんな悩み事も聞いてもらえるだけで楽になる相談屋がある。
噂はそう言うものだった。



私、橋本理香十七歳は世間一般では今をときめく花の女子高生と言う部類だ。その噂を聞いたのは少し前、と言っても一週間程前のことだった。
恐るべき情報網を多方面に持つ女子高生としては遅いくらいだろうと思う。その情報はいつものように三人で昼を食べているとき、もたらされた。

「昨日本屋行って雑誌読んでたけど風間のこと載ってたよ」
「風間!?どんなこと言ってた?」
「なんかね、風間相談屋に相談したんだって」

私はふーん、風間が、ね…とぼそりと呟いた。
風間とは今女子中高生に大人気の歌手である。歌も当然のことながら良いのだが、顔も良い。おまけに頭の回転も速くバラエティーにもよく出ている。さらに次のクールからはドラマにも出演すると言う。国民的アイドルで、今や風間を知らない人はいないであろう、そんな人物である。

「本当!?」
「そりゃね。こんなとこで嘘なんてついたってしょうがないじゃん」
「でも風間何相談したんだろうね」
「気になるよね」

相談屋は客に相談された内容を漏らすことはない。それはどうも個人情報になるらしい。客、つまるところ相談した側に相談屋に関しての守秘義務は無い。けれども誰も相談屋に関して何も言わない。
けれども誰かが相談屋に相談したと言う事実が広まり、いつしか気持ちが楽になると言う噂だけが独り歩きしている。
実際のところ、相談屋の細かいところは相談した人しか知らないのである。
相談が男なのか女なのか、歳はどのくらいなのか、一人なのか複数なのか。
それさえも分からない。でも別にどうでもよかった。別段興味も湧かないから。
彼女達の話はまだ続いていた。

「風間本当に気になるよね!!理香は何相談したんだと思う?」

当然話をふられて話半分に聞いていたため、曖昧にごまかす。

「ん、何だろうね、気になるよね」

そう返せば適当だったのがいけなかったのだろう、途端友人の纏う空気が重く暗くなり、気を悪くし
たことがありありと分かった。
正直に面倒だと思った。その空気を変えようとか思わなかったし何も言わなかったけれど。
彼女達はあきもせずに話を続けている。よくもまぁそんな同じことをやっていられるものだと羨みと尊敬、そして呆れ入り混じった視線を向ける。
そして私はその空気に耐え切れず、と言うよりもその場にいることが嫌になったので食事中申し訳無いけどちょっとトイレ行ってくるわ、と席を立った。

教室を出るときにふと振り返って彼女達を見れば相変わらず楽しそうに談笑し、何がそんなに面白いのか分からないが手を叩いて大笑いしていた。
教室を出て、トイレではなく屋上に向かう。
誰もいないところを、一人でいられるところを目指して。

今日も、世界は晴れているのに薄暗い。



別に人が嫌いな訳じゃない。あの友達が嫌いでもないけれど、どうもあの雰囲気が馴染めなかった。だが、女子高生にとってそれは致命的だ。
女子高生の中でこんな性格な自分は極めて異質だと分かる。女子高生らしくない、とでも言うのだろうか。
自分と彼女達の間には何だか相容れないものがあるとも思う。

さっきだってそうだ。みんなが歌手に騒いでいたとき。風間がかっこいいと言うのは分かるし、確かにそうだとも思う。
だが、あんなにも騒ぐ意味が分からないし出来ない。
一生懸命になれない。
全力を出しきれない。
思えば死にそうになるくらいに何かをやったことは無いかもしれない。
よく周りの大人達から冷静だとか、落ち着いているとか言われることも多いが、冷静ではなく冷めているのだと思う。
それでも必要以上関わらない。そのスタンスを貫いてた。
と言えば体よく聞こえるが、実際のところただ皆に馴染めていないだけだ、と言うのも分かっていた。
分かっていても行動にうつせないから弱いのだ。自分はひたすらに。
だから、思う。早く大人になりたいと。

大人になれば必要以上に群れることもなくなる。強くなれる。こんなにも悩まずにいられるようになる。何か変われるだろうと思った。そう信じて疑わなかった。
私はそこで始めて相談屋に興味が沸いた。そして相談したいとも思った。
だから、行動に移した。


*



目の前には普通の一軒家があった。玄関口の横には鉢植え。
表札には何も書かれていない。
ただ、その横に相談承ります、とだけ書かれた札が別にかけてあった。
これが巷を騒がせている相談屋のところなのかと改めて見ればひょうし抜けするくらいに普通だった。
別段変わったところは何も無く本当にどこにでもある家、だった。
何で今まで分からなかったのかそれが不思議なくらいに。
いつもならなんてことなく押せるインターホンのはずなのに、どうしてだか悩む。押そうか押さまいか悩んで家の前をうろうろしていれば、どうしたんですか、と声をかけられた。

青年だった。歳は三十代にまだなっていないような感じがしてかなり若い。だが格好が酷い。
長くなった髪は無造作に後ろで一つに括られ、部屋着を着用している。
しまった変な人に話し掛けられたと思ったが

「いや、あのここの家の人に用があって」

と返す。

「あ、じゃあ多分僕のことだと思いますよ」

にこりと笑いもせずに青年は言った。一瞬相談しにきたのは失敗だったのかもしれないと考えた。




「なんとなくお客さんかなと思って声かけたらやっぱり当たりでしたね」

家に上がり開口一番青年はそう告げた。

「あなたが…本当に相談屋なんですか?」

とてもではないがこの青年が相談屋には見えない。格好のことはひとまず置いておいてもあまりやる気の無いと言うか無気力で、目に力を感じないのだ。
いつだったか、その人の本質は目を見れば分かると聞いたことがある。その言葉を信じたことは無かったが、今に限ってはそうなのかもしれないと少しだけ思った。

「信じられませんよね。僕もです。でも、世間ではそうなっているみたいですね」

一瞬、自分の考えていることが筒抜けになっているのかと思ったが、そうでも無いようだった。
青年は苦笑いのような形だが、笑った。えくぼが出来て不覚にも可愛い奴だと思ってしまう。
私は本題を切り出した。

「あの、私早く大人になりたいんです」
「それが…君の相談事なのかな」
「はい」

青年の手元から視線をずらして目を見れば、別人かと見まごうばかりの力強い光を瞳にたたえていた。
その瞳の輝きは自分には無いもので、どこからその光が、光の元が出てくるのか少しだけ気になった。
何をどこから言おうか悩み、口を開こうとすると、青年は私が話そうとするのを止めるかのよ
うに話した。

「ちょっと待ってて」

青年はそう言うとふらりと部屋を出ていってしまった。
他人の部屋にいるというのは少々居心地が悪い。
それにちょっとと言ってもどのくらい待てば良いのか分からないではないか。思わず溜息が口をついて出た。


あの青年、と彼の事を考える。何を考えているのかよく分かんない奴だと思った。
しっかりとしているのかと思いきやそうでも無く、でも青年の中になにか芯のようなものがある。
それは自分が貫いている意地のようなものとはまるで次元が違うもの。
彼は明らかに自分とは違う種の人間だった。良い意味でも悪い意味でも。

あの手の人は自分には無いものを持っていると言う意味では惹かれるものはあれど、どう見てもなりたい『大人』の姿では無かった。

噂なんて嘘っぱちで、期待ハズレかもしれないと落胆気味に部屋を見渡しても興味のひくようなもの特には無かった。
つまらない部屋だ。
彼には何から話そうか。意外と話すのは難しいかもしれない、そうぼんやり考えいるとドアの外で微かに声がする。

「すみませんが、ちょっとドア開けてもらえますか。両手塞がってて」

あぁ、はい、と言いながらドアを開ければ青年はティーセットを手にしていた。思っていたよりも早い。ティーセットは本格的なものなのだろう、ご丁寧に砂時計まである。

「長くなると思うから紅茶いれて来たんですよ。飲みながら話しましょ」

お互い席についた。

「この紅茶、結構良いとこのらしくて茶葉を蒸らす時間まで決まってるんですよ。この茶葉が沈んだ時にいれたのが良いみたいです。だから砂時計もあるし。君は紅茶はよく飲むんですか?」
「はい、ミルクティーでよく飲みます。お砂糖は少なめで、ミルク多めが好きなんです」

コーヒーは飲めなくはないが苦いから苦手だった。飲むとしても砂糖やミルクをがばがば入れる。それに飲むのは専ら紅茶、と言うよりミルクティー。レモンティーよりも好きだ。

「僕、コーヒーばっかり飲むからあんまり紅茶って飲まないんですよ。でもこれは美味しいですねぇ」

早くも一杯目を飲み終え、二杯目を注いでいる。

「さて、いつまでもティータイムと洒落込んでいる訳にもいかないので本題に入りますかね。
まず最初に言っておきたいんだけど、僕が聞いても言いたくないことは言わなくても構わない。だけど、それだと相談ののりようが無く
なってしまうかもしれない。
それに相談屋と言ってもやっているのは僕だ。一般的かもしれないし、私感もはいるだろうと思う。
それは覚えておいて欲しい。
で、まずどこから聞いたらいい?名前からでも?」

ただたんに口調が変化したと言う表面的なものが変わったのではなく彼の本質的な部分、雰囲気が変わった。ふわふわしていた空気は途端に張り詰める。張り詰めると言っても教師に説教されているという息苦しさを味わうのではなく、透き通って鋭く冷たい水を飲んだときのような心地好さと清々しさを感じる。
青年の瞳は相変わらず強い光に満ちている。

「私の名前は、橋本理香と言います。十七歳です」
「十七と言うと…高校二年生か三年生だよね。そもそも君はなんで大人になりたいの?」
「高二です。
別に人とか友達が嫌いな訳じゃないんですけど、どうしても学校に馴染めないんです。いまいち何か一生懸命になれるものも見つからないし、将来何がやりたいとかも決まってなくてやりたいことが見つからないんです」
「部活とかは?」
「昔はやってました。今は帰宅部です」

そう…と青年は目を伏せた。何かを考えているのだろうか。私には分からない。
けれど構わずに話し続ける。

「昔の部活で虐めがあったんです。私が虐めにあったわけじゃないし、それが直接の原因って訳じゃないんですけど嫌になっちゃったんです」

出されたものを一口も手を付けないのは失礼に当たるのだろうか、なんて思いながら紅茶を一口飲む。やはり本格的なものとあって家で飲むのと何だか違うような気がする。

「それが何で大人になりたいに繋がるの?」
「私はよく冷静とか落ち着いているって周りの大人に言われるんです。でも自分にはそうは思えないんです。ただ冷めてるだけだなって。
それにどうも何かに集中して打ち込めないんです。一生懸命になれないって感じなんですけど。だから趣味らしい趣味も無いし、これと言った特技も無い。そんな自分が弱くて嫌になるんです」

そっかぁ、分かったよと彼は言った。たったこれだけしか話していないのに何が分かったと言うのだろうか。直接の大人になりたい理由も話していないのに。

「それに虐めを見たときなんて言えば良いのかいまいち分かんないんですけど、その時に唐突に分かったんです。女子高生って群れないと自分の意見も言えなくてなんにも出来ない弱い生き物なんだなって

大人になればこんなにも群れなくてもいいだろうし、自分も変えられるかなって。そう思ったんです」

基本的にはずっと聞いて相槌を打ってくれ、たまに質問をしてきて、とにかく話しやすかった。
何だか少し不思議な気分だった。『相談屋』だから相談しているのは至極当然のことなのだが、それにしても話すことになんの躊躇いが無い。先程までは何から話そうか悩んでいたくらいなのに。プロなんだな、と改めて思う。
 

*




「多分、君は少し見えすぎるんだね」
「…どういうことですか?」
「まぁ、どうもこうもそのまんまだけどね。同じ世代の子より落ち着いているから世間をよく見ているね。君の場合見えてしまっている、という感じなのかもしれないけど」

ま、言いようによっては冷めてるとも言うのかもね、と彼は笑った。

「後半の趣味特技がつくれないのはまた別問題だね。
友達同士の馬鹿騒ぎの意味が分からない。愛とか友情とか、そういう形無いものが信じられない。そんな感じなんだろ?

だから高校生でいたくなくなった。高校生を卒業して大人になりたい。大人になれば変われるチャンスが来るかもしれない」

無言で首肯する。
彼の言ったことはまさしく全て思っていた通りのことだった。

「変わりたいけど、変われない。大人になれば変われる。君が考えているのはこういうこと?」
「はい、そうです」

あまり話はしていないはずなのにかなりすっきりとした。もやもやとしていたつかえが嘘のように取れた気がした。
カチャリと陶器と陶器がぶつかる音がする。私がたてた音だ。
一呼吸おいてから青年は言った。

「でもさ、正直僕に言わせて貰えば、ぶっちゃけそれは逃げているだけにしか聞こえない。弱いのは君自身じゃないの?」

別に自分を否定されてショックじゃない訳ではない。けれど私は何も言わなかった。
嘘だ、言えなかっただけだ。

「大人になれば変わるチャンスが来る?それは違う。
少なくとも僕は違った。大人になってもチャンスは待ってるだけじゃ来ない。チャンスは掴みにいくものだ。周りの環境が変わるのを待ってるんじゃ、いつまでたったって自分が変わるなんてありえない」

驚きと言うか寂しさが胸をよぎる。彼はこんなにも熱い人間だったのか、頭では理解していたけれどやはり自分とは違う部類なのかと思う。

「大人になったところで明確に何かが変わる訳じゃないし、大人の世界はそんなに甘くない。
君が中学生から高校生になったときに何か変わったかい?確かに社会的位置付けは変わったかもしれない。だけどやってることは変わってない。中学生の延長のはずだよ」

そんなに強い口調で問われている訳ではないのに私には詰問されているように感じるのと同時に、ズキンと胸が痛んだ。
自分では自身を弱い弱いと口先では言っておきながらも本当には理解出来ていなかったから、いざこうやって
正面きって事実を突き付けられると辛かった。
自分が逃げていることに薄々感づいていながら見ないふりをしていたから後ろめたかったんだと思う。
否定する言葉がなにも出て来ない。

「全ての人間を大人と子供に分けても意味が無い。そんな必要は無い。だけど、君は僕から見たらやっぱり子供だ。
僕は今三十ちょいだから成人してから十年ちょっとたった。こんな恰好にこんな生活をしているけど、後悔はしてない。満足なんだよ」
「でもそれは、あなたが…」
「でも、何?」

実際に睨まれているのではないのに、まるで蛇に睨まれたかのように動けなくなった。指先さえも動かせなくなる。

「でも、とかだって、って言葉は使っちゃ駄目。
十代のうちの背伸びは勿体ないと僕は思う。子供でいられるのはたったの二十年しかない。それからあとは泣いても笑っても文句無しに『大人』になる。大人になったら大人であることを簡単には辞められないよ。
それって泣きそうになるくらい長いんだよ。大体六十年弱は嫌でも大人でいなくちゃならないから。
子供でいる間の時間って一分一秒が大切で、そう考えるとこの時間さえも勿体ないとは思わない?」

それに、と青年は目を細めて微笑む。

「僕も君くらいの時は随分と悩んだんだよ。今僕が子供に戻りたいと言っても、実際には戻ることは出来ない。だから君が正直羨ましい。
子供だからって開き直るんじゃなくて残り少ない『子供』でいる時間を精一杯楽しめると良いと思うよ。
君は十七だからあと三年は子供でいられる。三年しか無いんじゃなくて、三年もある。
今は特技や趣味が無くても三年あれば何かしら出来るだろう?子供の三年と大人の三年は違う」

彼はさっききつく問うてきたときとは違い、何か暖かいものを身に纏っている。
それにこだわっていたことはあまりにもちっぽけだったことに今更気が付く。子供だけど、でもなく大人だけど、でもないのだ。子供だからこそ、だし大人だからこそ、なのだ。
ささくれ立っていて刺々していた気持ちがなくなる。

「…ありがとう、ございます」

なぜだかなかなか声が出なかったけど、喉の奥から絞り出すように私はお礼を告げた。
明日からの学校生活で、いきなりみんなと仲良く出来るとは思わないけど、考えてみればまだまだ時間はある。
だから少し頑張ってみようと思えた。
そしてやっぱり彼はああ見えてプロであり、私とは違
う大人なのだと再認識した。





「もう会うことも無いと思いますけどまたいつか会いたいです」
「そうだね、またいつか会えると良いとは思うけど、僕と会って話しているようじゃ駄目だよ。そこのところはしっかり覚えておいてね。
とは言っても僕も久しぶりに若い世代の子と話せて楽しかったよ。
じゃあね」
「はい、さようなら」

扉を開けようとしたが、再び声をかけられる。

「ねぇ、言い忘れたんだけどさ、」

振り返れば彼は笑っていた。少し意地の悪そうな笑みを顔に張り付けて。

「この世の中も、君が考えてるほどそんなに悪くはないよ。
少なくとも僕がこうしていられるんだから。少しでいいから上を見て歩いてごらんよ。
世界は変わって見える」




扉は、開かれた。
あんなに薄暗く見えた空は眩しいほど明るく美しかった。
空は澄んでいて、色彩も鮮やかで青いような気がした。






扉の向こう側の世界













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過去最長な予感がします。
ついこの前成人式があって考えたことでした。
明確な大人の基準が分からない。
いつまでも子供心を忘れない大人になりたい。
そんな感じ。



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